東京パラリンピックが閉会するのは9月5日、菅総理の自民党総裁任期が切れるのは9月30日だから、その間に解散・総選挙が行われるというのだ。
早期解散がなくなった根拠は、3つの国政選挙全敗の結果、与党は態勢の立て直しに時間がかかる。また新型コロナウイルスの感染再拡大で、早期解散は国民の理解が得られないからだという。
菅総理は東京五輪開催で政権を浮揚させ、総選挙で勝利すれば、自民党総裁選は無投票で続投の流れとなり、現在の危機的状況を乗り切ることができるとメディアは解説する。おそらくそのようなことを言う政治家がいて、それを鵜呑みにした記者が記事を書いている。
しかし私はこの見方に違和感を持つ。なぜならその見方は東京五輪が開催されることを前提にしている。東京五輪が必ず開催されると菅総理は本気で考えているだろうか。考えているとしたら相当のオポチュニストで危機意識の乏しい政治家だ。
政治家なら様々なケースを想定し、様々な対応策を準備するはずだ。ただそれは他人には公表しない。聞かれれば「開催に努力する」としか言わない。それは政治家として当たり前の話だ。しかし同時に政治家なら必ず最悪のケースを想定する。
最悪は、五輪を開催したことで日本国内の感染が拡大するだけでなく、世界にも感染が拡がることだ。菅政権は世界中から罵詈雑言を浴びる。また選手団派遣を見送る国が出てくれば、それも菅政権の失点になる。
さらに開催に固執した挙句、中止せざるを得なくなれば、政権の浮揚どころか万事休すだ。開催に固執することはあまりにもリスキーだ。だから私は菅総理が開催を前提にして解散・総選挙を考えているとは思えない。
次に選挙全敗をメディアは「菅政権に打撃」と報道するが、前のブログで書いたように、私はそうは思わない。打撃を受けたのは、安倍前総理が自民党総裁選のカードにしようとしていた岸田前政調会長である。
自民党総裁選で議員票の圧倒的多数を握るのは、細田派(事実上の安倍派)と麻生派である。これを私は安倍―麻生連合と呼んでいるが、この2つの派閥に担がれないと総裁にはなれない。だから菅総理は前回の総裁選で「安倍政治の継承」を掲げる必要があった。
次の総裁選で、安倍―麻生連合がもし岸田氏を担げば、菅総理はそこで終わりだ。だからその前に解散・総選挙を断行して、自民党内の派閥力学を変えなければならない。総裁と幹事長が主導する選挙はそれを可能にする。安倍前総理が選挙のたびに「安倍チルドレン」を生み出したように、子飼いの新人を当選させることができるからだ。
岸田氏は自民党宏池会の牙城である広島選挙区で選挙責任者として采配をふるった。しかし当初はリードしていた自民党候補が野党に逆転され落選した。その政治責任は大きい。次の自民党総裁選に立候補できるかどうか分からなくなった。
だからメディアは「ポスト菅は不在」と報道する。そして「ポスト菅は安倍」という記事も出始めた。しかし安倍前総理には「桜を見る会」という傷がある。検察が略式起訴で済ませた前の公設第一秘書に対し、検察審査会が2度目の「起訴相当」の議決をすれば、元秘書は法廷で裁かれる。そうなれば事件は再び国民の注目を浴び、季節外れの桜がまた芽吹く。
そうした状況にありながら、安倍前総理が「ポスト菅」に名乗りを上げなければならないとすれば、それは安倍氏の思惑通りではない。つまり岸田氏に次いで打撃を受けたのは安倍氏である。3つの国政選挙は、安倍氏が短命で終わらせようと考えた菅総理が、自分の意に反して続投する可能性を手にする結果になった。
また3つの国政選挙は野党の勝利とは言い難い。衆議院北海道2区と参議院広島選挙区は「政治とカネ」のスキャンダルに対する批判票が野党候補を勝たせ、参議院長野選挙区は現職議員急死による「弔い合戦」で野党が勝つのは当たり前だった。
むしろ選挙は野党共闘の足並みの乱れを表面化させた。それも共産党との政策協定を巡る足並みの乱れだから深刻だ。20年以上の実績を持つ自公の選挙協力と違い、野党の選挙協力は政治的に見れば「稚拙」だ。
冷戦後、イタリア共産党が「オリーブの木」に参画し、政権交代を成し遂げたのとはレベルが違う。これでは次の総選挙で政策の乱れを与党から攻撃される可能性がある。3つの国政選挙が野党の勝利と私が思えないのはそのためだ。
3つの国政選挙で態勢の立て直しが急務なのは与党より野党の方だ。そう考えると与党は早期解散して野党に立て直しの時間を与えない方が有利になる。残る問題は新型コロナウイルスの感染状況だが、感染が収まらないのに解散を打つには、よほどの大義名分が必要になる。
しかし立憲民主党の安住国対委員長が今国会で内閣不信任案を提出する意向を示すと、二階幹事長は「不信任案が出ればすぐに総理に解散するよう進言する」と発言した。それに福山幹事長が「コロナがあるのに、できるのなら受けて立つ」と強がりを言ったが、不信任案提出は解散の大義を野党が菅総理に与える話だ。
国民はコロナ禍の中での解散に批判的だろう。だが野党が解散の大義を与えたとなれば、野党も批判される。私は二階幹事長の発言を本気だと思った。その二階幹事長は菅総理が日米首脳会談のために訪米した4月15日、「東京五輪が無理だと思ったらスパッとやめなければならない」と発言した。
日米首脳会談で、菅総理はバイデン大統領を東京五輪に招待するだろうと思っていた私は、それをけん制の発言と思った。訪米前に菅総理が安倍前総理のもとを訪れ、教えを請う姿勢を見せたことを、二階幹事長は自分に対する裏切り行為と捉え、安倍前総理の意向通りに東京五輪に前のめりになることをけん制したと思ったのである。
しかし首脳会談で菅総理は、安倍前総理の「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして東京五輪を開催」というフレーズを言わなかった。そしてバイデン大統領も「開催を支持する」ではなく、「開催の努力を支持する」と発言し、菅総理がバイデン大統領を東京五輪に招待することもなかった。
これを見て私は、バイデン大統領が東京五輪開催に積極的ではないことを菅総理は知り、その考えを共有したように思った。ただし開催国の総理としてまだそのことを表に出す訳にはいかない。中止を主導するにはそれなりの環境が必要だ。コロナの感染状況を見極め、国民の声を聞き、環境が整えば、菅総理が「スパっとやめる」ことはあり得ると思った。
そうなれば東京五輪後の解散・総選挙という選択肢は消える。菅総理は感染対策のための補正予算編成を行い、それを解散の大義に利用するかもしれない。最も都合が良いのは野党が提出する内閣不信任案だから、それを出させるよう挑発を始める可能性もある。
これまで安倍政権は、選挙に勝てると思った時期に、解散の大義を無理矢理作ることで連戦連勝した。そのため自民党はいわゆる「水ぶくれ」状態だ。従って次の総選挙で議席が減ることは確実である。菅総理はそれを織り込み済みだと思う。
「水ぶくれ」状態は「魔の3回生」と呼ばれる若手議員を誕生させ、不祥事を多発させた。彼らは「安倍チルドレン」と呼ばれ、党内最大派閥である細田派(事実上の安倍派)に多くが所属している。
「安倍チルドレン」が落選することは、最大派閥の数を減らし、党内力学で菅総理を有利にする。安倍前総理はそれを意識してか、森喜朗氏から東京五輪組織委会長の後任を要請されたが受けなかった。森氏によると「総選挙で若手議員の応援をしなければならない」と言ったそうだ。
つまり安倍前総理は総選挙が東京五輪の後だと思っていない。後なら森氏の要請を引き受けても良かったが、その前に総選挙の可能性があるから断ったのだ。そしてここにきて安倍前総理は活動を活発化させている。選挙での応援効果を考えているからだ。
一方でメディアは、小池東京都知事が東京五輪中止を言い出し、それで国民の支持を取り付け、国政に転出すると報道している。これも妙な話だ。東京五輪の1年延期を主導したのは安倍前総理だが、それは長年の天敵である小池都知事と手を組んでの行動だった。
前総理が延期を主導したのだから、中止を主導するのは現職総理であってもおかしくない。安倍前総理と同じように菅総理が長年の天敵である小池都知事と手を組み、IOC(国際五輪委員会)に働きかければ良い。
そもそも現在の厄介な状況は、1年延期を決めた安倍前総理と小池都知事に責任がある。東京五輪を実質的に取り仕切った電通の高橋治之氏は、コロナの収束時期を考慮して「2年延期」を米国のウォールストリート・ジャーナル紙に報道させた。ところが自分の任期中に五輪を開催したかった安倍前総理がそれを覆し、小池知事も自分の選挙を考えて「1年延期」に賛成したのだから同罪だ。
その小池知事が中止を言い出すのは悪い冗談だ。中止を言い出せるのは菅総理しかいないと私は思う。ただしそれには安倍前総理や森喜朗氏、それに森ファミリーの橋本会長や丸川大臣は抵抗するだろう。中止になると困るのはその面々だ。
菅総理は今の段階で「中止にする」とは言えない。記者会見では「IOCに開催の決定権がある」と逃げを打った。すると「IOCはGHQか」という批判が出た。主権国家のリーダーなら国民の安全を第一義に考えるべきで、IOCに物が言えないのなら、占領時代にGHQに従うしかなかった過去のリーダーと同じという批判だ。
私はこの批判にも違和感がある。菅総理はIOCに中止を言い出す前に、1年延期を決めた安倍前総理と森喜朗氏の了解を取り付けなければならない。その調整がまだ終わっていないと思うからだ。
いずれにしても私とメディアの見方が違うのは、総裁選で「安倍政治の継承」を掲げた菅総理を、その通りだと思うかどうかにある。菅総理が官房長官として安倍政権を支えたことは事実だ。その政治責任もある。しかしだからと言って自分が権力を握れば、同じ政治を継承するとは限らない。
私が見てきた田中角栄は、幹事長として佐藤栄作総理を支えたが、総理になると官僚出身の佐藤とは真逆の政治を目指した。中曽根康弘に取り入って総理の座を禅譲された竹下登は、政策的にも人間的にも中曽根とは違う政治家だった。安倍前総理と菅総理はそれと同じに私には見える。
この二人には米国のトランプ大統領とバイデン大統領と同じくらいの違いがある。その違いを国民にはっきり意識させ、国民に議論させるのが米国の政治だ。しかし日本では違いがあるのに国民にそれを意識させない力が働く。
特に55年体制時代はそれがひどかった。メディアは政権を取る意思のない野党と自民党があたかも戦っているかのように「与野党激突」を報道した。しかし野党に政権を取る意思がないのだから本当は激突してなどいなかった。
激突していたのは自民党の派閥同士で、野党はその「隠れ応援団」だった。例えば社会党左派と公明党は田中角栄、社会党右派は金丸信、民社党は中曽根康弘の応援を、国民には知られないように行っていた。それをメディアは報道しなかった。
そして自民党内で総理が変われば、それは政権交代と同じ効果を生んでいたのに、メディアは「政権たらいまわし」と言って、政治が何も変わっていないかのように思わせた。実態を知らされない国民の政治議論は不毛だった。
私も組織人でいる間は見てきた事実を書けなかった。書けば先輩や同僚の報道を否定することになる。しかし組織を離れて自分が見てきた事実を書くと、それがなかなか国民からは信じてもらえない。それほどにメディアの報道は国民に浸透している。
それは55年体制が終わってもまだ続いている。そしてメディアは政治家の言うことをそのまま垂れ流す。政治家の発言は常に国民を誘導する目的を持つ。それにメディアは利用され、国民に政治の実像を見せなくする。
4月25日の自民党全敗で、解散は東京五輪後の秋以降になるという報道も、そうした例の一つである。それは菅総理に早期に解散をさせたくない勢力が存在していることを示している。
その勢力との力関係で、あるいはその勢力の思うままになるかもしれない。しかし選挙が全敗だから早期解散はなくなったというのは取って付けた理屈である。そんな報道に騙されてはならないと私は思う。
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<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。