政府、東京都、IOC(国際五輪委員会)が足並みをそろえて東京五輪開催に突き進む中、菅政権の生みの親が「五輪中止」に言及したことは政界に衝撃を与えた。菅総理はこれまで安倍前総理が使った「コロナに打ち勝った証し」という常套句を、バイデン大統領との会談では「世界の団結の象徴」に言い換えた。
私は二階発言を聞いて「5月は政局の予感」とブログに書いた。日米首脳会談直前の絶妙なタイミングでの発言だったからである。結局、日米首脳会談は東京五輪開催の3か月前であるにも関わらず、五輪を巡る日米の協力関係を華々しく打ち上げる場ではなくなった。
二階幹事長は「当然のことを言った」と開き直り、政局的な思惑を否定したが、何が何でも開催を決めている側からすれば、冷や水を浴びせられた思いだろう。しかも感染の先行きが見えない不安から、国民の多くが五輪開催を喜ばなくなれば、中止の可能性もゼロではなくなる。
その後の展開を見ると、変異株の感染加速が世界各地から報告され、医療関係者やメディアの中から五輪開催を疑問視する声が上がった。世論調査でも日本では8割の国民が中止や延期を求める結果が出た。
するとIOC幹部からは、日本国民の犠牲的精神を称賛し持ち上げようとする発言や、人類が絶滅の危機を迎えない限り必ず開催するという脅しに近い発言が相次ぐ。何が彼らにそれほど異様な発言をさせるのか。私は近代五輪がその精神を失い、終焉の時を迎えつつあるように感じた。
今年7月の五輪開催は安倍晋三前総理の「置き土産」である。東京五輪組織委が検討していた「2年延期」を覆し、「1年延期」に前倒ししたのは安倍前総理自身だからだ。森喜朗前東京五輪組織委会長は「自分は2年延期に賛成だったが、そのためには安倍さんの任期を延長する必要があり、自民党総裁4選のため政治工作に取り掛かるつもりだった」と述べている。
しかし安倍前総理は4選を望まず、自分の任期中に五輪を開催するため「1年延期」に踏み切った。私は「1年延期ではコロナの収束にたどり着けない」と危惧したが、都知事再選を狙っていた小池東京都知事もそれに賛同して天敵同士が手を握った。さらにバッハIOC会長もそれを了承し、東京五輪は今年7月23日に開催されることが決まった。
従って仮に中止されれば、この3人の判断が甘かったことになる。巷では「中止されれば菅総理の責任が追及され、菅総理は退陣に追い込まれる」と言われるが、私にはその意味が分からない。まず責任を問われなければならないのは「1年延期」を決めた人たちだ。
菅総理の責任は、安倍前総理から託された時間枠の中で、努力したがコロナウイルスに勝てなかったというレベルである。1年延期を決めた人たちより責任の度合いは小さい。ところが「中止なら退陣」との見方が横行する。そこに私は政略の臭いを感ずる。
かねがね安倍前総理と麻生副総理兼財務大臣は菅政権を「東京五輪までは支える」と言ってきた。裏を返せば「東京五輪を中止すれば、すぐにでも支援をやめる」という脅しである。安倍―麻生連合は自民党議員の半数近い数を擁しているから、この2人が支援をやめると言えば菅政権はそこで終わる。
従って菅総理に中止の選択肢はない。何が何でも五輪開催に向けた努力をしなければならない。「中止なら退陣」の情報は安倍―麻生連合の側から流されていると私は思う。それにメディアは乗せられている。ついでに言えば、しきりに流される「9月解散・総選挙説」も五輪開催を前提にしているから、同じ側から流されている可能性がある。
しかし私は菅総理が中止を言う可能性はあると考えている。二階幹事長が言うように「無理だ」という感染状況を国民の大多数が認識すれば「スパッと」中止を言う。要するに感染状況次第で五輪は開催されるか中止されるかが決まる。当たり前の話だ。それが判断されるのは6月下旬になると思う。
二階氏は、中止する時には「菅総理が主導しろ」と言っているように聞こえる。国民の多数が「無理だ」と思う状況になれば、「スパッと」中止を言うことで支持率も回復し、解散・総選挙に打って出る状況が到来する。
菅総理はそれまでは開催の努力を続け、予定通り開催できる状況になれば、開催して大会を盛り上げ、その勢いで解散・総選挙を行う。最大派閥を擁する安倍前総理が菅総理の続投を支持しているのだから、菅総理の続投は保証されている。
つまり菅総理にすればどちらでも良い訳で、五輪で追い込まれているわけではない。問題は菅総理と二階幹事長、菅総理と安倍前総理との距離にある。安倍前総理が菅総理の続投を支持するのは、菅総理を自分の傀儡にしたい思惑からで、それには二階幹事長との関係を断ち切らせたい。つまり幹事長を交代させるのが条件になる。
一方、二階幹事長はそれを分かっているから、そうはさせない仕掛けをしている。その一つが「スパッと」五輪を中止させ、1年延期を決めた安倍前総理の責任論を浮上させることだ。もう一つは河井克之・案里夫妻に渡った1億5千万円の問題をクローズアップさせ、安倍前総理を身動きできなくすることである。
二階幹事長は3月23日、参議院広島選挙区の公職選挙法違反事件で、河井克之被告が議員辞職を表明したのを受け、「党としても他山の石としてしっかり対応していかなければならない」と述べ、野党やメディアから「他人事のように言うな」と批判された。
しかし私は二階幹事長が意識的に「他山の石」と発言したと考え、1億5千万円の支出に自民党は関係していないと言いたかったのではないかと思った。そして5月に入るとこの問題が急展開する。
5月12日、広島県連会長の岸田文雄氏は1億5千万円の支出について党本部に説明責任を求めた。すると二階幹事長は17日、「私は関与していない」と記者会見で発言する。そして林幹事長代理が「選挙対策委員長が広島を担当していた」と補足した。
当時の選挙対策委員長は安倍前総理と極めて近い甘利明氏である。その甘利氏は翌日「私は1ミクロンも関係ない」と発言した。そして24日、二階幹事長はそれまでの発言を修正する。「責任は総裁と幹事長にある」と発言した。つまりこの問題で総裁の安倍氏の責任論に初めて言及した。自分の責任を認めることで安倍前総理の責任を浮かび上がらせたのである。
私はそれを聞いて、かつて中曽根総理に「行き過ぎれば刺し違える」と言った金丸幹事長を思い出した。中曽根総理が2期目の自民党総裁選を迎えた時、それを支持するのは自民党内で田中角栄ただ一人だった。鈴木善幸、福田赳夫、三木武夫らは中曽根が大嫌いだった。
自民党だけではない。公明党の竹入義勝委員長、民社党の佐々木良作委員長も中曽根再選に反対し、それら反対勢力が目をつけたのは田中派の大番頭である二階堂進だ。田中の力は最大派閥を擁していることだが、最大派閥を分裂させれば、力は無力化する。
中曽根再選反対派は二階堂を総裁候補にすることで田中の力を封じようとする。二階堂はその工作に乗り、田中に「中曽根はあなたを必ず裏切る」と説得したが受け入れられず、田中派に亀裂が走る。この事態を収拾したのが金丸信だ。二階堂を説得して総裁候補になることを断念させた。
中曽根は薄氷を踏む思いで再選されるが、その時金丸が言ったのが「行き過ぎれば刺し違える覚悟であなたを総裁にする」という言葉だ。これで中曽根は金丸に頭が上がらなくなり、金丸を幹事長のポストに就け、金丸は中曽根総理総裁と同等の力を持つようになった。
一方、金丸幹事長の誕生は田中派内の力関係を変えた。竹下登が総裁候補になるための勉強会「創政会」が作られ、田中角栄の力は大きく削がれた。まもなく田中は病に倒れ、田中を中心に動いてきた日本政治は、中曽根と金丸が激突する構図に変わるのである。
私は二階幹事長が金丸を「政治の師」として仰いでいると常々思ってきたので、1億5千万円の支出の責任を「幹事長と総裁にある」と言ったのを聞き「刺し違え」を連想した。これは安倍―麻生連合に対する二階幹事長の挑戦である。とりわけ安倍前総理の力を削ごうとしている。
「5月は政局の予感」と書いたが、まさに政局が始まったと私は思った。そして6月はそれが大乱の様相になると想像する。何よりも6月は東京五輪が開催されるか中止されるかの正念場を迎える。
さらに1億5千万円を受け取った河井克之被告の判決が6月18日に予定され、森友学園を巡る公文書改ざんで自殺に追い込まれた故赤木俊夫氏のファイルが23日の裁判に提出される。いずれも安倍前総理との関連に注目が集まる。
そして国会は16日に閉幕するが、ここにきて立憲民主党の枝野幸男代表がコロナ対策を理由に会期延長を要求し、早期の解散・総選挙を求めだした。野党が内閣不信任案を提出すれば、それは解散の理由になる。この野党の動きは二階幹事長の「刺し違え」発言と無関係ではないと私は思う。
東京五輪開催の可否が大詰めを迎える中、自民党内の対立構図に野党も参画する「大乱」の幕が上がったように私には見える。
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<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。