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選挙結果が選挙前の予測とこれほど違ったことはない。選挙前の予測では、野党共闘の効果で立憲民主党と日本共産党が議席を増やし、自民党の候補者は多くの選挙区で1対1の接戦を強いられ、必ず議席を減らすと言われてきた。
その前提となったのは、前回2017年の総選挙での自民党の勝ち方にある。安倍政権が仕掛けた「国難突破解散」に立ちふさがったのは、小池百合子東京都知事の作った希望の党で、そこに旧民主党勢力が合流したことから、一時は政権交代が確実に起こると誰しもが思った。
ところが希望の党に合流するにあたり、旧民主党政権で要職にあった者を「排除」する方針が示されたことから、それに反発する勢力が枝野幸男を担いで立憲民主党を立ち上げ、野党が分裂し混乱したことで、安倍自民党は命拾いをした。
そのため自民党の勝利は自力ではなく、いわゆる「水ぶくれ」状態にあると見られてきたのだ。野党共闘が実現すれば「水ぶくれ」は解消され、自民党の議席は必ず減るというのが事前の予測だった。
そこで焦点となったのは、自民党が何議席減らすかである。自民党が公示前の276議席から44議席減らせば、単独過半数の233議席を下回り、岸田総理は求心力を失う。
選挙で常に安定した議席を獲得する公明党との力関係が変化し、それが政権運営にも影響する。そこで44という数字が今後の政治を占うカギと考えられた。
ところが自民党は単独過半数の233どころではない、国会運営を自民党の思い通りにできる絶対安定多数の261議席を獲得した。これを勝利と言わずしてどうする。公明党と合わせると与党は294議席となり、公示前の305議席より11議席減っただけだ。
それに反して野党共闘を行った野党第一党の立憲民主党と第二党の日本共産党は、議席を増やすどころか減らした。立民は公示前より14議席も、共産は2議席減らした。候補者を1本化すれば勝てると踏んだはずの選挙で負けたのだから話にならない。
野党勢力で議席を増やしたのは日本維新の会が11議席から41議席と圧倒的で、国民民主党は8議席から11議席、れいわ新選組が1議席から3議席にそれぞれ伸ばしただけに終わった。
この選挙による新たな勢力分布は、与党が294議席と全体の6割強、野党が171議席と3割強となる。それを見ていると、この国は「55年体制」の時代から与党と野党の勢力分布が変わっていないことに気が付く。
「55年体制」は政権交代しないことに特徴があった。野党が権力奪取を狙わなかったからである。つまり野党第一党の社会党は過半数を超える候補者を選挙に擁立せず、代わりに憲法改正を発議させない3分の1を超える議席の獲得を狙った。
共産党は組織維持のため全選挙区に候補者を擁立して社会党と対立する。つまり野党は常にバラバラだった。自民党を万年与党にしたのは社会党と共産党で、私はこれこそ自民党の「補完勢力」だと思ってきた。
自民党政権が最も腐心したのは野党からの攻撃ではなく、米国からの軍事的要求にどう応えるかだった。吉田茂が敷いた「軽武装、経済重視」路線とは、国民に護憲思想を広め、米国に軍事的要求をエスカレートされないことである。
そのため自民党は、野党に護憲運動をやらせて憲法改正を発議させない3分の1の議席を与える。国民には学者やジャーナリストらが護憲思想を教える。そして米国が軍事的要求をエスカレートさせれば、たちまち政権交代が起きて左派政権が出来ると米国に思わせた。
東西対立がある限り米国は左派政権の誕生を認める訳に行かない。日本の要求を受け入れ、日本は「軽武装、経済重視」路線で高度経済成長を実現した。一方で自民党内では派閥がそれぞれに総理候補を担ぎ、それらが権力闘争を行うことで、疑似的な政権交代が繰り返えされた。
この時代の野党の議席は決して過半数を狙わず、3割強を占めることを狙っていたから、支持する国民もその程度だったと思う。だから政権交代は決して起こらず、国民は政治より経済に目を向け、高度経済成長に貢献し、またその恩恵にあずかった。
ところが冷戦が終わり、米国が敵としていたソ連が30年前に消滅すると、「軽武装、経済重視」路線を続けるカラクリが効かなくなる。米国の軍事的要求は遠慮することなくエスカレートし始め、日本はその要求をかわすことができない。政権交代を狙わない野党の存在も必要なくなった。
そこから政権交代を狙う野党づくりが始まる。平成元年に始まる「政治改革」はそのためだったと私は思う。しかしそれがなかなかうまくいかない。「55年体制」の自民党は公共事業を中心とする「大きな政府」、社会党は福祉を中心とする「大きな政府」を主張し、どちらも「大きな政府」であることに変わりはない。
日本に初めて「小さな政府」の考え方を紹介したのは小沢一郎だ。ベストセラーとなった『日本改造計画』はその手引書だった。そして権力を握ると本当に「小さな政府」を実現したのは小泉純一郎だった。
すると小沢は一転して「政治は国民の生活が第一」を主張し、「大きな政府」を掲げて小泉政治と対峙する。いよいよ「小さな政府」と「大きな政府」を軸に政権交代の仕組みができるかと私は思った。
2009年の民主党への政権交代は、それまでの自民党支持者が民主党支持に動いた結果である。羽田孜や小沢一郎など自民党に所属していた政治家に対する支持が民主党政権を誕生させた。政権交代を起こすには3割程度しかいない従来の野党支持者だけでは数が足りないのだ。
2009年の政権交代の時、農協以外の業界団体はみな民主党支持に回り、民主党は小選挙区で47.43%の票を獲得して政権を奪取した。ところがいざ鳩山政権がスタートすると、様々な分野で稚拙な対応が目に付く。従来の自民党支持者はその稚拙さに呆れた。
その後の菅直人政権や野田佳彦政権も自民党を見てきた私の目には不満足だった。そしてスタート時の期待感が大きかった反動で失望の度合いもひどくなる。それが私の民主党政権時代の記憶である。
ところが前回総選挙の時、希望の党に対抗するため「枝野立て!」の掛け声がどこからともなく上がり、東日本大震災の時に官房長官を務めた枝野幸男が立憲民主党を立ち上げることになる。
枝野官房長官は福島の原発事故の時に毎日記者会見をやっていたから、多くの国民の記憶に刻み付けられている人物だ。勿論、好感を持つ人もいるだろうが、反対の人間もいるだろう。そして彼を見れば東日本大震災と原発事故の記憶が多くの国民に蘇ってくる。
私は「枝野立て!」という声は野党ではなく、与党の方から上がっている可能性を考えた。与党にとって野党を分断しておくことは権力維持のための要諦である。枝野幸男に立憲民主党を作らせることで、野党の中の分断を解消させなくし、国民にはあの事故の記憶を思い出させるためである。
私の想像をひどいと思う方がいるかもしれない。私もこんなことを想像したくはないが、しかし私が見てきた自民党内権力闘争からすれば、決してあり得ないことではない。
そしてそれを裏付けるように安倍元総理は「民主党の枝野さん」とわざと間違えたふりをし、「悪夢のような民主党政権時代」というフレーズを繰り返す。あの東日本大震災の記憶を蘇らせようとしているとしか思えないのだ。
私の目に枝野代表の言動は「55年体制」時の社会党の政治家と似たものを思い出させる。相手を一方的に攻撃する。強がりを言う。とんがっていて包容力を感じさせない。それでは3分の1の議席しか取れないだろうと私は思ってしまう。
今の政治に不満な国民は大勢いると思う。しかし選挙に行かない。今回の選挙も投票率は50%台の真ん中で過去3番目の低さだった。今の政治に不満だがそれを変える政治力があるように見えないのが立憲民主党ではないか。
今回議席を4倍近くに伸ばした維新にはそれを感じさせる何かがある。れいわにも国民にもわずかだがある。しかし立民にはそれがないのだ。それは個々の候補者ではない。政党の顔である執行部の面々に昔の民主党を思い出させる要素があるからだ。
前にも紹介したが松本正生埼玉大学名誉教授の調査によると、自民党支持者の年代にはあまり偏りがない。20代と30代が全体の19%、40代と50代で42%、60代と70代で38%を占めている。
これに対し、立憲民主党は20代と30代が全体の10%、40代と50代で30%、60代と70代では61%と、圧倒的に若者の支持が低く、高齢者に支持者が偏っている。特に目に付くのは70代の支持者が35%と最も多いことだ。
恐らく立憲民主党は全共闘世代に支持されているだけで、若者には全く関心を持たれていない。全共闘世代は「55年体制」を知る世代でもある。その時代の政権交代を狙わない野党の記憶を持った世代だ。その世代にしか支持されていないとしたら、立憲民主党は本物の野党にはなり切れていないということになる。
また30代の支持が低いのは、政治に関心を持ち始めた頃に、民主党政権に対する期待と失望を味わった世代だからという見方もできる。それならば民主党政権の中心にいた人物を代表として前面に立てていることは得策でない。
今回の総選挙は立憲民主党に極めて厳しい評価を下した。それを強がりを言って無視すれば、「55年体制」が再来するようなものだ。あの時代の野党は早々に解体するしかない。立憲民主党は敗北を認めて解党的出直しを図るべきだ。
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その前提となったのは、前回2017年の総選挙での自民党の勝ち方にある。安倍政権が仕掛けた「国難突破解散」に立ちふさがったのは、小池百合子東京都知事の作った希望の党で、そこに旧民主党勢力が合流したことから、一時は政権交代が確実に起こると誰しもが思った。
ところが希望の党に合流するにあたり、旧民主党政権で要職にあった者を「排除」する方針が示されたことから、それに反発する勢力が枝野幸男を担いで立憲民主党を立ち上げ、野党が分裂し混乱したことで、安倍自民党は命拾いをした。
そのため自民党の勝利は自力ではなく、いわゆる「水ぶくれ」状態にあると見られてきたのだ。野党共闘が実現すれば「水ぶくれ」は解消され、自民党の議席は必ず減るというのが事前の予測だった。
そこで焦点となったのは、自民党が何議席減らすかである。自民党が公示前の276議席から44議席減らせば、単独過半数の233議席を下回り、岸田総理は求心力を失う。
選挙で常に安定した議席を獲得する公明党との力関係が変化し、それが政権運営にも影響する。そこで44という数字が今後の政治を占うカギと考えられた。
ところが自民党は単独過半数の233どころではない、国会運営を自民党の思い通りにできる絶対安定多数の261議席を獲得した。これを勝利と言わずしてどうする。公明党と合わせると与党は294議席となり、公示前の305議席より11議席減っただけだ。
それに反して野党共闘を行った野党第一党の立憲民主党と第二党の日本共産党は、議席を増やすどころか減らした。立民は公示前より14議席も、共産は2議席減らした。候補者を1本化すれば勝てると踏んだはずの選挙で負けたのだから話にならない。
野党勢力で議席を増やしたのは日本維新の会が11議席から41議席と圧倒的で、国民民主党は8議席から11議席、れいわ新選組が1議席から3議席にそれぞれ伸ばしただけに終わった。
この選挙による新たな勢力分布は、与党が294議席と全体の6割強、野党が171議席と3割強となる。それを見ていると、この国は「55年体制」の時代から与党と野党の勢力分布が変わっていないことに気が付く。
「55年体制」は政権交代しないことに特徴があった。野党が権力奪取を狙わなかったからである。つまり野党第一党の社会党は過半数を超える候補者を選挙に擁立せず、代わりに憲法改正を発議させない3分の1を超える議席の獲得を狙った。
共産党は組織維持のため全選挙区に候補者を擁立して社会党と対立する。つまり野党は常にバラバラだった。自民党を万年与党にしたのは社会党と共産党で、私はこれこそ自民党の「補完勢力」だと思ってきた。
自民党政権が最も腐心したのは野党からの攻撃ではなく、米国からの軍事的要求にどう応えるかだった。吉田茂が敷いた「軽武装、経済重視」路線とは、国民に護憲思想を広め、米国に軍事的要求をエスカレートされないことである。
そのため自民党は、野党に護憲運動をやらせて憲法改正を発議させない3分の1の議席を与える。国民には学者やジャーナリストらが護憲思想を教える。そして米国が軍事的要求をエスカレートさせれば、たちまち政権交代が起きて左派政権が出来ると米国に思わせた。
東西対立がある限り米国は左派政権の誕生を認める訳に行かない。日本の要求を受け入れ、日本は「軽武装、経済重視」路線で高度経済成長を実現した。一方で自民党内では派閥がそれぞれに総理候補を担ぎ、それらが権力闘争を行うことで、疑似的な政権交代が繰り返えされた。
この時代の野党の議席は決して過半数を狙わず、3割強を占めることを狙っていたから、支持する国民もその程度だったと思う。だから政権交代は決して起こらず、国民は政治より経済に目を向け、高度経済成長に貢献し、またその恩恵にあずかった。
ところが冷戦が終わり、米国が敵としていたソ連が30年前に消滅すると、「軽武装、経済重視」路線を続けるカラクリが効かなくなる。米国の軍事的要求は遠慮することなくエスカレートし始め、日本はその要求をかわすことができない。政権交代を狙わない野党の存在も必要なくなった。
そこから政権交代を狙う野党づくりが始まる。平成元年に始まる「政治改革」はそのためだったと私は思う。しかしそれがなかなかうまくいかない。「55年体制」の自民党は公共事業を中心とする「大きな政府」、社会党は福祉を中心とする「大きな政府」を主張し、どちらも「大きな政府」であることに変わりはない。
日本に初めて「小さな政府」の考え方を紹介したのは小沢一郎だ。ベストセラーとなった『日本改造計画』はその手引書だった。そして権力を握ると本当に「小さな政府」を実現したのは小泉純一郎だった。
すると小沢は一転して「政治は国民の生活が第一」を主張し、「大きな政府」を掲げて小泉政治と対峙する。いよいよ「小さな政府」と「大きな政府」を軸に政権交代の仕組みができるかと私は思った。
2009年の民主党への政権交代は、それまでの自民党支持者が民主党支持に動いた結果である。羽田孜や小沢一郎など自民党に所属していた政治家に対する支持が民主党政権を誕生させた。政権交代を起こすには3割程度しかいない従来の野党支持者だけでは数が足りないのだ。
2009年の政権交代の時、農協以外の業界団体はみな民主党支持に回り、民主党は小選挙区で47.43%の票を獲得して政権を奪取した。ところがいざ鳩山政権がスタートすると、様々な分野で稚拙な対応が目に付く。従来の自民党支持者はその稚拙さに呆れた。
その後の菅直人政権や野田佳彦政権も自民党を見てきた私の目には不満足だった。そしてスタート時の期待感が大きかった反動で失望の度合いもひどくなる。それが私の民主党政権時代の記憶である。
ところが前回総選挙の時、希望の党に対抗するため「枝野立て!」の掛け声がどこからともなく上がり、東日本大震災の時に官房長官を務めた枝野幸男が立憲民主党を立ち上げることになる。
枝野官房長官は福島の原発事故の時に毎日記者会見をやっていたから、多くの国民の記憶に刻み付けられている人物だ。勿論、好感を持つ人もいるだろうが、反対の人間もいるだろう。そして彼を見れば東日本大震災と原発事故の記憶が多くの国民に蘇ってくる。
私は「枝野立て!」という声は野党ではなく、与党の方から上がっている可能性を考えた。与党にとって野党を分断しておくことは権力維持のための要諦である。枝野幸男に立憲民主党を作らせることで、野党の中の分断を解消させなくし、国民にはあの事故の記憶を思い出させるためである。
私の想像をひどいと思う方がいるかもしれない。私もこんなことを想像したくはないが、しかし私が見てきた自民党内権力闘争からすれば、決してあり得ないことではない。
そしてそれを裏付けるように安倍元総理は「民主党の枝野さん」とわざと間違えたふりをし、「悪夢のような民主党政権時代」というフレーズを繰り返す。あの東日本大震災の記憶を蘇らせようとしているとしか思えないのだ。
私の目に枝野代表の言動は「55年体制」時の社会党の政治家と似たものを思い出させる。相手を一方的に攻撃する。強がりを言う。とんがっていて包容力を感じさせない。それでは3分の1の議席しか取れないだろうと私は思ってしまう。
今の政治に不満な国民は大勢いると思う。しかし選挙に行かない。今回の選挙も投票率は50%台の真ん中で過去3番目の低さだった。今の政治に不満だがそれを変える政治力があるように見えないのが立憲民主党ではないか。
今回議席を4倍近くに伸ばした維新にはそれを感じさせる何かがある。れいわにも国民にもわずかだがある。しかし立民にはそれがないのだ。それは個々の候補者ではない。政党の顔である執行部の面々に昔の民主党を思い出させる要素があるからだ。
前にも紹介したが松本正生埼玉大学名誉教授の調査によると、自民党支持者の年代にはあまり偏りがない。20代と30代が全体の19%、40代と50代で42%、60代と70代で38%を占めている。
これに対し、立憲民主党は20代と30代が全体の10%、40代と50代で30%、60代と70代では61%と、圧倒的に若者の支持が低く、高齢者に支持者が偏っている。特に目に付くのは70代の支持者が35%と最も多いことだ。
恐らく立憲民主党は全共闘世代に支持されているだけで、若者には全く関心を持たれていない。全共闘世代は「55年体制」を知る世代でもある。その時代の政権交代を狙わない野党の記憶を持った世代だ。その世代にしか支持されていないとしたら、立憲民主党は本物の野党にはなり切れていないということになる。
また30代の支持が低いのは、政治に関心を持ち始めた頃に、民主党政権に対する期待と失望を味わった世代だからという見方もできる。それならば民主党政権の中心にいた人物を代表として前面に立てていることは得策でない。
今回の総選挙は立憲民主党に極めて厳しい評価を下した。それを強がりを言って無視すれば、「55年体制」が再来するようなものだ。あの時代の野党は早々に解体するしかない。立憲民主党は敗北を認めて解党的出直しを図るべきだ。
■オンライン田中塾開催のお知らせ
コロナ禍は我々の暮らしを様々な面で変えようとしていますが、田中塾も2020年9月から新しい方式で行うことにいたします。これまで水道橋の会議室で塾を開催しましたが、今後はご自宅のパソコンかスマホで私の話を聞き、チャットなどで質問することが出来ます。入会金3000円、年会費3000円の会員制で、年6回、奇数月の日曜日午後の時間帯に開催する予定です。会員の方だけにURLをお知らせしますが、同時に参加できなくとも、会員は後で録画を見ることも出来ます。
コロナ後の世界がどう変化していくか皆様と共に考えていきたい。そのようなオンライン田中塾になるよう頑張ります。どうかオンライン田中塾への入会をお待ちします。入会ご希望の方は、下記のフォームからご入力ください。
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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
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