96条改正を言う者は民主主義というものを理解していない。国民にすべてを判断させるような言い方はいかにも国民主権を尊重しているように見えて、これほど民主主義を駄目にする考えはない。史上最も民主的だと言われたワイマール憲法がヒトラーの独裁を生み出したように、さかのぼればギリシアの直接民主主義が有能な指導者を失えばすぐに堕落したように、国民にすべてを判断させるというポピュリズムは民主主義を破壊するのである。
民主主義を自らの手で勝ち取ったことのない日本人は民主主義を理屈で考え、綺麗事として理想化する。しかし民主主義は綺麗事でも理想的でもない。放っておけば極めて危ない制度で、絶えず強くする努力をしないと国民のためにならない。強くするとは国民の主張に耳を傾け、しかし国民の言う通りにはならない事である。
私がそうした考えに至るのはアメリカの政治専門チャンネルC-SPANを通してアメリカ議会とアメリカ政治を見てきたからである。私は55年体制末期の国会で野党がスキャンダル追及を行い、審議拒否に持ち込み、その裏で取引をする政治の実態をつぶさに見てきた。その道具に利用されたのがNHKの国会中継である。NHKの中継は表で与野党激突の構図を見せながら裏ではいびつな政治構造を生み出していた。
そこで世界の先進民主主義国はどうなっているのかを調べてみると、NHKの国会中継がアメリカからもイギリスからも批判されていたことを知った。日本の国会中継はポピュリズムを生み出し民主主義のためにならないと言われていたのである。確かにテレビを意識して野党はスキャンダル追及に力を入れ、議論も国民受けするテーマばかりを選んでいた。それで政治が良くなる筈はない。
やがてアメリカにもイギリスにも議会を中継するテレビ局はできたが、それは最近の話で、しかも日本の国会中継とは異なるものである。私が一緒に仕事をしたアメリカのC-SPANはポピュリズムにならない事を第一に議会中継を行っている。だから与野党が議論する委員会などは中継しない。やればお互いが批判し合う議論だけを見せられるからである。
中継するのは与野党の議員が共に有識者と議論する公聴会が中心である。そして弁舌がうまいとかスタイルが良い政治家が有利にならないように心がける。弁舌がうまいとか国民受けのパフォーマンスだけの政治家は民主主義にとって好ましくない。アメリカ人にはその意識が骨の髄まで染みついている。政治家の力量はそんなこととは関係ないのである。
日本人はアメリカの大統領は国民の直接選挙で選ばれると勘違いしているが、大統領選挙で選ばれるのは大統領ではなく選挙代理人である。大統領は選挙代理人の投票で選ばれる。だから国民と代理人の投票結果が異なる事がある。ゴアとブッシュの選挙で国民の票数はゴアが多かったが、代理人の票数でブッシュが大統領になった。つまりアメリカは国民の直接民主主義を認めていないのである。
憲法改正についてもアメリカは国民には決めさせない。改正には上下両院それぞれの三分の二の賛成が必要で、さらに州議会の四分の三の承認を必要とする。そして国民投票は行わない。それを勘違いしている日本人が多い。「アメリカのように首相は国民投票で直接選ぶべきだ」などと言う人間がいるからおかしくなる。
そして日本人の大いなる勘違いに多数決がある。日本人は多数決が民主主義だと思っている。さらに過半数で決めた事は正しいと思っている。とんでもない話である。過半数が賛成したというのはただそれだけの話で正しいとは限らない。いつまでも決めない訳にはいかない時に便宜的にそう決めるだけである。だから民主主義の基本は少数意見の尊重にある。
イギリスは議院内閣制でマニフェスト選挙だから過半数を得た与党のマニフェストが議会で成立する事になる。それならなぜ議会で議論し投票をするのか。それは過半数を得たからと言って正しいとは限らないため、少数意見を尊重して議会で修正の議論をするからである。
イスラム世界では全員を集めて結論が出るまで何日間も議論し、それでも決着がつかなければ全員が信頼する指導者に結論をゆだねる。このやり方は日本の自民党でも同じであった。自民党の部会では決して採決を採らず、自由に議論をさせて最後は部会長一任としていた。その伝統を壊したのが小泉純一郎総理である。初めて多数決を採り党内から批判を浴びた。その時、日本人の多くが「自民党は古い、小泉総理の方が民主主義的だ」と思ったがそれは誤りである。
社会学者の小室直樹氏によるとヨーロッパでも昔はそうであったが、時間がかけられない事情が出てきて便宜的に多数決になったのだと言う。だから多数決は便宜的な決め方に過ぎない。それを安倍政権は憲法改正に適用しようとしている。参両院も過半数なら国民投票も過半数で国家の最高規範を決めようとしている。そんなやり方で憲法を決めている国など世界中どこにもない。議会両院の過半数で発議する国はあるが、その後が国民の過半数などという話にならない。それよりも高いハードルが課せられる。
戦後一度も憲法改正がなかったのは96条があったからではない。与野党が政権交代ではなく憲法改正を競い合ってきたからだ。そうした過去の事実に目を向けず「憲法を国民の手に」などと甘いポピュリズムを振りまくのは、世界から馬鹿にされるだけの話である。
田中良紹さんが講師をつとめる「癸巳田中塾」が、5月29日(水)に開催されます!田中良紹さんによる「政治の読み方・同時進行編」を、美味しいお酒と共に。ぜひ、奮ってご参加下さい!
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【参加費】
第1部:1500円
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【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分
【申し込み方法】
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■田中良紹:主権回復を目指す日(4.28)
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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
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<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。
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憲法の基本的理念は、基本的人権、国民主権、平和主義であり、国会,司法、行政に携わる為政者が、国民に対して遵守するだけでなく、国家としての国際社会に対する宣言でもある。行政府の長が、己の持論、主張を実現する法律を自由に改正し施行するために、憲法理念の枠をはずそうとの意図が明らかであれば、マスコミは厳しく対応しなければならないのに、同調論を掲げているマスコミが見られ、公共的使命のある電波新聞が政治利用されているような状況ははなはだ異常な状況といえるのではないか。