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tsutomizuさん のコメント

あまり数字的な細かい分析をするのは本意ではありませんが、ご指摘があり、
国の収入源の実態を調べてみました。
      所得税   法人税   消費税   その他   計    
平成元年  21.3   19.0  3.3  11.3  549
平成24年 13.5    8.8 10.4   9.6  423
税収の推移を見ると、はっきりしたことが分かる。国民が支払った所得税と消費税の合計は、24.6兆円が23.9兆円と大きな差がないが、法人税は、19兆円が8.8兆円に大きく減っていることである。名目にしろ、実質にしろ、GDPにこれほど大きな現象は認められない。480兆円から510兆円ぐらいで推移しています。
貿易収支は、11年から赤字になっているが、所得収支は、利子、配当によって大幅な黒字になっています。
大きな問題点は、輸出製品に対して消費税を還元する恩典を輸出品完成業者に与えているが、海外に多くの製造拠点を移設得られる利益が正当に海外から送金されているかどうか、ダミー会社の存在によって、法の網をかいくぐっているのではないか。このような税金に関する法の不整備は、日本に限らないが、国際協力により、根絶してほしい。
このような現実数字を直視することなく、金融緩和によって円安に導き(政府は否定しているが)、輸出業者が潤うことを根拠に株式が高騰しています。政府は、成長第一、輸出拡大を掲げていますので当たり前のことかもしれないが、普通の国際感覚をもてば、逆に円高を思考するのが、正論ではないか。成長を掲げるならば、セイフティーネットが構築されないと、収入が増えない限り、高齢化、少子化、非正規の拡大、公的支払いの増加によって、国民が痛むばかりなのです。
莫大な内部留保を確保しながら、税金の支払いが前述したように大幅に減っている企業からの正当な税金の支払いを確保することによって、10兆円近い税金が得られるのではないかと、国税庁に期待したいのですが。弱いものいじめでない法人監視のため大幅な増員をしても国民的理解は得られるでしょう。
No.4
137ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
以前「岸信介を裏切るアベノミクス」で、安倍総理の目指す経済体制が祖父の岸信介らが戦時中に作り上げた日本型資本主義とは真逆である事を説明した。今度は麻生副総理が祖父の吉田茂とは真逆の憲法観を表明して物議を醸している。二人の孫の「歴史認識」にはご先祖のDNAが受け継がれていないらしい。 明治・大正期の日本経済は現在のアメリカと同じように株主中心の資本主義であった。株主は短期的利益を追求し、外から連れて来た経営者にそれを要求して利益を出せない経営者はすぐに首にし、従業員も簡単に解雇されて労働市場は流動的だった。少数の富裕層と労働者、都市と地方の格差は今よりも大きかった。 昭和4年(1929年)、大恐慌が世界に失業と貧困をもたらし、各国が保護貿易に走ると、資源小国の日本は危機的状況に追い込まれ、新たな経済体制の構築が求められた。大恐慌の影響を受けなかったソ連の計画経済を手本に「革新官僚」たちが「1940年体制」と呼ばれる仕組みを作る。その「革新官僚」の中に岸信介はいた。 株主の力を削ぎ、経営者を社内から昇格させ、従業員に年功序列賃金と終身雇用を与え、国民に貯蓄を奨励して企業が銀行からの借り入れで経営を行う仕組みが作られた。メインバンク制の導入によって企業は銀行の管理下に入り、銀行を大蔵省が監督する事で国家が経済全体をコントロールする。それは戦争遂行のための経済だったが、威力を発揮したのは戦後の日本においてである。 冷戦の開始によって日本の共産主義化を恐れるアメリカは、日本経済を強化する必要に迫られた。それに乗じて政財官一体の「1940年体制」が世界を驚かす高度成長を成し遂げる。結果、日本は世界で最も格差の少ない「一億総中流国家」を実現し、同時に世界一の債権国となり、一方でアメリカは債権国から世界一の債務国に転落した。 冷戦が終わると、日本経済を強化する必要のなくなったアメリカは高度成長期に日本が蓄積した富の切り崩しに取り掛かる。「1940年体制」の解体が始まった。日本を再び株主中心の資本主義に戻すため、アメリカは政財官の癒着構造を批判し、金融機関と大蔵省の解体、そして「かんぽ」と「郵貯」という国営の金融機関の解体へと向かう。アメリカによる「1940年体制」の解体によって日本に「失われた時代」が始まる。その仕上げが小泉構造改革だった。 しかし国民は格差の拡大に悲鳴を上げ、民主党政権を誕生させて流れに歯止めがかかるかに見えたが、第二次安倍政権の誕生で再びアメリカに従属する動きとなった。アベノミクスやTPPは岸信介らが作った日本型資本主義の解体を促すものである。岸信介はアメリカが喜ぶ反共イデオロギーを声高に叫び、それを口実にアメリカから金を引き出し、不平等な日米地位協定を日本側に有利にしようした。従属一辺倒の政治家ではない。しかし孫はアメリカから何を引き出そうとしているのか。 吉田茂は差別的な日米安保条約を結んだことで、対米従属の政治家と見られることが多い。しかし彼も強かにアメリカと渡り合い、アメリカを翻弄して日本経済の強化に努めた。取引のカードとして使ったのがアメリカの作った平和憲法である。 1950年、朝鮮戦争が起こるとアメリカは日本軍国主義の解体をやめて日本再軍備へと政策を転換させた。マッカーサーは吉田に警察予備隊の創設を命じ、それを30万人規模の軍隊に拡大させて朝鮮戦争に動員しようとした。吉田はこれに対しアメリカとの決裂を避けながらしかし再軍備圧力をかわし続けた。 吉田は朝鮮戦争を経済復興の機会と捉え、軍需産業に対するアメリカの援助には前向きだったが、アメリカの援助で軍隊を拡充する事には消極的だった。また吉田はアメリカが共産中国との貿易を制限してきたことに強く反発した。吉田は「中国はソ連を抑制すると同時にアメリカに対する牽制力になる」と考え、中国が「赤だろうが緑だろうが、本来の市場であり、日本にとって必要」と主張した。 鳩山一郎や岸信介など保守陣営の中の反吉田派が再軍備と憲法改正を主張すると、吉田派と社会党は暗黙のうちに憲法改正勢力と対立してアメリカをジレンマに陥らせる。アメリカは吉田の再軍備引き伸ばしに不満を募らせながら、憲法改正・再軍備派にはナショナリズムと独立志向があり、それを支持出来なかったからである。 吉田政権末期の日本にアメリカは繰り返し再軍備ののろさを批判し、一方の日本側は中国貿易の制限、安保条約の不平等性に不満を表明する事が儀式のように繰り返された。(マイケル・シャラー『「日米関係」とは何だったのか』より) 吉田が単純な対米従属の政治家でなかった事が分かる。アメリカの作った憲法を盾にアメリカの圧力をかわしながら、アメリカとは決裂せず、経済援助を引き出す政治技術を行使した。また戦前の外交官時代に吉田は日本がヒトラーのドイツと組むことに強硬に反対し、軍部からは「親英米派」と見られて睨まれた。その孫が憲法改正のやり方について「ワイマール憲法からナチスの憲法に変わった、あの手口学んだらどうか」と発言したのである。 無論、孫だからと言って祖先の政治思想や政治手法を踏襲しなければならない事はない。むしろ祖先を超える政治家になる努力をすべきである。しかしこの二人組がやろうとしている経済政策や憲法改正のやり方を見ていると、確固とした国家感や歴史認識を踏まえた戦略性がまるで感じられない。ご先祖様とは比較するのもはばかれるほど目先しか見ない小政治家に見えてしまう。 △  ▼  △ 【関連記事】 ■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧 http://ch.nicovideo.jp/search/国会探検?type=article <田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>   1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。 同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。  TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「 メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史 」(2005/講談社)「 裏支配─いま明かされる田中角栄の真実 」(2005/講談社)など。
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