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細川元首相は、平成22年(2010年)5月、内閣総理大臣時代の日記を『内訟録』として日本経済新聞社から出版した。この中に「佐川急便問題」について、細川氏自身が見解を述べている。また、対応に当たった関係者の証言、さらに細川連立政権を打倒するため国会での追及を指導した自民党政治家の証言、そして「佐川急便問題」を冷静に観察していた内閣官房の事務担当責任者の証言などが掲載されている。
これらを転載するので、まず、事実関係を理解してもらいたい。
(※太字はTHE JOURNAL編集部)
1)細川元首相の見解
(平成6年)3月10日(木) 晴
(前段略)
代表質問も終わり、本日から衆院予算委が開かるべきところ、佐川問題に関して国会法104条による資料提出要求を巡り、理事会が紛糾、終日空転す。
本件につきては、私人間の金銭の貸借という純粋に私生活上のものにして、犯罪や法令違反を問われるべきものでもなく、政治腐敗や公私混淆、政治家の地位利用による利得などの政治倫理の問題とも無関係の話なり。自民党や共産党は、1億円を政治資金として貰い、返済していないのではないかと主張しているが、政治資金として貰うのにわざわざ手数料を払いて根抵当権(極度額1億円)を設定するが如きことはあり得ぬことにて、その根抵当権も正規の手続きで解除されていることは、返済の証明として充分なり。佐川側の貸付金台帳にても逐次返済が記録され、違法な貸付をしたとして渡辺社長を背任で告訴した現経営陣がすでに返済を証明せしところ(平成6年1月17日付け回答書)にして、なんら疑われる余地なし。その意味でも国会で論ずべき問題にあらず。かかるネガティブ・キャンペーンを許すことは、我が国の健全な議会政治の発展にとりて、誠に由々しきことなり。
2)証言・成田憲彦氏(当時、首相秘書官)
総理の佐川問題は、当初は総理の個人事務所が事実の確認や答弁内容の準備をしていて、私と警察庁からの金重凱之秘書官がタッチするようになった頃には、既に説明を大きく変えのは不可能でした。
私はタッチする前、総理に無断で佐川本社に行き、当時の経理担当者に話を聞きましたが、「返してもらっています」と言われました。ただ利息は政治献金にしていたということで、ここだけ総理の答弁と違いました。当時の資料は、佐川急便事件で検察に押収されていましたが、断片的なものやコピーが残っていて、それをコピーさせてもらって帰りました。後に領収書の控えのコピーなどを国会に出したとき、野党議員や識者などが疑問点などをしたり顔で挙げていましたが、本物です。
私はまた総理の議員会館で、会計帳簿を見せてもらいましたが、利息分はちゃんと佐川からの献金として入金処理されていました。あれ程きちんと帳簿処理している自民党議員など、皆無でしょう。私が進言した案は、政治倫理審査会で説明して打ち止めにするというもので、その後自民党議員が多用しました。総理は乗り気でしたが、小沢さんが、総理はそんなところに行くものではないと言って実現しませんでした。
本来は国会が止まるような問題ではなく、社会党の村山委員長も審議に入ればいいと言っていました。武村官房長官は私が「動いてください」と言いに行ったときは、「そうだな」と言っていましたが、まったく動いてくれませんでした。「カネを返したのなら、証明しろ」という理不尽な要求に真面目に付き合ったのがそもそもの間違いで、疑惑などではなく、自社の提携派にうまく使われたというのが問題の本質です。
3)証言・平野貞夫氏(当時、新生党参院議員)
佐川急便からの1億円借り入れ問題で、当時、細川さんは「借金はちゃんと返したし、その領収書もある」と悪びれる様子もありませんでした。むしろ私に「検察が佐川急便から押収した帳簿の中に、私か返した記録が残っているはずだ。法務省にかけあって、その記録を国会に提出してもらうよう交渉してくれないか」と頼んできたくらいでした。しかし、法務省は検察が押収した証拠品は出せないとのことでした。実は建前とは別に「大きな声で言えないワケ」があったのです。資料を見られる立場の人から聞いたところ、「確かに細川さんは借入金を返しています。しかし、他にも借りている政治家が与野党にわたってたくさんいるうえに、返済していません」と言う。帳簿を公表すれば連立政権に激震が走り、大問題になるので出すわけにはいかなかったのです。国会の論戦では圧倒的な世論の人気を集める細川政権に太刀打ちができない。危機感を募らせた自民党は、なりふり構わずスキャンダル探しとマスコミへの垂れ流しを続けたわけです。
4)証言・野中広務氏(当時、自民党衆院議員、予算委理事)
予算委員会の自民党理事の仲間で徹底的に内閣をつぶそうと申し合わせをし、細川さんの個人的なスキャンダルに重点を置くようになりました。我々がやるということになったら情報も入ってきて、有り難かったですね。情報はそれなりに豊富だったんじゃないですか。情報をキャッチしては問題を追及しました。我々がそこまでやれたのは自民党が第一党だったからです。向こうは7党1会派だけに守りの体制が何もなかった。非常にもろい政権でした。細川さんは気の毒だったと思いました。そういう思いが攻撃しながらもありましたね。佐川の問題は総理が辞任するような話ではありませんでした。細川内閣は結局、自分で倒れた。予算委員会ではない。国民福祉税で倒れたんです。細川つぶしが始まり、社会党が逃げて、連立が壊れていく状態になっていったわけですからね。(後段略)
5)証言・石原信雄氏(当時、官房副長官)
佐川急便からの借入金問題は対応を本当に間違ったですよね。あれは、あんな事件になるような話じゃないんですよ、本来は。処理が適切じゃなかったと、頭を下げておけばよかったんですよ。初っぱなから作戦ミスですね。法律問題にならない話なんですよ。頭下げて終わりになったんだ。多少、殿様の意地でね、見栄があったんでしょうね。事柄がそんな悪質な話じゃないんですから。追及していた自民党の野中さんたちもあんなにうまく網に入るとは思わなかったのではないですか。私は傍から見ていて歯がゆかったですよ。やはり内閣、総理を支える立場ですから。もっと事前に色々作戦を相談してくれれば、展開はいくらでもあったなと。細川さんは全然、あの話は我々に話してくれなかったですよ。いや、これはわたくし個人の問題ですからと、一切、言わないんですもの。それも一種の美学だったんでしょうね。非常に私はあれは残念だった。あんな短命に終わる内閣ではなかったのに。
〇細川首相辞任の背景と真相!
「佐川急便問題」が疑惑問題として取り上げられたのは、平成5年10月の衆議院予算委員会であった。以後、自民・共産がしつこく倒閣を狙い追求してきた。細川首相は「借金はきちんと返したし、その領収書もある」と平然としていた。「検察が佐川急便から押収した帳簿のなかに、私が返済した記録が残っているはずだ。法務省に掛け合って、その記録を国会に提出してもらうよう交渉してくれないか」と、私に要請したくらいだった。
細川連立政権が誕生して5ヵ月目の平成5年12月という時期は、細川政権の存立にとって重大な時期であった。このことが判明したのは、村山自社さ連立政権が成立した平成6年6月から半年後の12月30日に報道されたテレビ朝日の政治報道番組であった。
「自社さ政権」をつくることに功績のあった自民党の有力政治家が、「細川連立政権を打倒するため、平成5年12月には自民党と細川政権の中の社会党とさきがけの有力政治家で密約が交わされていた」とビデオで暴露した。番組に出席していた社会党の久保亘書記長が、怒りを露わにし「知らなかった。事実ならこのまま職にとどまることはできない」と、大騒ぎになった。要するに「佐川急便問題」は、予算審議を妨害して細川連立政権を倒閣するため自民党と共産党が利用した問題である。個人の貸借で返済し、何ら政治的にも法的にも問題のないことを、スキャンダルとして捏造したのが真相である。
8党派による細川連立政権がしっかりとまとまっていたなら、細川首相の辞任に至る問題ではなかった。野中広務氏や石原信雄氏の証言どおりである。残念なことは社会党(左派の一部)と新党さきがけという細川連立政権内部の勢力が、自民党と密約して細川政権を倒閣しようとする動きの中で、「佐川急便問題」が政治的に利用されたのである。わが国のデモクラシーの未熟さを例証する不幸な出来事であった。この歴史の真実をしっかりと理解しておくべきである。(了)
これらを転載するので、まず、事実関係を理解してもらいたい。
(※太字はTHE JOURNAL編集部)
1)細川元首相の見解
(平成6年)3月10日(木) 晴
(前段略)
代表質問も終わり、本日から衆院予算委が開かるべきところ、佐川問題に関して国会法104条による資料提出要求を巡り、理事会が紛糾、終日空転す。
本件につきては、私人間の金銭の貸借という純粋に私生活上のものにして、犯罪や法令違反を問われるべきものでもなく、政治腐敗や公私混淆、政治家の地位利用による利得などの政治倫理の問題とも無関係の話なり。自民党や共産党は、1億円を政治資金として貰い、返済していないのではないかと主張しているが、政治資金として貰うのにわざわざ手数料を払いて根抵当権(極度額1億円)を設定するが如きことはあり得ぬことにて、その根抵当権も正規の手続きで解除されていることは、返済の証明として充分なり。佐川側の貸付金台帳にても逐次返済が記録され、違法な貸付をしたとして渡辺社長を背任で告訴した現経営陣がすでに返済を証明せしところ(平成6年1月17日付け回答書)にして、なんら疑われる余地なし。その意味でも国会で論ずべき問題にあらず。かかるネガティブ・キャンペーンを許すことは、我が国の健全な議会政治の発展にとりて、誠に由々しきことなり。
2)証言・成田憲彦氏(当時、首相秘書官)
総理の佐川問題は、当初は総理の個人事務所が事実の確認や答弁内容の準備をしていて、私と警察庁からの金重凱之秘書官がタッチするようになった頃には、既に説明を大きく変えのは不可能でした。
私はタッチする前、総理に無断で佐川本社に行き、当時の経理担当者に話を聞きましたが、「返してもらっています」と言われました。ただ利息は政治献金にしていたということで、ここだけ総理の答弁と違いました。当時の資料は、佐川急便事件で検察に押収されていましたが、断片的なものやコピーが残っていて、それをコピーさせてもらって帰りました。後に領収書の控えのコピーなどを国会に出したとき、野党議員や識者などが疑問点などをしたり顔で挙げていましたが、本物です。
私はまた総理の議員会館で、会計帳簿を見せてもらいましたが、利息分はちゃんと佐川からの献金として入金処理されていました。あれ程きちんと帳簿処理している自民党議員など、皆無でしょう。私が進言した案は、政治倫理審査会で説明して打ち止めにするというもので、その後自民党議員が多用しました。総理は乗り気でしたが、小沢さんが、総理はそんなところに行くものではないと言って実現しませんでした。
本来は国会が止まるような問題ではなく、社会党の村山委員長も審議に入ればいいと言っていました。武村官房長官は私が「動いてください」と言いに行ったときは、「そうだな」と言っていましたが、まったく動いてくれませんでした。「カネを返したのなら、証明しろ」という理不尽な要求に真面目に付き合ったのがそもそもの間違いで、疑惑などではなく、自社の提携派にうまく使われたというのが問題の本質です。
3)証言・平野貞夫氏(当時、新生党参院議員)
佐川急便からの1億円借り入れ問題で、当時、細川さんは「借金はちゃんと返したし、その領収書もある」と悪びれる様子もありませんでした。むしろ私に「検察が佐川急便から押収した帳簿の中に、私か返した記録が残っているはずだ。法務省にかけあって、その記録を国会に提出してもらうよう交渉してくれないか」と頼んできたくらいでした。しかし、法務省は検察が押収した証拠品は出せないとのことでした。実は建前とは別に「大きな声で言えないワケ」があったのです。資料を見られる立場の人から聞いたところ、「確かに細川さんは借入金を返しています。しかし、他にも借りている政治家が与野党にわたってたくさんいるうえに、返済していません」と言う。帳簿を公表すれば連立政権に激震が走り、大問題になるので出すわけにはいかなかったのです。国会の論戦では圧倒的な世論の人気を集める細川政権に太刀打ちができない。危機感を募らせた自民党は、なりふり構わずスキャンダル探しとマスコミへの垂れ流しを続けたわけです。
4)証言・野中広務氏(当時、自民党衆院議員、予算委理事)
予算委員会の自民党理事の仲間で徹底的に内閣をつぶそうと申し合わせをし、細川さんの個人的なスキャンダルに重点を置くようになりました。我々がやるということになったら情報も入ってきて、有り難かったですね。情報はそれなりに豊富だったんじゃないですか。情報をキャッチしては問題を追及しました。我々がそこまでやれたのは自民党が第一党だったからです。向こうは7党1会派だけに守りの体制が何もなかった。非常にもろい政権でした。細川さんは気の毒だったと思いました。そういう思いが攻撃しながらもありましたね。佐川の問題は総理が辞任するような話ではありませんでした。細川内閣は結局、自分で倒れた。予算委員会ではない。国民福祉税で倒れたんです。細川つぶしが始まり、社会党が逃げて、連立が壊れていく状態になっていったわけですからね。(後段略)
5)証言・石原信雄氏(当時、官房副長官)
佐川急便からの借入金問題は対応を本当に間違ったですよね。あれは、あんな事件になるような話じゃないんですよ、本来は。処理が適切じゃなかったと、頭を下げておけばよかったんですよ。初っぱなから作戦ミスですね。法律問題にならない話なんですよ。頭下げて終わりになったんだ。多少、殿様の意地でね、見栄があったんでしょうね。事柄がそんな悪質な話じゃないんですから。追及していた自民党の野中さんたちもあんなにうまく網に入るとは思わなかったのではないですか。私は傍から見ていて歯がゆかったですよ。やはり内閣、総理を支える立場ですから。もっと事前に色々作戦を相談してくれれば、展開はいくらでもあったなと。細川さんは全然、あの話は我々に話してくれなかったですよ。いや、これはわたくし個人の問題ですからと、一切、言わないんですもの。それも一種の美学だったんでしょうね。非常に私はあれは残念だった。あんな短命に終わる内閣ではなかったのに。
〇細川首相辞任の背景と真相!
「佐川急便問題」が疑惑問題として取り上げられたのは、平成5年10月の衆議院予算委員会であった。以後、自民・共産がしつこく倒閣を狙い追求してきた。細川首相は「借金はきちんと返したし、その領収書もある」と平然としていた。「検察が佐川急便から押収した帳簿のなかに、私が返済した記録が残っているはずだ。法務省に掛け合って、その記録を国会に提出してもらうよう交渉してくれないか」と、私に要請したくらいだった。
細川連立政権が誕生して5ヵ月目の平成5年12月という時期は、細川政権の存立にとって重大な時期であった。このことが判明したのは、村山自社さ連立政権が成立した平成6年6月から半年後の12月30日に報道されたテレビ朝日の政治報道番組であった。
「自社さ政権」をつくることに功績のあった自民党の有力政治家が、「細川連立政権を打倒するため、平成5年12月には自民党と細川政権の中の社会党とさきがけの有力政治家で密約が交わされていた」とビデオで暴露した。番組に出席していた社会党の久保亘書記長が、怒りを露わにし「知らなかった。事実ならこのまま職にとどまることはできない」と、大騒ぎになった。要するに「佐川急便問題」は、予算審議を妨害して細川連立政権を倒閣するため自民党と共産党が利用した問題である。個人の貸借で返済し、何ら政治的にも法的にも問題のないことを、スキャンダルとして捏造したのが真相である。
8党派による細川連立政権がしっかりとまとまっていたなら、細川首相の辞任に至る問題ではなかった。野中広務氏や石原信雄氏の証言どおりである。残念なことは社会党(左派の一部)と新党さきがけという細川連立政権内部の勢力が、自民党と密約して細川政権を倒閣しようとする動きの中で、「佐川急便問題」が政治的に利用されたのである。わが国のデモクラシーの未熟さを例証する不幸な出来事であった。この歴史の真実をしっかりと理解しておくべきである。(了)
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