2011年3月11日は日本が1945年8月15日に次ぐ「敗戦」を経験した日である。縦割りの官僚機構は災害という「敵襲」に有効に機能できず、ひたすら責任回避の方向に動き、その官僚機構を仕切る役目の政治家が官僚を掌握しきれていない無能さを露呈した。
狭い国土に54基の原発を持ちながら、国民を守る自衛隊に原発事故に即応する専門部隊がない事も驚きだったが、国民のパニックを恐れて情報を隠蔽する官僚のやり方には強い憤りを覚えた。最悪の事態に備える思考を持たない「平和ボケ」が深刻である事を改めて認識させられた。
3・11の「敗戦」を反省し、国家のありようを一から考え直さなければ、世界最速で進む少子高齢化に対応できる国を作り、世界に範を示す事は出来ないと強く思った。しかしピンチはチャンスでもある。日本人が焼け跡から立ち上がり奇跡の復興を成し遂げたように、敗戦の教訓を胸に発想の転換を図れば、必ずや世界の範となる国づくりが出来るとも考えた。
ところがその後の政権は口で「震災からの復興」を叫ぶが、どの政権も「敗戦」の深刻さを理解しているように見えない。従来型の公共事業に頼って災害に備えようとするだけで、これまでの国家の在り方を考え直そうとする姿勢が見られなかった。それどころかアメリカと官僚にはかなわないと思うのか、民主党政権はアメリカの要求するTPPと官僚が要求する消費増税を受け入れて国民の期待を裏切った。
大胆な金融緩和で円安・株高を狙った安倍政権も同様である。目先の利益に国民の目を向けさせてはいるが、この政権もアメリカと官僚に従属しているだけで国家のありようを根本から見直そうとはしていない。
そうしたところに小泉元総理の「脱原発」発言が出てきた。小泉氏は「3・11」を見てこれまでの考え方を変えたと言う。私からすれば政治家として至極もっともな反応である。そうならない方が政治家としておかしい。戦後の日本を支配してきたアメリカと官僚に迎合するだけならサラリーマンと同じである。
口では「改革」とか「政策」とかもっともらしい事を言うが、強い者にはゴマをするサラリーマン型の政治家が実はごまんといる。そうした政治家たちが「政界再編」と言って野党結集を呼びかける様を私は冷ややかに見てきた。政治の構図を変えようとするならば自民党に楔を打ち込む以外に方法はない。私はそう考えていた。
次の国政選挙まで2年半あるので、それだけの時間をかけて自民党分断工作に知恵を絞れば良いのである。それは消費増税が実施された後の夏から秋にかけて第一幕が開くと考えていた。野党が動くのではない。自民党を動かすのである。そう思っているところに猪瀬都知事の辞任があり、細川元総理の出馬の話が出てきた。
従って私の興味は自民党にある。都知事選を通じて自民党の中に安倍政権と異なる動きがどれほど出て来るかにある。選挙だから異なる動きが表面化する事はないだろうが、水面下にどれほど蓄積されるかを注目している。
その意味で自民党が舛添要一氏を推す事を決めたのも面白い。舛添氏は介護や社会福祉を中心に訴えるようだが、自民党の政策と舛添氏の政策がどれほど折り合えるのかという問題がある。どちらが歩み寄るのか、あるいは歩み寄ったように見せて誤魔化すのかを注目している。
細川氏の出馬に「殿、ご乱心」とか「晩節を汚す」とけん制する発言がある。しかし私に言わせれば細川氏がこのまま人生を終えればそれこそ「晩節を汚した」ままという事になる。晩節を汚したくなければ今一度自らを犠牲にして政治にチャレンジする必要があるのである。
20年前の1994年4月、細川総理は突然辞任を表明した。佐川急便とのカネにまつわるスキャンダルがあったためだとされている。しかし政界の常識で言えばその程度で総理が辞任するなど考えられない。何か他に人に言えない事情があったのだろうと当時は噂された。細川氏の突然の辞任によって38年間の自民党単独政権からの転換は根こそぎ覆され、非自民勢力はバラバラになった。
政権交代によって日本政治が前進するための構造改革をする暇もなく、細川氏の辞任は旧体制復活に手を貸した。従ってあと1,2年辞めずに頑張れば「55年体制」を構造的に変える事ができたと細川氏は批判された。この時の方が「殿、ご乱心」で、「晩節を汚す」行為だったのである。
その細川氏が再び政治に関わり出したのは2010年の民主党代表選挙である。参議院選挙で敗れたにもかかわらず菅直人氏は代表を続投しようとした。国政選挙に敗れた総理は責任を取るのが当たり前である。そうしなかったのは歴代総理の中でも第一次政権の安倍晋三氏しかいない。自民党は巧妙に安倍おろしを図り安倍総理は辞任させられたが、民主党は続投を認めようとした。その時に代表選挙に名乗り出た小沢一郎氏を細川氏は支援した。
次いで細川氏は野田佳彦氏を強く推して野田政権を誕生させた。しかし小沢氏は代表選挙に敗れ、野田氏もまた民主党を大惨敗させる結果となり、それが安倍政権を誕生させた。細川氏の中に何とかせねばという気持ちがあってもおかしくない。
細川氏と小泉氏が手を組む背景には「3・11」がある。「3・11」を日本の敗戦と見てその教訓を胸に立ち上がる政治勢力が台頭する事を私は願ってきた。それは現在の政治の風景を一変させる筈である。選挙の勝ち負けとは別にそれが今後の政治の在り方を大きく変えるきっかけになると私は思っている。
■《甲午田中塾》のお知らせ(1月28日 19時〜)
田中良紹塾長が主宰する《甲午田中塾》が、1月28日(火)に開催されることになりました。詳細は下記の通りとなりますので、ぜひご参加下さい!
【日時】
2013年 1月28日(火) 19時〜 (開場18時30分)
【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第1(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 302号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml
※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で懇親会を行います。
【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。
懇親会:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。
【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分
【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、お申し込み下さい。21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。
http://bit.ly/129Kwbp
(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)
【関連記事】
■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
http://ch.nicovideo.jp/search/国会探検?type=article
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
コメント
コメントを書くご投稿のように、政治風土が極度にバランスの崩れた情況に進むのは好ましいことではない。
政治によって保証されなければならないことは、「生命」「人権」「財産」などであるが、現政府の方向は、さまざまな問題を引き起こしています。
① 特定秘密保護法による人権侵害が起きないか、大いに懸念される。
② 集団的自衛権によって、若い人たちが戦場に送られるような事になれば、平和国家の風景が一変します。
③ 原発が再稼動されるということは、「生命の安全確保」が常に求められることになる。居住の不安が常に付き纏う。
今進められている政府の政策では、結局、「生命」「人権」がおろそかにされかねない。外交的には、必要以上に中国、韓国との摩擦が拡大し、平和国家の形がなくなり、戦争をする国に変質すれば、人口減に対処しなけばならない日本が若い人を戦場に送り出すことになりかねない。
仮想敵国、中国を必要以上に刺激すると同時に、国民の支持を集めるやり方は、政治の方法としては、邪道であり、細川氏が立候補し、「生命」の大切さを訴えることは、単に原発だけの問題ではなく、政治のバランス感覚を正常に機能させる意味でも価値がある。お話のように、リベラルな人たちが発言できる環境が出来るのではないか。現在のように、国会での議論が不足した状態で、物事が決っていく状態は、極めて異常である。