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結城登美雄:被災地から考える食の未来──古い大規模価値観から脱却を
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結城登美雄:被災地から考える食の未来──古い大規模価値観から脱却を

2011-07-13 13:11

    未曽有の被害を出した東日本大震災は11日、発生から4カ月を迎えた。漁港や魚市場 など少しずつインフラの復旧は進んでいるものの、岩手県では9割の漁船が喪失し、漁師は仕事を再開する目処すらたっていない。いっぽう、中央目線で発せら れる被災地「復興」プランは本当に被災者への支援策になっているのか疑問が残る。東北地方をすみずみまで知る民俗研究家の結城登美雄氏に、農漁村の再興の ために必要なことをうかがった。

    ※ 写真は3月11日以前に結城登美雄氏によって撮影されたものです。

    *   *   *   *   *

    結城登美雄(民俗研究家)
    110712_yuuki5.jpg

    復興のターニングポイントは6月18日、震災から100日目でした。

    漁師町が広がる宮城県の唐桑半島では、海難事故が起こると"百か日"の供養をします。事故から100日目に薪を焚いて火を灯し、花と供物をそえて沖からの霊を迎えます。事故で身内を失ない、心にさまざまな思いを抱える人たちが集まり、"死"を心に受け止めるのが東北漁村の供養の仕方です。

    ちっとも漁村の視点をもたないNHKをはじめとする報道機関は、現場のレポートを延々とやっていました。津波被害の大きかった浜の風習では、身内の人は「区切り」まで被災者との時間につきあいうため隣人、知人、肉親を気にして調子のいい話を一切しません。今回の震災でいえば、6月18日までは死者の ための100日なのです。区切りを境に、これからは生きる人間の時間だと立ち上がるタイミングが復興へのターニングポイントです。

    ──漁村地域の被害が甚大でした

    阪神淡路大震災が都市型災害だとすると、地震と津波による今回の震災は農漁村型でした。もっとも被害が大きかった地域が半農半漁の生活を送っていた 海辺の町や村でした。彼らは死と隣り合わせになりながら魚をとり、そこで収穫されたものがわれわれの食卓にのぼっていました。今回の震災はそれらを根こそぎさらっていったのです。

    水産庁の発表によると、福島県の全漁船数1,068隻のうち、8割にあたる873隻の漁船が被災したといわれます(7月5日現在)。全国第2位の水揚 量を誇る宮城県、第5位の岩手県の被害はいまだに調査が終わっていないのだろうか、「壊滅的被害」とあるだけで実態はわかりません。岩手県野田村の友人に 話を聞いたところ、3つの小さな漁港にあった220隻の船のうち、残ったのは3隻だけだそうです。宮古市では700隻あった船がほとんど全滅。被害額は100億円を超えると言います。宮城県荒浜港では80隻のすべての漁船が陸に打ち上げられ、7人の漁師が死亡しました。岩手、宮城の両県でおそらく9割以上の被害があったのではないかと思っています。

    110712_yuuki6.jpg

    ──結城さんが被災地と連絡を取り合ったのはいつごろですか

    被災から2週間が経とうとしたころ、浜の仲間と電話で連絡が取れました。みんなは被災したときの悲惨な状況だけでなく、「もう二度と、あの海のそばには戻りたくない」という言葉を口々に言いました。家と船を失い、漁業を辞めていく漁師たちが出てくるだろうと思いました。

    4月に入って初めて被災地を訪ねて歩きました。

     
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