2009年の総選挙からようやく1年が経過しようとしています。今回はその総選挙で初当選した青森県出身の中野渡詔子氏に、政治家になったきっかけや地元選挙区の課題についてインタビューしました。映像の後半では、自身の出身である小沢一郎政治塾・塾頭で、前民主党幹事長の小沢氏についてたっぷり語っていただきました。必見です!
名前:中野渡詔子(なかのわたり・のりこ)
政党:民主党
選挙区:東北ブロック
生年月日:1970年12月11日
座右の銘:面向不背(めんこうふはい)
趣味:芸術鑑賞(舞台、絵画、音楽など)
好きな食べ物:お米、お漬物
お気に入りの店:ゆず亭(十和田市)
HP:http://nikoniko-noriko.com/
─学生時代から政治家を意識していましたか?
学生時代、社会人時代を通して、政治家という職が自分の職業選択リストには入っておらず、自分たちが生きることに政治が直結している実感もありませんでした。
私は筑波大学大学院を卒業後、地元の十和田に帰り、舞台仕事の手伝いを経て市内のソフトウェア開発会社に勤めました。入社した翌年に妊娠をし、諸事情があってひとりで子どもを出産することを決めました。「未婚の母」「シングルマザー」として自分で生活し、子どもを育てることなります。
子どもを妊娠して出産した2,3年が自分にとっての転換期でした。1997年から98年は山一證券が自主廃業するなど、日本はバブルがはじけた後の苦しい時期を迎えていました。学生たちが就職出来ない状況や、幼児虐待のニュースが増えた時期でもありました。子どもができて、町内会や保育園の行事、保護者の方とのコミュニケーションをとるなかで、それらの範囲では解決できない問題や課題を感じ始めました。
子どもが小学生に行くようになると、ひとり親で子育てされている方や、子育てが大変で祖父母に預ける方などたくさんの方と会い、変わらなければいけないのは政治だと思いました。そして出産から子育てをした7、8年の間に、政治が生活に与える影響をひしひしと感じ、政治の大切さに気づくようになりました。
─選挙に出る直接のきっかけは?
娘が小学校3年生の頃(2006年)に「私は将来たこ焼き屋さんをやるんだ」と本人の夢を語ったことがありました。娘は続けて、「お母さんは大きくなったら何になるの?」と質問をしました。
ちょうど私に政治に対する思いが芽生えてきた時で、「お母さんは総理大臣になるんだよ」と真面目に答え、その答えは娘にとって印象的だったようです。
その頃、青森県連では第2区総支部の公募をしていました。私は娘との約束を果たそうと手を挙げ、県連で内定を頂き、民主党本部に通り、選挙間近に公認を受けて選挙に臨むという流れになりました。
─プロフィールには「2007年小沢塾入塾」とあります。入ったきっかけは?
小沢氏の側近である横山北斗(よこやま・ほくと)氏が青森1区の衆院議員で、私が手を挙げた後に小沢一郎政治塾を紹介して下さいました。しっかり勉強したいと思い、推薦をお願いして受験しました。
─塾の中身はどのようなものでしたか?
2年間の期間に4日間の合宿が4回あります。合宿に必ず参加することと、レポートを提出すれば、卒塾出来ます。塾生が班ごとに分かれて行うディベートがありました。テーマは「二院制は是か非か」や、当時始まったばかりの「赤ちゃんポスト」など時事的なニュースも取り上げていました。
─入塾してよかったことは?
1年目には前年に入学した6期生、翌年には新しく入る8期生と入塾する2年の間に3期の方々と交流できることです。選挙において、小沢一郎塾の各期(6〜8期)から当選することができたので、最初から仲間がいることは大変心強く思いました。
─小沢氏についてどんな印象をお持ちですか?
政治の根っこを把握し、人の使い方や力の使い方をわかっている方だと思っています。やれるのは小沢先生しかいないと思います...
(続きは映像「【第36回政治家に訊く】民主党・中野渡詔子」をご覧ください)
─地元選挙区が抱える問題は?
地元選挙区は下北地区と上十三地区の2地域に分けられます。どちらの地域も1次産業である農林水産業がとても豊かです。十和田市は県内で最も広い水田地帯で、下北半島は3方を海に囲まれており、ホタテ、ナマコ、まぐろ、イカなど魚介類が豊富に捕れます。
しかしその1次産業は、国全体から見ると低迷しています。今は概算要求の時期ですから、「まずは農林水産にがっぱど(どっさりと)予算をよこしてくれ」と言いたいです。現状維持のまま予算編成をしたって何もなりません。農林水産業に力を入れることが地域振興の根幹になります。民主党は「農林水産から雇用を創出する」と言っており、思い切ったことをしなければなりません。
─重視したい政策も農林水産ですか?
農林水産です。国会議員になって、まず最初に所属する委員会の希望書を出します。3つの候補を出して割り振られるのですが、私は第1希望に「農林水産」とだけ書いて提出しました。
食べることは生きることです。生きるために食べるのですから、一番大事に考えなければなりません。子どもからお年寄りまで誰にもつながることで、中央と地方をつなぐものでもあります。経済の根幹は農林水産です。
─民主党の農水政策に期待した有権者からは、若干批判が増えてきているように感じます
"若干"どころか、非常に厳しい意見を頂いてます。自民党時代の農水政策は、大事にしている様に見せながら国民を痛めつけてきたということが肌で感じられます。その分、民主党には大きな期待を頂いていたのだと思います。
その期待に簡単に応えられると思ったら、やりたいと思う方向になかなか進みません。子ども手当や高校授業料の無償化、農家の戸別所得保障については民主党が大きく打ち出した政策であり、今年度からスタートできましたけど、それ以外の課題は法律、法律、法律...の壁が立ちはだかり、制度を見直すだけでも膨大な時間がかかります。政権交代直後は自民党時代からの「官僚政治」が国民の皆さんの頭にあり、「官僚の壁は厚いでしょう」と言ってくれました。1年経って、「官僚の壁」などと言っても逆に突っ込まれます。
─今年の参院選前に民主党が発表したマニフェストについて、昨年と比較して変化が見えます。どう考えていますか?
私達は2009年の総選挙でマニフェストを掲げ、それを4年間で達成すると約束して国政の場に上がってきました。
政府の事情で急にマニフェストを変えられたりすると、私達は有権者に何も言い訳出来なくなってしまいます。4年間で達成することを急かした上に、マニフェストを変えて参院選挙に臨んだので、「民主党は何をやっているんだ」と言われています。原点に戻ってくれないと...。
─ちょうど1年経ち、残りの3年間の任期をどういう意気込みで臨みたいですか?
できることは限られています。死ぬほど頑張って、地元の有権者、国民の皆さんに少しでもいい法案を通していくことが自分たちの仕事だと思っています。
インタビューでは、中学生になるお子さんの話題がたくさん出てきました。子育てをしながら働く政治家・中野渡さんからは、女性の新しい働き方が見えてくるかもしれません。
─この1年で応援してくれた娘さんに変化がありますか?
候補者の時は「お母さんは朝早くに家を出て、寝た後に帰ってくる」と不満を漏らしていました。地元選挙区にいるのに、ごはんを一緒に食べられない、そばに居てくれないことに対してフラストレーションを抱えていた様です。
当選して私が東京で生活する様になってからはあきらめたようです。東京にいたら会いたくても会えないと思うのでしょう。インフルエンザにかかった時や、授業参観や面談などの学校の行事があるときは─法案採決がないことが前提で、国会を休ませて頂くこともありました。地元にいれば、一緒にごはんを作ったりします。
─政治の仕事と子育てを両立している政治家は珍しいように感じます
当たり前のようにやっているので目新しいようには思えないですけど、子供の学校行事を優先しています。学校行事で保護者が協力する必要があれば参加するようにしています。
─子育てとの両立で大変だったエピソードはありますか?
夜11時頃に私が帰宅して突然、「明日はお弁当だから作ってね」と言うことがありました。どこで買い物したらいいか困りましたよ(笑)