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タツクさん のコメント

この気、何の気、気になる気。
なるほどー、この気だったかあ。
No.9
136ヶ月前
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7    何故、宇名月典善 ( うなづきてんぜん)がここにいるのか。  龍王院弘 ( りゅおういんひろし)はそう思った。  自分の方が、かつての師、典善にそう問いたかった。  自分が、典善のもとから去ったのは、このままでは、いつか自分はこの師と闘うことになると考えたからだ。  言い出したのは、典善からだ。  出てゆけと言われたのだ。  このままじゃあ、おめえを殺しちまうかもしれないと、そういうことを言われたのではなかったか。  ちょうどよかった。  龍王院弘自身も、似たようなことを考えていたのだ。  闘ったら、どうなるか。  負けるとは思っていなかった。  しかし、勝てるとも思ってはいなかった。  だが、このまま一緒にいれば、ある時、ふいにその瞬間が来てしまうような気がした。  その結果、自分は典善を殺してしまうかもしれない。  逆に、自分が典善に殺されてしまうかもしれない。  そういう闘いになるであろうということはよくわかっていた。  典善も、そう思っていたはずだ。  しかし、それは思いあがりであったかと、今はそう思っている。もしかしたら、心のどこかで自分はそう思っていて、典善のもとを去ったのかもしれない。  いつか、典善を倒すためにそのもとを去ったのだと。  自分は、この典善に対して、屈折した愛情を抱いていると、龍王院弘はよくわかっていた。  恨みなどはないのだ。  ただ、一緒にいるどの時も、典善は、一度たりともこの自分に心を許したことなどなかったと、龍王院弘はわかっている。  典善に認められたい――常にその想いはあった。  自分が、典善と闘うということは、そういうことであった。  弟子であるから、師を超える。  その時、典善は、悦んでくれるのではないか。  この自分に負け、たとえその結果が死であろうとも、この典善はそれを悦んでくれるのではないか。  典善に悦ばれたい。  だから、典善を殺したい――そういう矛盾する想い。  そんな、夢のようなことまで考えていたのだ。  しかし、今、典善は、ひとりの男を連れている。  菊地良二 (きくち りょうじ)。  足の短い、ずんぐりした小男。  まだ若い。  見ただけで、高校生とわかる。  どうして、こんな男が、宇名月典善とくっついているのか。  昏 ( くら)い眸 ( め)をしていた。  陰気で、粘液質な性格。  そうか。  わかった。  典善は今、この男を弟子にしているのか。  典善好みの何かが、この男にはあるのだろう。  かつて、自分が、そうであったように。  ちろり、  と、暗い、青い炎が、龍王院弘の心の底に点った。  嫉妬と呼ばれる炎だが、そこまでは、まだ龍王院弘自身も気づいてはいない。 「なんでえ、その面 ( つら)は?」  典善が言った。 「面?」 「ひろしよ、てめえ、ボックとかいう外人にやられたってえ話じゃねえか」  典善は、唇の片端を吊りあげて嗤 ( わら)った。  どうして、典善はそのようなことを知っているのか。 「よかったな、ひろし」  典善は言った。 「よかった?」  苦いものが、こみあげる。 「これで、てめえはもっと強くなるぜえ」  いつもの典善だ。  龍王院弘の知っている、宇名月典善のもの言いだ。 「気をつけろよ、ひろし」  ふいに、典善はそう言った。 「今、おれが連れているこの男、菊地良二と言うのだがな、こいつ、強くなるぜえ。才能は、おめえの十分の一だが、外道の素質はてめえの十倍よ――」  けく、  けく、  けく、  と、宇名月典善は嗤った。 「まあ、いい。今日は、そういう話をしたくて、こんなところまでやってきたわけじゃねえからな――」 「何故、こんなところに?」  龍王院弘は訊ねた。 「あるものを、追ってきた……」  典善は言った。  あるもの――  という言葉の響きを、耳で聴いた途端、ぞくりと、戦慄が龍王院弘の背を疾 ( はし)り抜けた。  あるもの、それは、あれではないか。  ついさっき、龍王院弘自身が遭遇したもの。  他に、何が考えられるのか。  微かに、身体が震えた。 「ひろし、てめえ、見たな……」  宇名月典善がつぶやいた。  龍王院弘は、唇を噛んだ。  見た――  そう言うつもりだった。  しかし、その言葉が出てこなかった。  典善の口調からすると、典善は、あれを追ってきたことになる。典善は、すでにあれと出会っているということか。あれを見ていながら、なお、典善はあれを追ってきたというのか。 「震えてるのか、ひろし……」  典善は言った。  典善に、怯 ( おび)えている様子はない。  むしろ、興奮しているような様子さえある。  追っているということは、あれは逃げているということだ。典善と友好的な関係にあるわけではないだろう。  ということは、つまり、追いついたら、そこで、典善は、あれと闘うことになるのではないか。  無理だ。  龍王院弘は思う。  あれと対峙したら、いかに典善と言えど、闘いようがない。あれは、人間ではないのだ。  あれが迫ってくると、不思議なことに、喰われてもいい、そういう気持ちになってしまう。  こいつになら、喰われてもいい。  そう思ってしまうのである。  だが、この典善なら――  龍王院弘は思う。  この典善なら、平気であれと闘うことができるのではないか。  龍王院弘がそこまで考えた時、  ぽっ、  と、明りが点ったような気がした。  ここではない。  別の場所だ。  ほんの一瞬のことだ。  本物の明りではない。  別のもの。  一瞬の光。  どういう時に、そういう光を見るのか、龍王院弘は、わかっていた。  気を、顔に当てられた時だ。  実際に、気は光を発するわけではないのだが、その光を浴びせられたと、受けた方は感じてしまうことがあるのである。  時にそれは、熱であったり、風圧であったり、打たれるようなものであったり、様々なものであったりする。  その時、気を放つ者と受ける者の心のあり方で、それは様々に変化をする。もちろん、物質的な力はともなわないが、生体は、それを感じとることができる。  当然様々な鍛錬や修行の度合に応じて、それを感じとることのできる者やできぬ者がいるが、龍王院弘も、そして、宇名月典善も、それを感じとることができた。 「む」  と、典善は、視線を、右手の森の中へ向けた。  誰かが、典善が視線を向けた方角で、気を放ったのだ。  それも、相当に大きな、強い気を。 「弘、話はここまでじゃ。ゆかねばならぬでな――」  宇名月典善は、背を向けた。 「ゆくぞ」  そう言って、宇名月典善は、疾り出していた。 画/晴十ナツメグ 初出 「一冊の本 2013年9月号」朝日新聞出版発行 ■電子書籍を配信中 ・ ニコニコ静画(書籍)/「キマイラ」 ・ Amazon ・ Kobo ・ iTunes Store ■キマイラ1~9巻(ソノラマノベルス版)も好評発売中   http://www.amazon.co.jp/dp/4022738308/
キマイラ鬼骨変
待望の新章「鬼骨変」がニコニコで連載開始!



⼰の内に「獣」を秘めた⼆⼈の⻘年を描いた、作家・夢枕獏の“⽣涯⼩説”。

1982 年に朝日ソノラマから第1巻「幻獣少年キマイラ」が刊⾏されてから 31 年、これまでに別巻を含めて 18 巻(ソノラマノベルス版〈朝日新聞出版刊〉は本編 9 巻、別巻1 巻)が発売されている。