• このエントリーをはてなブックマークに追加

  • キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 10

    2013-11-13 00:003

         10

     九十九(つくも)の見ている前で、久鬼が静かになっていった。
     騒いでいた顎(あぎと)たちの声がおさまってゆき、猫が喉を鳴らすような、低い唸り声のような、甘えるような、そういう声を発するようになった。
     獣毛が抜け落ちてゆく。
     久鬼の全身から生えていたものが、ゆっくりと、身体の中に消えてゆく。
     消えぬものも、あったが、それはまた別のものになってゆく。
     それらが、背から生えた、一本ずつの青黒い腕となってゆく。
     幾つかあった顔が、久鬼の顔の周囲に集まってゆく。
     どこかで、見たことがある――
     九十九はそう思った。
     顔が、幾つかある仏像。
     腕が何本もある尊神。
     獣のような、牙を生やした神。
     不動明王?
     大威徳明王、ヤマーンタカ?
     久鬼は、そのような姿となった。
     巫炎(ふえん)の翼が、ばさりと振られた。
     久鬼の翼が、ばさりと動く。
     ふたりの身体が、ふわりと草の上に浮きあがった。
     ゆっくりと、ふたりの身体が、抱きあうようにして浮きあがってゆく。
     上へ。
     風の中へ。
     月光の中へ。
    「久鬼……」
     すでに、ふたりの身体は、周囲の梢よりも高くなっていた。
     ふたりの向こうに、月があった。
     ふたりは、もう、風の中にいる。
     ふたりは、もう、月光の中にいる。
     ふたりの身体が、移動してゆく。
     自らの意志でそうしているのか、風に流されているのか。
     その時、背後に人の気配があった。
    「ここか――」
     声がした。
     振り返ると、草を分けて、宇名月典善(うなづきてんぜん)がこちらへ向かって歩いてくるところであった。
     その後ろに、菊地(きくち)がいて、さらに銃を持った男たちが続いていた。
     すでに、宇名月典善の眼は、草の上の肉塊のようなものを眼にしている。
    「どうした。何があった!?」
     問うた典善の視線が、上に向けられた。
    「あそこだ!」
     天に浮いた巫炎と久鬼の身体が、風に流されるようにして、梢の向こうへ消えてゆくところであった。
    「追うぞ――」
     典善が、すぐに疾り出した。
     話を交す間もない。
    「事情は、後で聞く――」
     背中越しに、典善が言った。
     一瞬、九十九と菊地の眼が合っていた。
     が、言葉は交さない。
     菊地はすぐに、典善の後を追って、銃を持った男たちと共に、森の中へ消えた。
     気がついてみれば、つい今までそこにいたはずの、ツオギェルの姿もまた消えていた。

    cd09dbf31a915819e430b5bcc3ced6d0b73d522f

    画/ケースワベ



    初出 「一冊の本 2013年11月号」朝日新聞出版発行

    ■電子書籍を配信中
    ニコニコ静画(書籍)/「キマイラ」
    Amazon
    Kobo
    iTunes Store

    ■キマイラ1~9巻(ソノラマノベルス版)も好評発売中
     http://www.amazon.co.jp/dp/4022738308/
  • キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 9 (2)

    2013-11-06 00:005

     啖(くら)えだと?
     啖えだと?
     いいだろう、啖ってやろう。
     おれは、噛みついた。
     そいつの身体に牙をたててやった。
     ぞぶり、
     肉を噛みちぎってやった。
     生あたたかい血の味が、口の中に広がる。
     なつかしい味だ。
     美味(うま)い。
     呑み込む。
     食道を通って、胃の中へ。
     どこにある胃か。
     すでに、おれの身体から生えたいくつもの顎が、そいつの胸や、尻や、腕の肉を喰っている。
     それを呑み込み、消化してゆく。
     体内に、その血が溶けてゆくのがわかる。
     もう一度――
     左肩の肉を、齧(かじ)りとる。
     なんという、不思議な味か。
     おれの血が、そいつの血と混ざりあっている。
     溶けあっている。
     三度目――
     それは、できなかった。
     おれは、動きを止めていた。
     なんということだろう、おれは、思い出している。
     そいつ――こいつのことを。
     こいつのことを、おれは知っている。
     この味を、おれは知っている。
     こいつの血と自分の血が混ざりあってゆくのにつれて、何かが急速に萎(な)えてゆくのがわかった。
     天に向かって、激しく屹立(きつりつ)していたものがゆっくりと、その硬度を減じてゆく。
     なんだ!?
     どうしたのだ。
     おれの身に、何が起こっているのか。
     こいつの両手が、おれの身体から離れ、おれの両手首を握った。
     あらがおうとしたのは、一瞬だった。
     そいつの力のままに、おれは、両腕を頭の上に持ちあげられてゆく。
    「掌を合わせるんだ」
     おれは、いやいやをしようとした。
     しかし、両手を開き、おれは、おれの頭の上で、掌を合わせていた。
    「呼吸を――」
     そいつは言った。
     すう、
     はあ、
     と、そいつが呼吸をする。
     その呼吸に、おれの呼吸が合ってゆく。
    「気をためろ。ためて、両掌の間に念玉(ねんぎよく)を作るのだ……」
     念玉?
    「念玉だ」
     知っている。
     どこかで、それをやらされたはずだ。
     つい、このあいだ。
     ニョンパ?
     だれから教えられたのだったっけ。
     どこだろう。
     いつだろう。
     どこでもいい。
     いつでもいい。
     念玉を、おれは作った。
    「それで、押さえるんだ。その念玉と、他の六つのチャクラを合わせて、鬼骨(きこつ)の力を押さえるんだ」
     押さえる?
     どうすればいいんだ。
    「できるさ」
     おまえはできる。
     おれは、それをやった。
     肉の中であれほど猛っていたものが、ふいに、咆吼(ほうこう)するのをやめた。
     歯を軋(きし)らせるのをやめた。
     獣が、静かになっていった。

     ひゅう……

     と、久鬼(くき)が鳴いた。

     あるるるるるる…………
     あるるるるるる…………



    初出 「一冊の本 2013年11月号」朝日新聞出版発行

    ■電子書籍を配信中
    ニコニコ静画(書籍)/「キマイラ」
    Amazon
    Kobo
    iTunes Store

    ■キマイラ1~9巻(ソノラマノベルス版)も好評発売中
     http://www.amazon.co.jp/dp/4022738308/
  • キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 9 (1)

    2013-10-30 00:002
         9

     そいつは、見たことのある顔をしていた。
     森の中から、ふたりで、ずっとおれに話しかけてきた、あの声を発していたやつらのかたわれだ。
     説教師(マニパ)ツオギェル――
     そう名のっていたっけ。
     そいつが、話しかけてくるのである。
     もう、やめろ――と。
     もう、いいではないかと。
     なんだか、うるさい。
     なんだか、わずらわしい。
     大きなお世話ではないか。
     こんなに、自分は今、満ち足りていて、しかも気持ちがいいのに。
     どうして、これをやめねばならないのか。
     そうだ。
     こんなに、幸せなのに……
     だが、妙に不安になる。
     おまえは、どうして、そんな哀しそうな顔をするのだ。
     さっきの、二本足の大きな漢(おとこ)も、そうだ。
     哀しそうな顔で、おれを見ていた。
     そんな眼で、見られたくない。
     そんなに哀しい眼で、おれを見るんじゃない。
     哀れに思われたり、可哀そうに思われたりするなら、怖がられた方が、まだマシではないか。
     恐れられた方がいい。
     独りでもいい。
     独りというのは、もともと、よく研がれた薄い刃物の上に、素足で立つようなものだ。
     いつ、バランスが崩れて、自分の足を傷つけてしまうかわからない。
     それでもいいのだ。
     哀れな人間でいるより、怖れられる獣でいることの方が、おれはいいのだ。
     あんまり、そこをうるさく言われると、
     ほら――
     また、背骨が曲がる。
     ぎしっ、
     みしっ、
     そういう音が、耳に響く。
     自分の骨が、曲がる音だ。
     変形(へんぎよう)してゆく音だ。
     ふふん、
     あんまり、うるさいことを言うのなら、もう一度、また、あの獣になって、おまえらみんな、喰ってやろうか。
     その時、もうひとりのやつが出てきて、服を脱ぎはじめたのだ。
     何だろう。
     何をする気だろう。
     額から、二本の角まで伸ばしている。
     ふわっ、
     と、そいつが、月の光の中に浮きあがった。
    「麗……」
     と、そいつの声が聴こえた。
     麗?
     何のことだ。
     人の名前か。
     その麗というのは、このおれの名か。
     宙に浮いたそいつは、ゆっくりと、おれの眼の前に舞いおりてきた。
     半分、獣の顔をしている。
     しかし、なんとも痛ましい眼で、おれを見るのだ、そいつは。
     気にいらない。
     さざ波のように、怒りが広がりかけたが、それがおさまったのは、そいつの顔が妙になつかしかったからだ。
     こんな面をしているのに、どこか、遠い昔、自分はこの顔の人間を知っていたのではなかったか。
     そのことを考えると、じんわりとした温かみが、身体の中に満ちてくるようだった。
    「息子よ……」
     と、そいつは言った。
     息子!?
     何だ、息子というのは。
     おれが、おまえの子供だというのか。
     その時、ふいに、おれの身体は、そいつに抱きつかれていた。
     きえええ……
     ぎいいい……
     おれの身体から生えているものたちが反応し、そいつに噛みついた。
     肉を噛みちぎり、啖(くら)う。
    「かまわん、麗……」
     と、そいつは言った。
    「息子よ、おれを啖え」
     と。




    初出 「一冊の本 2013年10月号」朝日新聞出版発行

    ■電子書籍を配信中
    ニコニコ静画(書籍)/「キマイラ」
    Amazon
    Kobo
    iTunes Store

    ■キマイラ1~9巻(ソノラマノベルス版)も好評発売中
     http://www.amazon.co.jp/dp/4022738308/