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別冊 club Zy.[vol.2] 己龍
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別冊 club Zy.[vol.2] 己龍

2013-10-22 12:00
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    撮影:菅沼剛弘 / インタビュー:西村綾乃
    Photographs by Takehiro Suganuma / Interview by Ayano Nishimura
    [2012年5月掲載]

    参輝ら3人の上京が始まり──結成から、クラシックを独学で学んだ楽曲作りまで
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    ――己龍のみなさんはインタビュー初登場です。結成のいきさつから教えてください。
    遠海准司 僕と(酒井)参輝と、(九条)武政の3人で(静岡から)上京したところが始まりだよね。一緒にやろうと。
    酒井参輝 僕と武政が一緒にバンドをやっていて、准司はサポートっていう形でドラムを叩いてくれていて。ほぼずっと一緒にやっていたよね。
    遠海 当時僕はTシャツにジーンズとかでドラムを叩いていたんですよ。
    九条武政 そう。元々准司はヴィジュアル系じゃなかったから、3人でバンドをやろうと企画したとき、最初に考えたのは准司をヴィジュアル系にするっていうところだったよね。准司の説得から始まりました。口説き落としたよね。
    遠海 そうですね(笑)。いずれ東京に行こうと思っていたし、武政とは高校のときからの付き合いだったから、これも何かのきっかけかなぁって思って。いいよって。
    酒井 だいぶ、くどかったよね。

    ――口説きが?
    遠海 いや、音が(笑)。でも良かったよ。最初はノリだったような気もするけど。
    酒井 そうね。勤めていた会社も辞めてね。
    遠海 ちゃんと正社員でしたからね。

    ――え、高校卒業とかで上京したんじゃないんですか?
    遠海 あ、えーと。高校卒業して専門学校に行って勤めてからバンド組んでいたんですよ。お金溜めようと思って。
    酒井 電池を見るのが仕事だったんだよね。
    遠海 ハイブリッド電池を造っていたんですよ。見てるだけじゃないよ。そりゃ、検品もするけどさ。そろそろ(一色)日和くんいこうか。
    一色日和 え、僕ですか。僕は、「こいつ下手だ」と思われていたんですけど、やる気があったんで、とってもらいました。
    遠海 ざっくりだな。なんやかんやあって、眞弥が加入しましたね。
    酒井 ひよりんは、なし崩し的に入ってきたからね。
    黒崎眞弥 僕については、メンバーが一番悩んだんじゃないかな。入れるかどうかのとき、2対1で負けてましたもん。
    酒井 武政と准司とどうするって話していて、武政は「あいつでいいよ」って言ってたけど、オレら2人が「歌が下手だからな…」って悩んでいたよね。

    ――え、そうなの?
    酒井 そう。で「オレをとってくれ!!!!!」ってアピールがすごかったんだよね。
    黒崎 普段はそういうの絶対しないんですけど、デモテープを聴いて心からやりたいって思ったんですよね。だからすごいアピールをしました。それが功を奏してとってもらえたのかなって思う。

    ――どこに惹かれたんですか?
    黒崎 どこにも所属していなかったんで、当時は4、5バンドくらい誘いがあったんです。ライブを観に行ったり、セッションをしたりしたけど、どれもしっくりこなかったって言うか、「この人とやりたい!」っていう衝動が起きなかったんです。己龍は共通の友人が繋げてくれたんですけど、最初に話したときの印象がすごく良かったし、音楽もしっかりしていて、あとバンドの将来についての展開も考えていそうな気がしたので、いいかなと。自分が入った後の見え方についても、僕自身の考え方とすごく合っていたから入りたい!と。デモテープを聴いたときは、メロディー、特に歌メロの良さにはまりました。

    ――バンドとしての方向性って、いつごろ決まったのですか
    黒崎 オレが入ってから決まったんですよね。
    酒井 うん。最初から「こういうバンドをやるから一緒にやろう」じゃなかったよね。5人集まって、「じゃあどうしようか」って話をしたよね。だから全員で「これだ!」っていうものが打ち出せたと思っています。コテコテな感じのバンドがやりたいって。で、武政が「和製ホラー」っていうテーマを持ってきて、そこで固まった。曲や歌詞の内容をノスタルジックの下にやっていこうとかね。

    ――それが2007年9月の結成の頃ですか?最初からこの着物のスタイルなのですか?
    遠海 そうですね。割とこういう感じではあったよね。
    酒井 うん。でも途中でぶれて、自分たちでも方向性がよく分からなくなったときがあったよね。伸び悩むと言うか、停滞するっていうか誰でもあると思うんですけど。壁にぶつかって、どうしようかって試行錯誤したとき、いまの事務所の人たちに会ったんです。5人では見えなかったものも、客観的な言葉をいただいたことで、あ、そうかって気付いたり、こうしていこうっていうのがまた見えたんです。和製ホラーっていうテーマを掲げてやってきたけど、和の部分に意識し過ぎて、和の持つ煌びやかさに寄りすぎていたっていうのかな。ホラー感が足りなかったんですよね。いまはホラー感が出ていると思います!

    ――音色が豊かですし、音の作り方がち密だと思うのですが、子どものころからクラシックに親しんできた方とかがいらっしゃるのでしょうか?
    九条 やってないです。
    酒井 全くの独学です。
    九条 己龍を始めてからクラシックを勉強しました。
    酒井 それまでやってきたバンドってバンドサウンドのみの楽曲をやっていて、シンセサイザーの同期についても、どういうシステムなのか、どうやって曲を流しているのとかも全然知らない状態だったんです。己龍を始めてからそういうのも必要なんじゃないかと気付いて、曲を主に作っている武政と話をして、「じゃあ、勉強するか」って始めたんだよね。

    ――どうやって学ばれたのですか?
    酒井 クラシックの概念と言うものをまず、全く知らないのでそこからですよね。クラシック音楽の中で、ビオラとかバイオリンとか、それぞれの楽器がどういう役割でいるのかというところから勉強を始めました。先生は教本です。どういうときに、どの楽器を使うのか、本を読んで勉強しました。

    ――本、ですか。
    酒井 そうです。結構勤勉ですよ(笑)。

    ――YOSHIKIさんはピアノ、SUGIZOさんはバイオリンと、子どものころ楽器をやってらっしゃる方って多いと思うのですが、みなさんは?
    酒井 やってないですね。僕、ギターしか弾けないです。
    九条 僕もギターだけ。
    遠海 僕も基本的にはドラムだけ。あとは電池見て(笑)。
    酒井 あはは。あれですね。曲を作るときって誰かに教えてもらうわけじゃないじゃないですか。自分の感性なんで。ドラムだって最初はどういうリズムを刻んでいるのかだって、最初は分からないわけだし。全部手さぐりですね。ギターも教室に通っていたとか、そういうのじゃなくて、ギターを弾けるようになりたいから、教本を買って、楽器を買って、練習を始めた。

    ――見た目は怖そうですが、音の作りからも感じますが、真面目なんですね(笑)。
    酒井 (笑)。地味にコツコツは嫌いじゃないですよね。
     
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