8月12日に「涙橋ディンドンバンド」を観た。
八神蓮くん芸能生活10周年記念公演と銘打って銀座博品館劇場で行われた公演だ。
見た直後に感想を書こうと思ったけど、せっかくの周年企画なので遠慮して年末最終日まで待った。
芝居は面白かったし、観客席は拍手に笑いにとっても盛り上がった。
舞台上は安里勇哉くんも入った同じ事務所の仲間内だけの心地よさと、さすが美人女性社長の人格とお酒好きな人柄が若い男性俳優たちに親しまれ尊敬されている感が見え、とてもまとまっていて皆リラックスして芝居に温かみがあり、文句なかった。それが僕の客観評価だ。
なのでこれから書くことは文句ではないので、ただの八神蓮が好きな僕の個人的主観的感想と思って読んでみてください。
八神蓮10周年企画、これがついているから言いたくなる。
ただの演劇ではなく、彼のための演劇で彼のために書かれた脚本で、しかも「アテガキ」をしたのだと聞いた。彼の10年前のパジャマ姿を知っていて、この10年間も濃い、薄いはあるけど付き合いは続いていた、だから違和感満載なのだ。
2010年からは今も続く「ブギウギ★ナイト」で月1回は彼の天然に驚かされていたし、いくつかの彼の芝居も観劇していた。だから僕の中には八神蓮のイメージが僕なりにできていて、そのイメージは僕の机の彼専用の引き出しにきちんと紙に書いて折りたたんでしまってある。
10周年企画でアテガキ、今までの10年を振り返り、スタートではここまで続くかわからなかったけど、頑張ってちゃんとひとつづつ階段上って今の高みに上ってきたね、よかったね、だからこれからの10年も今まで以上に頑張って彼なりの才能とセンスを生かしてもっともっとお客さんに喜んでもらい、人々に求められよう頑張らなくっちゃ、期待してくださいね、というのが10周年の意味だろう。だからこその彼がトップの事務所総出演の芝居を、彼の人生にふさわしいように彼の人格にアテガキをしようとしたのだろう。
それがこの芝居なのか、とあまりの目的に対しての無神経さに芝居が終わったら、がっかりした。
親の職業を引き継いだチンドン屋さんは設定としてはいろいろ見せ場作れる意味ではいいかもしれない、でも未来的な職業ではない、ことは大方の賛成してくれるところだろう。
この10周年公演の意味は、今までにすでに10年があり、この公演はその先にある未来の10年のスタートラインの公演だろう。だから彼のための企画に、絶滅が危惧される職業の店主という設定は、設定としてありえない、もっと未来志向の希望の持てる設定にすべきだろう。話の中身のことではない、人情話にしてはいけないなんて言っていない、設定の話だ。もし設定をこのように作るのだったら、彼の個人の性格か趣味か、今までの彼のキャリアで出会った事実とか、現実に何らかの手掛かりのある設定にしてあればまだしも、お話つくりのためだけの設定なら周年企画が泣く。
しかも八神くんの性格が何人かの若者たちを率いてチンドン屋として町に繰り出し、それらの若者を激励しながら後輩の面倒を見て親分肌を発揮する、という全然彼の性格にない設定になっている。
アテガキと言っているのは字面だけのことで、実際には、主人公を彼にして主人公が際立つ話を書いただけ、書いた人は八神蓮という俳優には全く興味がない、自分の世界の中でいつか芝居にしようと思っていたイメージを脚本を書いてくれと依頼があったから、そのモチーフを使った話を書いて、ちょっと最後に10周年の口上述べる小さな場面をとってつけて、これをもってアテガキですよ、と知らん顔をする、誠実さに欠けるやり方だと思う。
なんでこうなるの、彼は見た目の通り、やさしさとゆったりとした夢の世界で生きる性格でしょう。もっと言えば恐竜を愛し、どの恐竜が好きなのと聞いたことあって答えを熱っぽく語ってくれた、語るだけでなく絵に描いてくれたりしたけど、ぼくの知らない=一般的でない恐竜で、彼の奥深さが分かっただけの結果になった。そうです、彼にははるか1億年前の世界が見えてるのです、そんな太古の昔に思いを寄せる心優しい純粋さの塊が彼でしょう。
若者率いて率先して鼓舞する、ましてふんどし姿になって騒ぐなんて、観客の中にそういう姿観たいという希望があるかもしれないけど、でもそんな品のないこと彼はしない、こういうことをしてまで町の人の注目集める必要があるのだったら、ちんどん屋さんという職業には彼は最も向いていない、絶対に向いていない。特に、彼にふんどしなんてその場の受け狙いの品のないことさせないでほしい。
この芝居を作った人が世の中と八神蓮という俳優との関係を分かっていないと思うことが一つあった。それはチンドン屋さんと併設されているお姉さん?と共同経営する麻雀屋があり、これも今の文化娯楽状況を見れば、失礼ながら絶滅危惧種に入っているか、これから減っていく分野なことは間違いないジャンルの店舗だろうが、そういう設定のセンスのなさは別にして、僕が未来志向であるべき企画の中で、そんなことしてしまっていいの、と芝居作った人の神経を疑った場面があった。
もっともらしい理由はあったけど、その麻雀屋さんを脅しにかかる怖いお兄さんたちが登場し、いうこと聞いてミカジメ料払わないと大勢で押しかけて一日中その麻雀屋さんに居座って大声あげてもいいんだぞ、と脅かされ、お姉さんの生活守るために、ミカジメ料はらって店を守る、という場面だ。こんな話やくざ映画でなら別に文句言いません。素敵なココロ優しい俳優、八神蓮の10周年企画の中で、彼に怖いお兄さんにミカジメ料払うことを肯定させるなんて、駄目でしょう。
次の20周年には、ぜひ恐竜の模型屋さんというこれももちろん絶滅危惧職業に指定されているかもしれないけど、それでも彼には何が何でもこの職業はやる意味ある、そう個人的にモチベーションがある企画で、人情話でもいいけど、夢のある演劇作ってほしい。
僕だったら、できればですが、こんな話。
八神くん、お店に飾ってある恐竜に、1匹、1匹全部名前つけてて、毎日そんな恐竜たちと独り言の会話してたら、その中のお気に入りのある1匹があるとき現実化し、僕だったらトリケラトプスがいいかな、ぜひ故郷の村に招待するから、母親のシダの葉っぱでダシとったシーラカンススープ飲みに来てくださいよ、って言われ夢か現かわからぬ間に白亜紀のまだ大陸とつながっている時代の日本列島に旅する、でお母さんが病気になっていてシーラカンス漁に出れなくて料理できなくて謝られながらも、病気に気が付いた八神くんもしかして自分が中学時代にかかった難病ではないかと疑い、たまたま持参していた中学時代のカバンに残っていたその時の薬をお母さんに、持って行ったスマホの保存データにあったそのほかの幾多の治療方法使って苦労して病気治してあげて、おみやげに大きな石貨幣もらって帰ってくる、でその石貨幣が化石として天然記念物に指定され店のシンボルになり、お店は廃業の危機脱してめでたし、なんて脚本作って「八神蓮芸能生活20周年記念公演」実現してください、ぜひ。
コメント
コメントを書くはじめまして
ミュを初代から拝見し
なんとなくマベ株を保有し続け
八神さんの全舞台を見ている者です。
実は何度か会場でお声をかけさせていただいたことがあります。
片岡さんはこの舞台のことをお書きにならないのでは、と思っておりました。
2016年の舞台の中では役柄が発表されてから一番
「これは八神さんが苦手な役だ…」と思った舞台でした。
もうちょっと八神さんが輝く設定にすることはできなかったのかなあ
と思いつつ
後輩たちファンも楽しませるお祭り騒ぎにするため
こうするしかなかったのかなあと考えていました
今日、片岡さんのこのブログを拝見して
なるほど、と思いました
今年は八神さんの新しい魅力を発見した舞台もあったので
八神さんの十一年目も楽しみにしています
片岡さん企画の舞台も見てみたいです
よろしくお願いいたします。