平成日本で大きく飛躍したエンターテインメントの一つに、「2.5次元舞台」がある。マンガ・アニメ・ゲームなどを原作さながらのビジュアルで俳優が演じる舞台で、その興行規模は150億円を超え(ぴあ総研調べ)、年々右肩上がりになっている。平成30年(2018年)のNHK紅白歌合戦では、「刀剣乱舞」の刀剣男士が登場、大きな話題を呼んだ。
その先駆者となったのが、平成15年(2003年)初演の「ミュージカル テニスの王子様」(以下、テニミュ)だ。上演を繰り返し、今やプラチナチケットと化したこのシリーズは、観客動員累計250万人以上を記録し、多くのトップアーティストをも輩出するコンテンツに成長した。
また「テニミュ」で特筆すべきは、ニコニコ動画に投稿されたこの公演の模様が「空耳」で大流行し、舞台を観たことがないネットユーザーにもよく知られた存在となったことだ。初演当時の思いや、ニコニコ動画などのネット文化とのかかわりについて、初演からテニミュ立ち上げに携わり、その他にも数多のアニメ・舞台を手掛けてきたプロデューサー・片岡義朗さんに「テニミュ」の軌跡、そして舞台とネットの融合について語ってもらった。
(聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 大宮高史)
91年にSMAPで「聖闘士星矢」舞台化
――あらためて、2018年にはテニミュ15周年を迎えたということで、初演当時ここまで長続きすると思っていたのでしょうか?
片岡:テニミュが始まる時、ヒットするだろうなという確信はありました。ただ、それがこんなに長く続くとは思いもよらなかったというところですね。
――それは何故ですか?
片岡:日本でミュージカルを大衆化というか、もっと普及できる余地があると思っていました。もともと僕はアニメ制作を70年代からずっとやっていて、アニメーションの力をとても信じていて、マンガ・アニメというものが若者の心を広くとらえているという実感がありました。
特に80年代からジャンプ・サンデー・マガジンの三大少年誌がヒット作を連発し、団塊ジュニアの若者たちが読むようになって急速に部数を伸ばしていた。あのころの中学生~大学生くらい若い世代の興味といえば「マンガ」「スポーツ」「音楽」なんです。そういう中で僕自身演劇が好きで、60年代のアングラ演劇あたりからずっと舞台やミュージカルを観てきて、マンガ・アニメの表現を活かして、もっと大衆的な舞台を作れないかと思っていました。
――そういう考えがあって、まず1991年に「聖闘士星矢」を舞台化されましたね。確か、SMAPが主演していました。
片岡:ジャニーズ事務所に相談に行ったら、ジャニー(喜多川)さんにメモ書きを渡されて、そこに配役がすべて書いてありました。それが、ジャニーさんの字ではなく、子どもの字のようだった。たぶんSMAPの6人が「俺これ!」って決めて書いたんだと思います。つまり当人たちが原作を読んでいて、それで舞台にも熱が入って成功したと思います。当時聖闘士星矢はコミケで一大ジャンルとなっていて、BL同人誌を描いているようなファンの方も来てくれました。
実は別の作品のはずだった「テニミュ」
――その後も「姫ちゃんのリボン」「HUNTER×HUNTER」などいくつかの漫画を原作とするミュージカルを手掛けられて、03年に「テニミュ」が始まります。
片岡:実は最初「HUNTER×HUNTER」の続演をやる予定だったのですが、諸事情で制作中止になってしまったんです。で、代わりになにか上演できないかということで、集英社から話があったのが「テニスの王子様」で、これはすごく大衆性があるなと思いました。
――先ほど話があった、若者が好きな「マンガ」「音楽」「スポーツ」の三要素がすべて詰まっていますね。
片岡:スポーツって非常にシンプルで勝った・負けたがわかりやすくてドラマがあります。それでテニミュの初演を手掛けた時は、それまでとは違う確信がありました。
また今思うと許斐剛先生の描くマンガが、時代を先取りしていたんです。それまでのスポーツ選手に求められるものは、汗と涙や努力といった泥くさいものでした。でも許斐先生は「かっこよさ」を追求しました。どのキャラクターもかっこよくイケメンに正面から描いたのは「テニスの王子様」が初めてだったと思います。
今や羽生結弦選手や錦織圭選手みたいに、男性のスポーツ選手に普通に(テニミュの登場人物と同じように)かっこよさを求める時代になっていますよね。だから時代の旬を捕まえたという自信はありました。
――プロデューサーの片岡さんの他にも、各分野から多才な方が結集されました。
片岡:脚本・作詞の三ツ矢雄二くんに、作曲の佐橋俊彦さんと演出・振付の上島雪夫さん。それに、僕と一緒に舞台制作をずっとやってきた松田誠くん(現ネルケプランニング代表取締役会長)。この5人の仲間で作り上げてきた作品です。誰がどの仕事をやったという区切り意識はあまりなく、本当に様々な意見をぶつけあって、喧々諤々の議論もして一緒に作ってきました。
――後に「空耳」で有名になる三ツ矢さんの歌詞が特徴的ですね。
片岡:三ツ矢くんは声優として、アニメの現場で一緒に仕事をしてきた仲間ですが、僕とぜんぜん違う角度から世界が見えていて、僕の感覚とはまるで違う言葉が出てくるんです。例えば人が「きれい」と思う時に「ガラスみたい」って言ったりする。え?どういうこと?と思うけど、歌詞にするとぴったりはまる。例えば跡部景吾のナンバーに「俺様の美技にブギウギ」があります。「俺様の美技に酔いな」ってマンガ原作にあるセリフですけど、それを音楽の「ブギウギ」と組み合わせるって発想がちょっとありえない。すごいと思います。
演出面では上島さんの、テニスの試合中のボールの行ったり来たりを照明の光で表現する演出も、もう彼の発明といっていいくらい素晴らしいものです。
――初演での客席の反応がすごかったようですね。
片岡:初日は空席が目立ったりもしましたが、幕が開いて青学の9人のシルエットが浮かび上がったら溜息が出たんです。幕間休憩になるとお客さんが皆ロビーに出て、当時SNSもなかったから(笑)、一斉に携帯電話で話し始めたんです。「もう、まんまだよ」って。それくらいキャラクターらしさにこだわりました。興行的には赤字でしたが、尻上がりに動員が良くなっていったので、シリーズを続けようと決めました。
――「キャラクターらしさ」は、今、2.5次元のどの舞台でも重視されることですね。
片岡:アニメ制作の経験から、キャラクターを原作通り正確に描くことがどれほど大事かというのはわかっていました。生身の人間が演じても「キャラクターらしく見えること」を大切にすれば原作ファンも受け入れてくれるだろうと。だから髪型や身長まで細かくこだわりました。そんな中でも例えば、アニメでは黒髪の跡部の髪をシルバーがかった色にするといった、舞台映えする工夫もしています。
――キャストは当時無名の俳優の方々でした。
片岡:無名の俳優を起用するのも、キャラクターにこだわる一環です。すでに売れている人だと、その人個人のイメージとキャラクターのイメージが対立してしまう。俳優の人となりについてもそのキャラクターに近い人を見極めようとしました。
例えば初代越前リョーマ役の柳浩太郎くんをオーディションした時、彼の体型を見てみたくて「(上半身の)服を脱いでくれない?」って聞いたんです。そしたら、上下全部スウェットを脱いでパンツ一丁になろうとした。だから「いやいや全部脱がなくていいよ」と止めたら、彼は「脱げって言ったじゃん」と言い返した。彼のマンガ的なルックスだけでなく、そういう、一見斜に構えてるけど、心の中では熱くてやる気が満ちているところも越前らしいなと思いました。
――そうして抜擢したキャストを交代するというのもテニミュの特徴です。
片岡:これもかなり激論がありました。折角ヒットした顔ぶれを変える不安はありましたが、長く同じ俳優が演じ続けていると、「このキャラクターにこの俳優」とイメージが固定化されてしまう。本来キャラクターがあって、それを俳優が演じるはずが、立場が逆転する恐れがあった。だから僕は早めに代えた方がいい、新しく俳優を育てていく方が長期的にはいいと考えて、初代のキャストは約1年半で卒業となりました。またテニミュでブレイクした彼らのために新しい舞台も作ろうと考えて、テニミュ以外の2.5次元舞台も展開を始めました。
「空耳」、見てみたら面白かった
――そんな中、2007年頃にニコニコ動画で突然公演の空耳動画が流行り始めました。
片岡:あれは知った時、見てみたらすごく面白かったんですよ(笑)。僕は削除要請しようと思えばできたし、関係者の間でも激論になったんですが、これはスルーしようと決めました。もちろん著作権法上は違反しているんだけど、ユーザーは面白がってやっているし、直接的な損失はないんです。だから、せっかく楽しんでいるからいいのかな、と。
また、アップされていた氷帝戦の舞台は柳くんが03年12月に生死をさまよう大事故に遭ってから、初めて1人で越前を演じきった公演だったので、悲劇性をも帯びた熱さがありました。その中でも手塚国光役の城田優さんと跡部役の加藤和樹さんが重要な役どころで、二人ともものすごく歌がうまい。その二人による跡部と手塚のマッチが直前にあって、(空耳が流行した)クライマックスの日吉戦の歌「あいつこそがテニスの王子様」が始まるので、すごく熱くてファンの印象に残る場面なんですよ。そういった事情も(ニコ動でのブレイクに)影響したのではないかと。
――結構下ネタのような空耳もあって、もともとのテニミュファンの間でも賛否両論あるようです。
片岡:これもある種の同人文化なのかもしれないですね。確かに許しがたい表現かもしれませんが、許斐先生から特に何か言われたこともなく、ファンは自分の見方に染めて味わいたいと思うので、それを無理に制限したり拒絶したりすることはないんじゃないかと思いました。
――その空耳ですが、間違って面白く聞こえてしまう理由に、はっきり言えば役者の歌唱力の問題もあるんじゃないかという印象を受けましたが......
片岡:確かに歌の下手な人はいます(笑)。フルコーラス全部外して歌ったりとか、かなり特訓もしましたよ。他にも運動神経の悪い役者もいたりします。でも技術よりもっと大事なことがあるというのが僕の持論です。
――それはテニミュではやはり「キャラクターらしさ」でしょうか。
片岡:それよりもまず「熱」ですね。キャラクターになりきりたい、この役を大切に思って、ものにしたいという気持ちです。その熱気の総量が舞台の熱量になります。その次に来るのがキャラクターになりきることで、稽古場にはいつもマンガ全巻を置いて役者が研究できるようにしていました。気持ちがあれば技術は後からついてくるし、そうした様子をファンは「成長している」と応援したくなるのが心理です。
――そうして経験を積んだ俳優には城田さんや加藤さん、さらに古川雄大さんや宮野真守さんなど、トップアーティストがたくさん居ます。彼らにどんな影響を与えたと思いますか。
片岡:垣根のない活躍ができるきっかけになったと思います。今はボーダーレスの時代で、俳優個人としても、いろいろなジャンルでディープに活躍できる「タコツボ」を持っている方がいい。例えば宮野くんも声優に舞台に音楽とマルチなエンターテイナーになっています。また初演の頃からアニメ楽曲のアーティストをテニミュに起用するなどして「舞台はアニメと別物じゃなくて、一緒に楽しんでほしい」というメッセージを込めていました。
――ボーダーレスといえば、テニミュではライブも積極的に開催しています。
片岡:もっと俳優個人のスキルや個性を披露して楽しんで観てもらいたかったし、公演の間隔が数か月空くその間でも何か情報を発信したい、またキャストの卒業を祝う特別な場にもできないかと考えて、年1回はライブを開催することにしましたね。
川上量生氏「ニコ動がここまで大きくなったのは...」
――その後で、片岡さんはドワンゴに転職されますね。そもそも何故ドワンゴと縁があったのでしょうか。
片岡:ニコ動でアニメの正規配信事業、そしてミュージカル制作を創業者の川上(量生)さんから請われたのがきっかけです。で、入社して川上さんに「何故僕を呼んだんですか?」と聞いたら「ニコ動がここまで大きくなったのは、「東方」「アイマス」「ミク」そして「テニミュ」の相乗効果だ」とかえってきたんです。
他の3コンテンツはネットで生まれた男性ユーザー主体のものですが、テニミュはリアルの文化がネットに輸入された上に、女性ファンが多い。「テニミュのおかげで女性のニコ動ユーザーが増えたんだ」と川上さんに直接言われて、そんなに影響があったのかと想像以上で、嬉しいと共に驚きでした。
――それほどまでに影響があったと。そして実際にニコニコミュージカルを展開されました。
片岡:テニミュの延長線上で、ニコ動独自のミュージカルを展開してネット中継も行って、女性のニコ動ユーザーを増やして演劇も身近にすることが狙いでした。その時、今まで通りの2.5次元舞台の他にボカロというネット発の新しい文化に注目してみました。「ココロ」「カンタレラ」「千本桜」などのミュージカルを手掛けましたが、こちらの方がうまくいきました。なぜかというと彼ら(ボカロP)が作る詞の世界が、それまでの音楽業界にはない斬新で、独特の物語性があった。もちろん初音ミクをはじめとしたミクファミリーのキャラクターたちが彼らの創作欲を刺激してくれた。これもある意味キャラクターあっての二次創作で、ネット特有の文化で世の中の旬だったので、それを捉えられたのがよかった。
――そうした新しいビジネス展開で、演劇文化やネット文化にどんな影響があったとお思いですか。
片岡:劇場でしか観られなかった舞台をネット配信し、チケットも販売するシステムも定着しました。小さな劇団でもノーコストでできるし、俳優が田舎の親族に活躍してる姿を見せて安心させることもできる(笑)。劇場という物理的な障壁を取り払って舞台を楽しむビジネスモデルを川上さんが確立し、その中身を僕がプロデュースさせてもらいました。
――今やテニミュ以外にもアニメ関係のライブが盛況ですし、ニコ動もニコファーレのようなリアルイベントが一層大きくなっています。
片岡:「ネットとリアルはイコールになる。近いんだ」というのが川上さんの発想です。ネットの普及で1日スマホの前で過ごせるようになっても、人はその埋め合わせというか、バランスを取ってつながりを求める。そのつながりを共有できる場がライブエンタテイメントで、近年あらゆる娯楽の中で唯一伸びている分野です。2.5次元やボカロ音楽が世界にも普及してそういう時代が来るのに、テニミュと空耳も少なからず貢献したのかなと思います。
――今振り返ってみて、平成初期から抱いていた、舞台芸術をもっと面白く、日本に根付かせたいという夢は叶ったでしょうか。
片岡:嬉しいですね。僕がラッキーだったと思うのは、日本にミュージカルを観る文化がそこまで普及してなかったことでした。そこで、僕がずっと仕事をしてきたマンガ・アニメをミュージカルにしたら面白いんじゃないかと思ってやってみたら、時代も後押ししてくれたと思います。
何か社会の中にひょっとした現象があったら、それが時代を映す鏡だと思ったら、それをアニメなどのコンテンツにすれば広がる。僕がずっとやり続けてきたのはそういうことでした。
片岡義朗さん プロフィール
かたおか・よしろう 1945年生まれ。アニメプロデューサーとして「タッチ」「ハイスクール!奇面組」「るろうに剣心」などのプロデュースに携わる。マーベラスエンターテインメント(現マーベラス)在籍時の2003年にミュージカル「テニスの王子様」を制作し、その後も多くのマンガ・アニメのミュージカル化を手がけた。2009年から2013年にはドワンゴ執行役員としてボカロ曲のミュージカル化や堀江貴文主演「クリスマスキャロル」などをプロデュース。現在はコントラ代表取締役社長として、コンテンツビジネスのコンサルティングやアニメ・舞台企画に携わる。
最近ちょうどテニミュの空耳再熱して原作読み始めたところだから、この記事が読めてとてもウレシイ
(ちなみに原作読もうと思ったのは舞台の大石先輩がカッコ良かったからなので、まんまと手のひらの上で転がされてる感があってちょっとクヤシイ)
ブログ読んでいただきありがとうございます。原作もミュージカルもはまるだけの価値があると思います。新テニスの王子様のミュージカルは、舞台表現として進化していて傑作だと思います。これからもテニプリ&テニミュを応援していてくださると嬉しいです。