「小飼弾の論弾」で進行を務める、編集者の山路達也です。
2019年3月5日(火)配信の「小飼弾の論弾」、「書評家対談!『現役東大生が選ぶ いま読むべき100冊』の著者、西岡壱誠さん」の「その3」をお届けします。

 次回は、2019年5月7日(火)20:00の配信です。

 お楽しみに!

2019/03/05配信のハイライト(その3)

  • 戦争SF『宇宙の戦士』『終わりなき戦い』『虐殺器官』『ハーモニー』
  • ラノベと表紙絵のつながり
  • 『風の谷のナウシカ』の辛さ
  • SF全部入り『天冥の標』
  • SFの宇宙人と言えば『竜の卵』
  • 『天冥の標』と全部入りSFマンガ『マップス』
  • SFに出てくる宇宙人の難しさ

戦争SF『宇宙の戦士』『終わりなき戦い』『虐殺器官』『ハーモニー』

小飼:でも、あの作品はけっこういろいろなところで捉えられ方が違ってて、日本での捉えられ方が特殊だったというのは、やっぱりぬえの挿絵ですよね。あのパワードスーツの。あのかっちょいいので。

西岡:なるほどなあ。

小飼:僕はどっちかというとバーホーベンの映画的な見方をしてますね。だからけっこう、あんまり好きな作品じゃないというより、クモのほうを思わず応援しちゃうみたいなところもありますよね(笑)。

山路:バーホーベンが映画化した『スターシップ・トゥルーパーズ』は、弾さん的にはけっこう評価してるんですか?

小飼:評価しているというのか、くさやの干物的な面白さが。

山路:それはまた微妙な(笑)。私も嫌いじゃないですけどね。

小飼:うん。日本のファンはガックリすると思うんですよね。少なくとも、最初のやつは、3作続きものとして作られたんで、最初のやつにはパワードスーツ出てこないんですよ。

山路:戦闘服みたいなやつですよね。

小飼:でもパワードスーツがあの作品の本質ではないので。

山路:まぁ国家体制というか、そこに属する人間、軍国主義って日本だと『宇宙の戦士』なんか、軍国主義的な文脈で批判する人もいるけど、軍国主義とはちょっと違うなと思ったりもしますね。

西岡:あぁ、そうですね。いろんな見方があるっていうのはそうだと思いますけど、でもまあそうですね、軍国主義ではないか。

山路:なんというか、権利と義務の関係みたいな。

小飼:あのね、同じ兵隊ものだと、やっぱりあれだ、『The Forever War』。

山路:永遠の……何だったっけ?

西岡:何だったっけ?

小飼:『終わりなき戦い』邦訳。

西岡:あぁ、未読だな、うんうん。

小飼:どっちかというと、あっちのほうが好きだな。

山路:『終わりなき戦い』もお金、ちょっと絡んできて、そこんところも面白い。

西岡:あぁそうなんですか。へえ。

山路:確かお金の要素ありましたよね。

小飼:あります。複利すげえって。

山路:経済学部にいるんだったら、そういう観点からもちょっと面白い。

西岡:それは読みたいですね。

小飼:主人公は徴兵された宇宙兵なんですけど、まず徴兵される要件というのが面白い。IQ150以上というのが。なんでそうなるかというと、宇宙兵なので要は何でも出来なければいけないと。そんなに数もいらないと。だからごく僅かなエリートが悪運を踏んでしまうと、兵隊になってしまう。

西岡:勉強したくなくなるやつですね。

山路:アハハ。

西岡:やりたくないですか。だって。頭良くなったらなっちゃうみたいな。

小飼:もう一つは超光速航法があるんですけれども、それがウラシマ効果が働くんですね。ひと月戦地に行って戻ってくると、地球では100年経っているという。

西岡:なるほどなるほど。

小飼:その間にお給金が複利で回るという(笑)。

山路:そこまでネタバレを晒していいのかっていう気が。

西岡:ちょっと面白そうですね。

小飼:いやもはや古典なので。というのか、たぶんSF好きっていう時には、読んでて当然の作品の一つだと思う。いいな、今から楽しめるという。

山路:戦争SFつながりでいうと、『虐殺器官』もいちおう戦争SFといえるのかなあ。

西岡:そうですね。『虐殺器官』けっこう好きで、終わりがやっぱ凄いなって思うんですよ。あぁ終わるんだなっていう。

山路:あれはなかなかな。

小飼:うんでもね、伊藤計劃さんは、いや、だから故人なんだけどね、『ハーモニー』はね。

西岡:うん、『ハーモニー』は。

山路:『ハーモニー』絶賛なんですけど、ワタシ的には。

西岡:僕も僕も。

小飼:問題は、ETMLにある。ETMLはXML Validではない(構文がXMLの仕様に準拠していない)んですよね。

山路:本当にね、マニアの、かなり難癖に近いことなんで、それに関しては普通にスルーしても大丈夫な話だと思いますよ(笑)。

小飼:あれ「閉じタグ」ないとだめなので(笑)。

山路:本筋にぜんぜん関係ないところに、今、イチャモンつけてる(笑)。

小飼:でもね、そういうところを気にしちゃうのが、SF読みなんですよ。SFほどあれなんですよ、なんでも取り入れているジャンルはないんですよね。なのに、SFものほど、SF読者ほど偏屈な読者というのも、またいないんですよ。

山路:また面倒くさい客を相手にせざるを得ないという。

小飼:うん、でもね、本当に『ハーモニー』はeugh。これだけで読む感じが(笑)。ちゃんと英語版では、eughというふうに。ちゃんと英語版出てます。かなりキチッと訳されてますよ。

山路:西岡さん的には、『ハーモニー』どこのところがやっぱり印象に。

西岡:そうですね、やっぱりラストシーンかな。メリーバッドエンドっていうんですか。その何だろう、人によっては本当に凄いユートピアに行ったっていう考え方も出来るし、本当逆にディストピアだっていうふうに考えることも出来て。なんかどうなのかなっていう。そこのところでやっぱりちょっと議論になりますね。僕、友達といてると。

山路:なんかあれを、あれっていうのが、今、現に私達に突きつけられている、架空の話っていうよりは、現実の問題としてけっこう突きつけられているところもあるかなっていう。人の自我、自由意志っていうのは、あるのかないのか、あったほうがいいのかないほうがいいのかみたいな、ある意味究極の問いをしているところが。

西岡:自分じゃなくなったほうが幸せになれるんじゃないかっていう、あの問いはやっぱり秀逸ですよね。なんか本当にSFって、やっぱそういう効果あると思ってて、ほんと将来というか、未来に行き着く可能性を提示して、今にちょっと逆算するみたいなところって、けっこう強いと思ってて。『ハーモニー』で凄いどうでもいいんですけど、めちゃくちゃ気になってたのが、昔って砂場っていうめちゃくちゃ雑菌にまみれたものとかがあったりして、凄いもう、こんなもの今だったら絶対考えられないよねみたいなこと。

山路:なんか犬のクソとか、混じっているという(笑)。

西岡:そうそう。

小飼:今、もうないの? なくなっちゃった? 砂場って。

西岡:砂場もけっこうなくなりつつあるんですけど、だから、その100年後の人たちがそういうふうに言ってて、「砂場なんて本当なんで存在したんだろうね」みたいなことを言っているのを見て、なんかこう、あぁそうっかぁってなってたりして。

小飼:うんでもカプレーゼはあるんだよね。エヘヘ(笑)。あんまり食べ物は変わってなかった。

山路:抵抗力をつける機会を失っているみたいな。

西岡:うん、そうですね。

小飼:これの書影、今の『ハーモニー』の書影って、アニメ版にしちゃったんだけど。

西岡:してましたね。

小飼:その一つ前の、本当に白黒のやつが好きだった。

西岡:あぁ、そうなんですか。

山路:文字だけのやつでした。ハーモニーって小さく書いてるやつ。

西岡:あぁ、そうなんだ。それはいい。

小飼:けっこうわかるのよ。映像化されるとそっちを表紙に使っちゃうっていうのは、わかる。同じことは、カール・セーガンの『コンタクト』にもいえる。あれもジョディ・フォスターが主役で映画化されて、映画化されたあとは映画ジャケになっちゃったんですけど、その前のやつのほうが秀逸でっていう。すみません、話がとんじゃって。

西岡:いやいや、でもわかります。SFの本って黒字にちょっと白でバッて書いてあるみたいな、あの表紙がすごい格好いいじゃないですか。

山路:『虐殺器官』の最初のやつとか。

西岡:そうそう、とかとか。

小飼:でも絵がよくてというのはありますよ。

西岡:絵がよくて、はいはい。

小飼:先日亡くなって、上野で古典をやっていた、生頼範義作品の表紙のやつというのは。

山路:『幻魔大戦』とか『ウルフガイ』とか描かれてましたよね。

西岡:あぁなるほど、そうか。

山路:まぁでもそういう、けっこう格好いい黒字に白なんかの『虐殺器官』のやつは、コアなSFファンの心を掴んでメジャーに、そこから更にファンを増やしていったみたいなところはありますけどね。あの辺なんかっていうのは。やっぱり日本における『宇宙の戦士』の受け止められ方が違うっていうのも、あれもぬえの絵あっての。

ラノベと表紙絵のつながり

小飼:日本でSF読む、喜びの一つというのは。表紙に挿絵のクオリティが、一回り高い。

山路:なんかアメリカのペーパーバックとかそっけないというか、手抜いている感のやつけっこうありますもんね。

小飼:やっぱり絵がアナクロだったりね。

西岡:あぁ、そうなんだ。

小飼:でもこれは今は知られてるからね。もうダン・シモンズがあれだもんね。

山路:『ハイペリオン』。

小飼:もう『ハイペリオン』で本当に生頼(範義)を絶賛してもんね。御本人が。

山路:本人が、ダン・シモンズ自身が日本版の表紙絵を。

小飼:うん、しかも単に上手いっていうんではなくって、ちゃんと作品を読んだ上で描いてるからね。これがラノベとかになると、もっとで。絵も作品の一部じゃないですか。

西岡:うん、そうですね。

小飼:今は両方クレジットされますよね。文章書いた人と、絵描いた人と。絵が合わなくなったりすると、けっこう話は面白いのに、うーん、っていう感じになっちゃったりするんだよね。

西岡:この絵じゃないんだよな、みたいな。

小飼:『人類は衰退しました』は、途中で絵が変わっちゃって、すっげえガックシきたんだよね。

西岡:あぁ、それわかる。すっげえわかる。

小飼:逆に絵で蘇った例というのもなきにしもあらずだよね。

西岡:マンガだとけっこうそういうのあったりしますけど、そうだな、ラノベとかであるかな。

山路:ラノベってけっこう絵で売るみたいなところも。

西岡:表紙はそうですね。でも変わっていって、みたいのだと、何だったかな、あれは『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』というライトノベルがあって。あれ、初期からぜんぜん絵が変わっていってるんですよ。

西岡:初期はあんまりその、女の子はどこにでもいる感じだったんですけど、どんどん絵のクオリティが高くなっていって、というのはありましたね。

山路:なんか東大生協のラノベ売り場って、妙にスペース大きいですよね。

西岡:あぁ、わかる、そうですね、すげえわかる。駒場も本郷もそうですよね。そうですよね。

山路:なんでこんなにラノベの、こうちょっと露出の多い格好をした女の子のスペースがやたら多いんだろうと思うようなところはありますよね。

西岡:下手するとマンガコーナーより長いですよね(笑)。