• このエントリーをはてなブックマークに追加

kindyさん のコメント

なんとも奇妙な事件ですね❗
No.1
76ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは 米 没後30周年! 改めてしのぶブルーザー・ブロディ最期の1日 です! 【1記事から購入できるオススメ記事】 WWE総帥ビンス・マクマホンの生涯を描いた映画の制作が決定!リークされた脚本に書かれていたこととは? 【内幕記事に騒然!!】世界一のエンタメの舞台裏には、ビンス・マクマホンの恐怖政治があった ロンダの異常な愛情、または如何にして柔道を捨ててボクシングを愛するようになったか 「ダスティ・フィニッシュ」の意味は? オックスフォード英英辞典に見るプロレス隠語集 筆者のフェイバリット外人プロレスラー、ブルーザー・ブロディが亡くなって今年で30年が経(た)つ。30年などという時間が、こんなにあっさりと経過してしまうとは、驚きを通り越して唖然(あぜん)とする思いである。 ブロディのことをよく知らないファンにとっては、真壁刀義のギミックの多くが、ブロディ流を取り入れているという説明が最も分かりやすいかもしれない。入場テーマ曲の「移民の歌」、小道具のチェーン、得意技のニードロップ。これらの原型はブロディにあるのだ。ブロディは、殴る蹴るを主体とするブローラースタイルのプロレスラーのプロトタイプとなっており、一時期はブロディの歩き方、吠(ほ)え方、髪型、シューズ、入場時の観客席での暴れ方などをコピーした大型外人レスラーが山ほどいたものである。 ブロディはまた、インディペンデント・プロレスラーの草分け的存在でもあった。日本とプエルトリコで外人エースを務めながら、アメリカではWWFやNWAといった大手プロモーションに背を向け、各地のインディマットのトップを張り続けた。プロモーターにとってはけして仕事のしやすい選手ではなかった。あくまでも自分の条件にこだわり、また家族との時間がとれなくなるようなハードスケジュールは受け入れなかった。安易なジョブは絶対にしなかったし、試合中にフィニッシュを勝手に変更してしまうことでもおなじみだった。自分の値打ちを知り、無慈悲なまでにビジネスに徹し、いくらわがままだと思われようと、バックステージでいくら煙たがられようと、客席を満員にすることで周囲を黙らせた。野蛮な容貌、粗っぽい試合の中にも、プロとしての矜恃(きょうじ)が孤高に香り立つような選手、まさに”インテリジェント・モンスター”だったのだ。 ブロディは1983年からプエルトリコマットに登場している。ヒールでスタートしたブロディだったが、1年後にはベビーフェイスに転じた。アブドーラ・ザ・ブッチャーらにいたぶられていたジ・インベーダー1号ことホセ・ゴンザレスを救出したことで、ベビーターンを果たしたのだ。ブロディとゴンザレスはその後タッグパートナーにもなっている。 ブロディ刺殺事件が発生したのは1988年7月16日(土)(現地時間)のことだった。出来事の説明や解釈にはさまざまなバージョンがあるが、ここではブロディが没した直後のレスリングオブザーバー1988年8月1日号で、デイブ・メルツァー記者が収集した情報をベースに、謎に包まれたこの事件を改めて追ってみたい。 この続きと、追悼KID、天心vs堀口、本間聡、朝倉未来、木原のオヤジ、新日vsWWE…………などの記事がまとめて読める「 10万字・記事21本の詰め合わせセット」 はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1676298 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  
Dropkick
プロレス格闘技マガジン『Dropkick』公式チャンネルです。【更新コンテンツ】スペシャルインタビュー/斎藤文彦INTERVIEWS/小佐野景浩の「プロレス歴史発見」/プロレス点と線/OMASUKI FIGHT/アカツキの『味のプロレス出張版』/大沢ケンジ/二階堂綾乃/オレンジ色の手帳/中井祐樹日記/ジャン斉藤……のコラムなど。週一の音声配信もやってます!