【RIZINvsベラトール】史上最高のハードコア大晦日とは何だったのか■チャーリー柏木
2025/12/29(月) 16:18
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RIZIN10周年記念!RIZINvsベラトールの全面対抗戦が行われた史上最高のハードコア大晦日とは何だったのか? 2023年1月に収録したRIZINマッチメイカー、柏木慎吾さんのインタビューを再録します。2025年から見た感想付き!(聞き手/ジャン斉藤)
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――今回の大晦日は、那須川天心、朝倉兄弟、RENAなど、これまでRIZINを興行的に支えてきたスター選手たちが出場せず、ベラトールとの全面対抗戦というハードコアなカード揃いだったので、マッチメイカーの柏木さんとしてもPPVの数字がいつもより気になっていたんじゃないのかなと。
柏木 ああ、そうかもしれないですね。地上波がなくなっても、やっぱり数字は大事ですから。
――実際、PPVの手応えはどうだったんでしょうか?
柏木 いや、数字を見ると、ここまでコアなカードを「観たいと思ってくれた方々がこんなにいたんだ!」という驚きはありました。自分の中では、RIZINが誕生する前にいたコアな格闘技ファンというのは5000人ぐらいだと思っていて。2014年にDEEPが大晦日にさいたまスーパーアリーナで興行をやりましたけど、あのイベントを楽しみに観ていた人が日本に残っている本当のハードコアファンだと思っていたので。あれから8年経ちましたけど、ハードコアなファンがこんなに増えたんだなとは思いましたね。
――以前、朝倉未来vs矢地祐介がメインだっだRIZIN17(2019年7月28日)も「このラインナップで満員になったり、PPVが売れるとうれしい」と言われていましたよね。当時は朝倉選手の人気が爆発する前でしたけど、あのときよりも増えている実感もありますか?
柏木 増えていると思いたいです(笑)。実際に当時と比べると、確実に総合格闘技を求めている人は多くなったと思いますよ。
――じゃあ、結果を見てひとまず一安心という。
柏木 いやいや、安心はしていないです。欲をいえばもっと数字は欲しいので(笑)。このコンセプトを観たいと思っていた人たちが予想より多かったなとは思いますけど、ボクらもビジネスなので。全然これで満足とは思っていないですね。


【ジャン斉藤の2025年の感想】
RIZINvsベラトール対抗戦はハードコア路線の極み。大晦日格闘技史上、初来日の外国人選手がこれだけ並んだことはない。コアなファンはチケットやPPVは買うに決まってるんですが、平本蓮vs X(梅野源治)を投入したのは、ぼんやり層獲得の狙いもあったのだろう。
――ここまでのビッグスケールの対抗戦はそうそうできるとは限らないですしね。
柏木 そうなんです。1回やるとそれ以上のものを求められるじゃないですか。そうなると、ボクの個人的な業務内容としては、けっこうツライなと(苦笑)。
――というと、やっぱりベラトールとの交渉はハードだったんですかね。
柏木 ここまでトップファイターが揃ったマジな対抗戦という意味では今回が初めてだったので、やっぱり産みの苦しみはありました。ただ、今回のものがベースになるので、次は「前例にならって……」という。それこそRIZINとベラトールのルールの違いだったり、選手に関するオペレーションとか、いろんな部分の擦り合わせを1回経験したという意味では、もの凄くよかったのかなと思います。次にやるときは、そこを基準にして「前回こうやったよね」「少しうまくいかなかったことを調整していきましょう」とスムーズになるじゃないですか。今後は楽になるんじゃないかとは思います。
――それにしても、対抗戦ではあるものの、ベラトール側があんなビッグメンバーを出してくると思いました?
柏木 いやー、最初は思っていなかったですねえ。でも、榊原社長も言っていましたけど、スコット・コーカーと「じゃあ、どんな対抗戦にしようか」と話したときに、榊原社長は「ベストメンバーを出してくれ」と。スコットは「いいの?」という感じだったんですよ。でも、プロモーターって自分が「こうやりたい」と思ったら絶対にそれを実現しようとするじゃないですか。榊原社長もそうですし、スコット・コーカーもそういう人なので、そういう人たちの間に入って物事を調整するというのは……大変だったなあ(しみじみと)。
――ハハハハハ! つまり、上から企画が降ってきて、柏木さん含む現場がそれを実現しないといけないということですよね。
柏木 どっちも実際にできるかどうかは考えずに言ってくるんでねえ(苦笑)。ただ、そういう人たちが何か同じ目標に向かって動くというのは、それ相応の旨味がお互いにあるということですよね。なので、スコットがトップどころを全員出してこられたのも、スコットと選手との向き合いという部分も多分にあると思いますし。
――スコットと選手との向き合いと言いますと?
柏木 要は、スコットにとってもいろんなプラスがあったから、対抗戦が実現できたんだと思います。つまり、今回出場した選手はみんな「日本で試合をしたい」と熱望している選手たちだったので、もしボクがベラトールのマッチメーカーの立場だったら、「日本で試合させてあげるから、来年は言うこと聞いてね」と言いますね。トップどころのあのメンツだと、もうかなりワガママだと思いますから(苦笑)。ボクだったら彼らに貸しをつくってそういう交渉をしますね。
――望んでいる日本大会に出す代わりに、こっちの条件も飲めよと。
柏木 ベラトール側としても、自分たちの選手に「大晦日に出ろ」で終わりなわけがないですから。すでに次の話もしていると思うので、いろんな交渉を行う中での選抜メンバーだったんだと思います。
――単なる金だけの話じゃないということですよね。
柏木 たとえば、パトリシオ・ピットブルなんかは「兄貴のパトリッキーがRIZINに出られて、なんでオレは出られないんだ」と、それこそ2019年ごろからずっと言っていると思いますよ。彼はパトリッキーがRIZINで戦うのをセコンドで見ていますから、何がなんでもRIZINのリングに立ちたい。だからパトリシオなんかは、「誰とでもいいからRIZINルールでやらせろ」ということだったので、交渉はしやすかったんじゃないですかね。
――それにしても、皆さんのギャラはお高いですよね?
柏木 いやあ、お高いんでしょうねえ(笑)。だから、普通はあのメンバーを縦に並べることはベラトールの本大会でもできないですよ。
――KSWが「自分たちもベラトールと対抗戦をやる!」とか言い出してますけど、なかなか簡単にはできないですよねえ。
柏木 そこも調整次第ですよね。やっぱり、こういう企画はどちらかが赤字になったり、どちらかが不利益を被ってしまうと、やる意味がなくなるので。皆さんのニーズに応えるのはプロモーターとしての使命だと思いますが、そのニーズに応えるためにその都度赤字になっていたら、それこそ続かなくなるじゃないですか。だから、お互いが損をしない条件を擦り合わせないといけないというのはありますよね。
【ジャン斉藤の2025年の感想】
ベラトールを買収したPFLとの対抗戦プランも進められたが、PFLのブランド力が低下したことで幻に……ベラトールはRIZINが磨いたところもあってのことでした。
――そういう意味では、榊原さんとスコットの信頼関係があったからこそ実現できた。
柏木 それはもちろんありますけど、それに、すべてにおいてタイミングがよかったと思います。普通にやっていたらこの規模の大会は開催できないですよ。
――今回、マッチメークはどういうふうに決められたんですか?
柏木 まあ、マッチメークというよりは、向こうが出してくる選手……って、トップ同士の対決を組むとしたら、だいたいイメージできるじゃないですか。そうなると、こっちが出せる選手は限られてくるので「こういうカードですよね」と。だから、今回は誰もゴネることなく決まりました。クレベル・コイケ選手は発表直前のオファーだったりもしましたけど、マッチメークに関してはスムーズでしたね。
――じゃあ、最初からガジ・ラバダノフを除く4人は決まっていたんですか?
柏木 AJ・マッキー、ピットブル、フアン・アーチュレッタ、堀口恭司は最初から出してきました。とくに、堀口、ピットブル、AJは確定でしたね。残りふたりはどうしようかという感じで。
――最初からそのメンバーが出てくるなんて凄いです! ルールやジャッジ、そのへんの調整も難しかったですか?
柏木 超~難しかったです! 今回は、そこが一番難しかったですよ。というのも、やっぱりスコット・コーカーや、マッチメーカーのマイク・コーガンはもともとK-1で働いていた方々なので。要は、日本格闘技というものに関して良い印象を持っていないんですよねえ(苦笑)。
――それはいわゆる競技という部分においてですよね?
柏木 そうです。だから「オレたちはもうわかっているから。お前らは口ではそう言っているけど、どうせ判定になったらベラトールが負けるんだろ」という。
――ああ、たとえば国立競技場のホイス・グレイシーvs吉田秀彦のジャッジを見て……。
柏木 余談ですけど、あの試合も酷く揉めていますからね。
――揉めますよね、間違いなく(笑)。
柏木 そういう歴史もあるので。だから、RIZINが立ち上がってからいろいろと協力をしてくれてはいますけど、競技に関しての信頼は正直ゼロです。
――ゼロ!
柏木 だから、2019年大晦日に対抗戦をやったときも、ベラトールはトップどころを出してこなかったんです。
――はー、そんな理由が! ちなみに、2019年の対抗戦は、3試合をベラトール日本大会でベラトールのルール、2試合をRIZINの大会でRIZINのルールでやりましたよね。
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2025/12/27(土) 21:53
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90年代のプロ格者であれば、初期FMWを支えたキックボクサー上田勝次のことは当然ご存知だろう。40代とは思えない分厚い身体、容赦のない蹴り、人生のすべてを悟ったかのような目つき。「上田勉」としてキックボクシングデビューした彼は、沢村忠が活躍したキックブームの最中、24歳のときに早すぎる引退。再び表舞台に姿を現わしたのは、FMWのリング。43歳のときだった。18年の空白のあいだ、上田はいったい何をしていたのか。キャバレーやノミ屋の取り立て、ヤクザとの大立ち回り、そしてケンカ相手の命を絶った右ヒジ……過激すぎる上田勝治の人生を1万字のインタビューで振り返る……(この記事は2016年に掲載されたものです)
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――今日は上田さん行きつけのスナックで取材をさせていだきます。まだ上田さんはいらしてないですが……。
お店のママ 上田さんはカッコイイ人なのよ〜。こないだもね、お店に危ない人が来たの。そうしたら上田さん、「ここはおまえらの来るような店じゃねえ!!」って追い払ってくれて。
――カッコイイですね!
【上田勝次登場!】
――上田さん、今日はよろしくお願いします!
上田 ママのことも載せてやってよ。
――はい。たったいま上田さんの武勇伝を聞かせていただきました。
上田 あー、昔の話よ。
ママ いつものことよ(笑)。
――いつもなんですか(笑)。上田さんは現在70歳ですが、3・14大仁田厚興行でリングに上がりますね。
上田 家にね、サンドバックを吊るしてあるんですよ。そのサンドバックを蹴ったり、ウエイトをやったりね。いまでも毎日トレーニングは欠かしてないよ。試合が近づいたらもっと身体は絞るしね。
――とても70歳には見えない身体です(笑)。上田さんはもともとボクシング志望だったんですよね。
上田 そう、ボクシング。故郷の長崎から名古屋に出てきてね、働きながらボクシングをやったんですよ。でも、働き先の人間とうまくいかなくてね、19歳のときに東京に出てきて、中村橋のボクシングジムに通って。そのときは牛乳屋の配達をしながらボクシングをやってね。
――でも、ボクサーにはならなかったんですよね。
上田 ボクシングはね、試験(プロテスト)があってね、相手を倒したんだけど、ダメだったんですよ。そのときね、ひとりだけデカイ奴がいたんですよ。190センチ。そいつと当たったんですよ、自分。試験は基礎どおりにきちんとワンツーでやらなきゃいけないんだけど、中に入ってフックばっかやって。それで相手を倒したんだけども、テクニックが見られないということで不合格になっちゃってね。
――つまり暴れ過ぎちゃったわけですね(笑)。
上田 それで「ボクシングはもういいや!」って。それから後楽園のね、ボディビルセンターに行くようになったんですよ。21歳の頃ね。三島由紀夫とかも来てた。
――ボクシングはやめても身体は鍛えていたんですね。
上田 うん。で、アントニオ猪木が豊登と一緒にやってた東京プロレスに面接に行ったんですよ。新聞で新人レスラー募集してたから。
――プロレスは好きだったんですか?
上田 好きだったですね。子供の頃、テレビで力道山を見てたしね。渋谷のリキ・スポーツパレスにも見に行ってましたから。(グレート)小鹿さんや大熊(元司)もいたね。
――東京プロレスの面接で猪木さんに会ったんですか?
上田 会った。新宿のね、汚いビルに事務所でね。そこに行ったら猪木さんがソバを食べてましたよ。豊登はなんかイライラして部屋の中を歩きまわってね。「あとで連絡する」って言われたんだけど、そのまま東京プロレスは倒産しちゃったね。
――もしかしたら東京プロレスに入ってたかもしれないんですね。
上田 うーん、自分の身体が小さいから「ダメかな」って思ってたんだけど。それにあのとき自分はプロレスをボクシングみたいなもんだと思ってたから。
――ボクシングと同じく競技だと。
上田 そうそう。だから身体が小さくても強かったらいいんじゃないかって考えてたんだけどね。
――上田さん、強かったんですか?(笑)。
上田 強かった。
――腕に自信があったんですねぇ。
上田 それから東長崎のね、駅前に神社があって、そこに剛柔流という空手を習いに行ったんです。
――上田さん、やりたがりますね(笑)。
上田 その頃に「タイボクシングが空手が負ける」というニュースがテレビでやってたんですよ。そんときはね、キックボクシングなんかなかったから「そんなに強いのかな」って興味があって。ちょっと経ったらね、沢村忠とか出てきて「これは面白そうだな」って。それで野口ジムがある護国寺までバイクで行きましたよ。そうしたらね、いきなり沢村とスパーやることになって。
――いきなりですか?
上田 こっちも道場破りにいったようなもんだからね。そういうことを昔はけっこうやってたんですよ。「あそこに強い奴がいるぞ」「じゃあ行くか!」って。
――カジュアルな道場破りというか(笑)。
上田 野口ジムに行ったときは自分はボクシングしか知らないから、ヒザ蹴りを食らって倒されたちゃってね。そのままジム入門したんですね。
――沢村忠の「真空・飛び膝蹴り」が上田さんの人生を変えた。劇的な展開ですねぇ。
上田 あの頃の野口ジムはボクシングとキックを両方やってたから。初めは「ボクシングをやれ」って言われたんだけど、ボクシングは前のことがあったからね、キックをやることにして。3ヵ月くらいしか練習していないのに「タイで試合をしてこい!」って。俺と沢村と品田って奴の3人でね。で、タイでデビュー戦ですよ。相手はランカーで。
――沢村忠との即スパーもそうですけど、ハードルが最初から高すぎですね。
上田 2試合やったんですよ。チェンマイで1試合、ラオスで1試合。どっちも判定で負けたけどね。もうちょっと日本で経験してから行きたかったよね。で、タイから帰ってきたらキックが大人気になっちゃって。あの頃はどのテレビ局もキックをやってたでしょ。
――空前のキックブームでしたね。

若かりし頃のキックボクサー上田勉
上田 浅草公会堂で帰国第1戦をやったんですよ。そんときは4ラウンドKOで勝って、それから何戦かして日本タイトル、東洋のタイトルも獲ってね。ブームだったから試合数が多いんですよ。月に3〜4試合はザラでね、ケガしたまんま試合をしたりしてね。
――月に3〜4試合!
上田 あるとき40℃の熱があったから「試合を休ませてくれ」って頼んだんですけど、マネージャーがダメだって。その2週間後にもタイトルマッチも予定されててね。
――どんな超過密スケジュールなんですか!(笑)。
上田 熱が出てるのに無理して試合をやったんだけど、やっぱり身体が動かないんだよね。そうしたらね、マネージャーが「情けない試合をするな!」って自分の頭を叩くんですよね。それで頭にきちゃってね。次のタイトルマッチを最後に辞める覚悟をしてね、引き分けで防衛したんだけど、控室でベルトを叩きつけてね、それで終わりですよ。
――キックボクシングに未練はなかったんですか?
上田 未練……あったけど、もう仕方ないから。それから川崎でキャバレーやノミ屋の取り立てとかをやるようになって。
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2025/12/26(金) 00:00
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プロレス格闘技業界のあらゆる情報に精通する「週刊プロレス事情通Z」のコーナー。今回のテーマはGLEAT離脱/NOAH好調/古舘伊知郎、再び/プロレス界は終わるです!(聞き手/非常ベル野郎)
――Zさん、師走のプロレス界に非常ベルが鳴り響いています! GLEAT所属選手のCIMA、愛鷹亮、そして田村潔司エグゼクティブディレクター、吉野正人コミッショナーが年内で契約満了。団体を離れることに……。
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