たかはしさん のコメント
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小佐野 最後に会ったのは2012年の秋かな。ベースボール・マガジン社のムックの取材だったんだけど、そのときは全然元気で。88年にプロレスを引退してからは全然会う機会がなくて、再会したのは20年後の2008年。そのときも取材だったんだけど、輪島さんって正規のルートを通すとギャラが高い人でね。「お友達価格」で4回ぐらい取材させてもらいました。「私もビジネスなんだから困るんだよお!」と言いながらね(笑)。
―― なんだかんだ言いながら取材を受けてくれるんですね。
小佐野 輪島さんの奥さんが輪島さんの個人事務所の社長だったんだけど、私は輪島さんの携帯番号を知ってるから直でお願いしてね。「カミさんに内緒なんだから、何度も取材はマズイだろ!」と。輪島さん本人はノリノリなんだけどね(笑)。
―― ハハハハハハ!
小佐野 凄く気さくな人でしたね。取材場所に寿司屋を指定されたときがあるんだけど、横綱が通う寿司屋って値段が凄く高いイメージがあるでしょ。だけど普通の街場のお寿司屋さん。輪島さんはすでに座敷に寝っ転がってテレビの相撲を見てて、我が家のようにくつろいでるんだよね(笑)。
―― 横綱だったからといって壁を作らないというか。
小佐野 輪島さんは馬場夫妻と似てるところがあって、他人を世間的な地位だけでは判断しないんだよね。その人のことを好きか、嫌いか。輪島さんは有名人好きではあるんだけど、他人をそういうモノサシで測らない人だった。
―― じゃなかったら「困るんだよぉ!」と言いながら何度も取材を受けないですね。
小佐野 プロレス転向直後に取材したときは凄く緊張したもんだよ。私は横綱時代の大活躍を見てるから「あの輪島を取材するのか……!?」って。天龍(源一郎)さんに「横綱にはどういう風に接すればいいんですか?」って聞いたぐらいだからね。
―― 昔の横綱はまさに天上人という重みがあって。
小佐野 しかも輪島さんはキャデラックを乗り回したり、型破りな横綱で。相撲という枠を超えて日本人なら誰でも知ってる存在。まさに昭和のビッグスターだったから。そんな人が全日本入団後は付き人もいなくて自分の荷物は自分で持って。輪島さんのことをなんて呼んでいいのか悩んだんだよ。そこも天龍さんに相談したら「俺ですら全日本に入った頃は“天龍さん”と呼ばれると、天龍関だろコノヤローと思った」らしくて「横綱と呼んだほうが無難だよ」と。
―― 「輪島さん」はよろしくない。
小佐野 でも、馬場夫妻はイチからプロレス界でやらせたいから「横綱」という呼び方はイヤがったんですよ。輪島さんも「横綱なんて呼ぶなよ」と。仕方ないから馬場夫妻がいる前では「輪島さん」、陰では「横綱」と呼んでね。
―― それくらい気を遣う特別な存在だったんですね。
小佐野 プロレス転向は相撲を引退して5年ぐらいブランクがあったし、年齢は38歳。いまはスポーツ科学も発達してるからまだまだできる年齢だけど、いまだと48歳ぐらいの感覚になるのかな。現役時代と比べてだいぶ痩せてるし、「本当にプロレスができるのかな?」って不安はあったよね。
―― 事前にプロレス転向の噂は流れてたんですか?
小佐野 まったく聞いてなかった。日刊スポーツがスクープしたんだけど、それまで日刊スポーツは地方版でしかプロレスを扱ってなくて、全国版でも記事にするようになったのは輪島さんのプロレス転向がきっかけで。あのスクープが出た日、全日本は熊本で興行だったんだけど。マスコミみんなで馬場さんを取り囲んで、変な話なんだけど「なんで日刊スポーツなんだ!?」と(笑)。
―― あー、よりによって日刊スポーツはないだろうと。
小佐野 プロレス専門誌は週刊だからスクープは難しいとして、プロレスに強い東京スポーツやデイリースポーツを差し置いてなぜ門外漢の日刊スポーツなんだ?と馬場さんに詰め寄るという(笑)。
―― プロレス担当記者は「なんで他紙に抜かれたんだ?」ってデスクに怒られますよねぇ。
小佐野 なぜ日刊スポーツにスクープさせたのかはわからないし、そのへんはいろんな裏事情があったのかもしれない。前にも話したけど、演歌歌手の五木ひろしさんのお兄さんが五木プロダクションの社長で。その方の勧めもあって輪島さんはプロレスを2〜3年間くらい頑張ってみようかと。輪島さんは借金問題が原因で親方を廃業して、相撲界を追われてしまったけど、支援者からすれば、このまま終わらせるのはかわいそうだと思ったんでしょう。
―― プロレスは当初から2〜3年の計画だったんですね。
小佐野 2〜3年頑張るというよりは、年齢や体力的にもやれて2〜3年だろう……ということだよね。
―― ボクは現役時代を目の当たりにしていないので「借金のためにプロレスに転向した横綱」というネガティブなイメージがあって。
小佐野 プロレス転向は借金とはあんまり関係なかったみたいだし、借金も妹さんのちゃんこ屋が大失敗したのが原因らしくて。輪島さんが自分で作った借金ではないんだよね。輪島さん本人も借金がいくらあるかわかってないんだもん。「3億4億くらいでガタガタ言うなよ!」って言うから「横綱、3億と4億だと1億円も違いますよ!」って突っ込んだら「ああ、そうか」と(笑)。
―― さすが昭和のビッグスター(笑)。
小佐野 ちょうど手持ちがなかった輪島さんから「おい、ちょっとクレジットカードを貸してくれよ」と言われて困っていた記者もいたよ(笑)。
―― ちょっと貸すもんじゃないですよ(笑)。
小佐野 記者の財布から1万円を借りて買い物としたときも「お釣りはいらないから!」って(笑)。
―― ガハハハハハ!
小佐野 輪島さんが親方を廃業したのは85年12月だけど、花籠部屋の後輩で全日本プロレスにいた石川孝志さんにプロレス入りを相談して。馬場さんに話を繋いでもらって、翌年の4月には全日本プロレスに入団。
―― 降って湧いた話に馬場さんは乗り気だったんですか?
小佐野 輪島さんはビッグネームだからメリットはあるとは思ったんじゃないかな。でも、日本テレビは輪島さんが来るからって契約金を出したりはしない。輪島さんの特番を組むにあたってのお金を出すことはあるけどね。そのお金を全日本がどう使うかは勝手だから。
―― 新日本が選手を引き抜くだなんだってときは、テレビ朝日はけっこうなお金を出してましたよね。
小佐野 そこは全日本の場合は違ったみたい。日本テレビがお金を出したのはアントン・ヘーシンクのときだけ。
―― 東京オリンピック柔道無差別級金メダルのヘーシンク。
小佐野 ヘーシンクは日本テレビの契約選手だから。全日本が輪島さんにどれだけのお金を払ったのかはわからないけど、輪島さんをプロレスラーとして育てるためにお金はたくさん使った。トレーニングのために、ハワイ、セントルイス、バッファロー、シャーロットと行かせて、パット・オコーナーやデストロイヤー、ネルソン・ロイヤルとか錚々たるメンツに指導してもらったんだから。輪島さんは「馬場さんは自分のために超一流のコーチを呼んでくれた」と感謝していたしね。
―― なるほど。借金のためにプロレスをやったわけではなく、馬場さんも大金を弾んで横綱を獲得した……というわけではないんですね。
小佐野 輪島さんもそんなに「お金、お金!」の人ではなかったよね。
―― 輪島さんを起用したことで全日本の中継がゴールデンタイムに昇格したんですよね? アメリカで輪島さんが握ったおにぎり、とんねるずとの出会い、天龍との抗争……ワジー秘話はまだまだ続く!
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プロレスに来てくれて有り難うございました。安らかに。
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