• このエントリーをはてなブックマークに追加

ゲストさん のコメント

そんなこととは知らずにバカにして笑ってました
本当にすみませんでした
No.4
75ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野 景浩 の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは 「 愛すべき元横綱・輪島が過ごした全日本プロレスの2年間 」 です!  <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん 中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士 最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生 WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!   プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE   暴走親方、諏・訪・魔!! 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… 完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田 超獣ブルーザー・ブロディ 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生 “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴 癌に勝った絶対王者・小橋建太 “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか? 呪われたIWGPが最高権威になるまで 悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生  燃える男、アニマル浜口――!! “天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合 全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準 馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち  我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代 レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち! 「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った! 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!! “リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰 昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!! 史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!! 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム” 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで 「プロレス取材の難しさ」 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!! オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿 ―― 元横綱にして全日本プロレスでも活躍された輪島大士さんがお亡くなりになりました。小佐野さんはプロレス引退後の輪島さんを何度か取材されていたそうですね。 小佐野  最後に会ったのは2012年の秋かな。ベースボール・マガジン社のムックの取材だったんだけど、そのときは全然元気で。88年にプロレスを引退してからは全然会う機会がなくて、再会したのは20年後の2008年。そのときも取材だったんだけど、輪島さんって正規のルートを通すとギャラが高い人でね。「お友達価格」で4回ぐらい取材させてもらいました。「私もビジネスなんだから困るんだよお!」と言いながらね(笑)。 ―― なんだかんだ言いながら取材を受けてくれるんですね。 小佐野  輪島さんの奥さんが輪島さんの個人事務所の社長だったんだけど、私は輪島さんの携帯番号を知ってるから直でお願いしてね。「カミさんに内緒なんだから、何度も取材はマズイだろ!」と。輪島さん本人はノリノリなんだけどね(笑)。 ―― ハハハハハハ!  小佐野  凄く気さくな人でしたね。取材場所に寿司屋を指定されたときがあるんだけど、横綱が通う寿司屋って値段が凄く高いイメージがあるでしょ。だけど普通の街場のお寿司屋さん。輪島さんはすでに座敷に寝っ転がってテレビの相撲を見てて、我が家のようにくつろいでるんだよね(笑)。 ―― 横綱だったからといって壁を作らないというか。 小佐野  輪島さんは馬場夫妻と似てるところがあって、他人を世間的な地位だけでは判断しないんだよね。その人のことを好きか、嫌いか。輪島さんは有名人好きではあるんだけど、他人をそういうモノサシで測らない人だった。 ―― じゃなかったら「困るんだよぉ!」と言いながら何度も取材を受けないですね。 小佐野  プロレス転向直後に取材したときは凄く緊張したもんだよ。私は横綱時代の大活躍を見てるから「あの輪島を取材するのか……!?」って。天龍(源一郎)さんに「横綱にはどういう風に接すればいいんですか?」って聞いたぐらいだからね。  ―― 昔の横綱はまさに天上人という重みがあって。 小佐野  しかも輪島さんはキャデラックを乗り回したり、型破りな横綱で。相撲という枠を超えて日本人なら誰でも知ってる存在。まさに昭和のビッグスターだったから。そんな人が全日本入団後は付き人もいなくて自分の荷物は自分で持って。輪島さんのことをなんて呼んでいいのか悩んだんだよ。そこも天龍さんに相談したら「俺ですら全日本に入った頃は“天龍さん”と呼ばれると、天龍関だろコノヤローと思った」らしくて「横綱と呼んだほうが無難だよ」と。 ―― 「輪島さん」はよろしくない。 小佐野  でも、馬場夫妻はイチからプロレス界でやらせたいから「横綱」という呼び方はイヤがったんですよ。輪島さんも「横綱なんて呼ぶなよ」と。仕方ないから馬場夫妻がいる前では「輪島さん」、陰では「横綱」と呼んでね。 ―― それくらい気を遣う特別な存在だったんですね。 小佐野  プロレス転向は相撲を引退して5年ぐらいブランクがあったし、年齢は38歳。いまはスポーツ科学も発達してるからまだまだできる年齢だけど、いまだと48歳ぐらいの感覚になるのかな。現役時代と比べてだいぶ痩せてるし、「本当にプロレスができるのかな?」って不安はあったよね。 ―― 事前にプロレス転向の噂は流れてたんですか? 小佐野  まったく聞いてなかった。日刊スポーツがスクープしたんだけど、それまで日刊スポーツは地方版でしかプロレスを扱ってなくて、全国版でも記事にするようになったのは輪島さんのプロレス転向がきっかけで。あのスクープが出た日、全日本は熊本で興行だったんだけど。マスコミみんなで馬場さんを取り囲んで、変な話なんだけど「なんで日刊スポーツなんだ!?」と(笑)。 ―― あー、よりによって日刊スポーツはないだろうと。 小佐野  プロレス専門誌は週刊だからスクープは難しいとして、プロレスに強い東京スポーツやデイリースポーツを差し置いてなぜ門外漢の日刊スポーツなんだ?と馬場さんに詰め寄るという(笑)。 ―― プロレス担当記者は「なんで他紙に抜かれたんだ?」ってデスクに怒られますよねぇ。 小佐野  なぜ日刊スポーツにスクープさせたのかはわからないし、そのへんはいろんな裏事情があったのかもしれない。前にも話したけど、演歌歌手の五木ひろしさんのお兄さんが五木プロダクションの社長で。その方の勧めもあって輪島さんはプロレスを2〜3年間くらい頑張ってみようかと。輪島さんは借金問題が原因で親方を廃業して、相撲界を追われてしまったけど、支援者からすれば、このまま終わらせるのはかわいそうだと思ったんでしょう。 ―― プロレスは当初から2〜3年の計画だったんですね。 小佐野  2〜3年頑張るというよりは、年齢や体力的にもやれて2〜3年だろう……ということだよね。 ―― ボクは現役時代を目の当たりにしていないので「借金のためにプロレスに転向した横綱」というネガティブなイメージがあって。 小佐野  プロレス転向は借金とはあんまり関係なかったみたいだし、借金も妹さんのちゃんこ屋が大失敗したのが原因らしくて。輪島さんが自分で作った借金ではないんだよね。輪島さん本人も借金がいくらあるかわかってないんだもん。「3億4億くらいでガタガタ言うなよ!」って言うから「横綱、3億と4億だと1億円も違いますよ!」って突っ込んだら「ああ、そうか」と(笑)。 ―― さすが昭和のビッグスター(笑)。 小佐野  ちょうど手持ちがなかった輪島さんから「おい、ちょっとクレジットカードを貸してくれよ」と言われて困っていた記者もいたよ(笑)。 ―― ちょっと貸すもんじゃないですよ(笑)。 小佐野  記者の財布から1万円を借りて買い物としたときも「お釣りはいらないから!」って(笑)。 ―― ガハハハハハ!  小佐野  輪島さんが親方を廃業したのは85年12月だけど、花籠部屋の後輩で全日本プロレスにいた石川孝志さんにプロレス入りを相談して。馬場さんに話を繋いでもらって、翌年の4月には全日本プロレスに入団。 ―― 降って湧いた話に馬場さんは乗り気だったんですか? 小佐野  輪島さんはビッグネームだからメリットはあるとは思ったんじゃないかな。でも、日本テレビは輪島さんが来るからって契約金を出したりはしない。輪島さんの特番を組むにあたってのお金を出すことはあるけどね。そのお金を全日本がどう使うかは勝手だから。 ―― 新日本が選手を引き抜くだなんだってときは、テレビ朝日はけっこうなお金を出してましたよね。 小佐野  そこは全日本の場合は違ったみたい。日本テレビがお金を出したのはアントン・ヘーシンクのときだけ。 ―― 東京オリンピック柔道無差別級金メダルのヘーシンク。 小佐野  ヘーシンクは日本テレビの契約選手だから。全日本が輪島さんにどれだけのお金を払ったのかはわからないけど、輪島さんをプロレスラーとして育てるためにお金はたくさん使った。トレーニングのために、ハワイ、セントルイス、バッファロー、シャーロットと行かせて、パット・オコーナーやデストロイヤー、ネルソン・ロイヤルとか錚々たるメンツに指導してもらったんだから。輪島さんは「馬場さんは自分のために超一流のコーチを呼んでくれた」と感謝していたしね。  ―― なるほど。借金のためにプロレスをやったわけではなく、馬場さんも大金を弾んで横綱を獲得した……というわけではないんですね。 小佐野  輪島さんもそんなに「お金、お金!」の人ではなかったよね。 ―― 輪島さんを起用したことで全日本の中継がゴールデンタイムに昇格したんですよね? アメリカで輪島さんが握ったおにぎり、とんねるずとの出会い、天龍との抗争……ワジー秘話はまだまだ続く! この続きと、追悼・輪島、天心vs堀口、修斗対談、マクレガーvsハビブ……などの記事がまとめて読める「 10万字 ・記事 20本 の詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1691877   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  
Dropkick
プロレス格闘技マガジン『Dropkick』公式チャンネルです。【更新コンテンツ】スペシャルインタビュー/斎藤文彦INTERVIEWS/小佐野景浩の「プロレス歴史発見」/プロレス点と線/OMASUKI FIGHT/アカツキの『味のプロレス出張版』/大沢ケンジ/二階堂綾乃/オレンジ色の手帳/中井祐樹日記/ジャン斉藤……のコラムなど。週一の音声配信もやってます!