• このエントリーをはてなブックマークに追加

bowさん のコメント

userPhoto
bow
宮原は関本とタッグだったのでは?
No.3
69ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野 景浩 の「プロレス歴史発見」――。 今回のテーマは 「 ジャイアント馬場没20年追善興行」「飯塚高史引退試合」 についてです! <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> 北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾 棚橋弘至vsケニー・オメガのイデオロギー闘争とは何か 柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」 多発するプロレスラーのケガを考える 愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん 中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士 最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生 WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!   プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE   暴走親方、諏・訪・魔!! 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… 完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田 超獣ブルーザー・ブロディ 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生 “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴 癌に勝った絶対王者・小橋建太 “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか? 呪われたIWGPが最高権威になるまで 悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生  燃える男、アニマル浜口――!! “天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合 全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準 馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち  我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代 レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち! 「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った! 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!! “リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰 昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!! 史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!! 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム” 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで 「プロレス取材の難しさ」 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!! オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿 ―― 先日素晴らしい引退試合を行なった飯塚高史選手は、平成を走りきった数少ないレスラーのひとりですよね。 小佐野  昭和デビューのプロレスラーで、あれだけ元気な選手はなかなかいないよ。 四天王はいないし、三銃士にしても武藤(敬司)は長期欠場中で、蝶野正洋は実質リタイヤしてるようなもんだから。飯塚はヒールに転向してときに身体をガッチガチに作り直したでしょ。 ―― まだまだできるんじゃないか……って思わせる肉体ですよね。 小佐野  引退試合を見てて思い出したんだけど、80年代後半の新日本は小橋建太の対抗馬として飯塚を売り出したんですよ。89年に長州とタッグを組んで烈風隊に勝ってIWGPタッグ王者になったでしょ。 ―― ありましたねぇ。 小佐野  あれは異例のことだったんだよ。それまでの新日本では、新弟子から入った選手が上の選手とタッグを組んでチャンピオンになるなんて考えられなかったから。というのは、全日本プロレスがノンキャリの小橋を売り出したからなんですよ。まだシングルで1勝もしていない小橋が馬場さんとタッグを組んでアジアタッグに挑戦したり、ジャンボ鶴田と組んでメインで天龍さんと戦ったりしてね。 ―― あのときの小橋は全日本プロレスでは異例の抜擢でしたね。 小佐野  新日本プロレスの現場監督だった長州力が全日本のやり方を見て「ウチは飯塚だ」と思ったはず。 飯塚がベルトを獲ったときに全日本の担当記者や関係者は全員そう思ったからね(笑)。長州さんも全日本が新しい売り出し方をしたから気にしてたってことだよね。それまでの全日本はノンキャリアの新人があそこまで大々的に抜擢されることはなかったし、一度は書類選考で落とされた小橋が売り出されたわけだから。 ―― 飯塚もそれだけ期待の若手だったわけですね。 小佐野  飯塚は若手の中では身体が大きいほうだったこともあったからね。馳浩と一緒にサンボ留学もさせてね。 ―― でも、なかなか……エル・サムライやAKIRA(当時・野上彰)との闘魂トリオやJJジャックス(AKIRA)もうまくいかず。 小佐野  飯塚本人の性格が大人しいということがよく言われるけどね。何かのテレビ番組でライガーが飯塚に強烈なダメ出しをしていたのが印象的で。「オマエは自己主張しないからダメだ!!」と。当時の新日本は、自分で考えてガンガン自己主張していかないと上にはいけなかった。長州力という強烈な現場監督相手にも自己主張する。 会社からきっかけを与えられてるだけじゃダメだったんだよ。それは越中詩郎のあがき方なんか見てればわかるよね。 ―― 反選手会同盟(平成維震軍)は取り残されたベテランレスラーたちが長州さんの許可を取らずに勝手に始めたものですね。 小佐野  それもムチャクチャな話なんだけどね(笑)。でも、そうやって何か自己主張していかないと、流れから置いてかれるのが当時の新日本。だって先輩からすれば闘魂三銃士という強烈な後輩がいるし、後輩からすれば闘魂三銃士は強烈な先輩なんですよ。自己主張しないと自分のポジションなんか、あっという間になくなっちゃうんだもん。団体には大きな方針はあるんだけど、ファンやマスコミを味方にして盛り上がれば、会社も長州力も認めざるをえないからね。 この続きと追悼・ウォーリー山口、フジメグ、引退3連発GSP、飯塚高史、ミルコ…などの記事がまとめて読める 「12万字・記事22本の詰め合わせセット」 はコチラ  https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1747135 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!     
Dropkick
プロレス格闘技マガジン『Dropkick』公式チャンネルです。【更新コンテンツ】スペシャルインタビュー/斎藤文彦INTERVIEWS/小佐野景浩の「プロレス歴史発見」/プロレス点と線/OMASUKI FIGHT/アカツキの『味のプロレス出張版』/大沢ケンジ/二階堂綾乃/オレンジ色の手帳/中井祐樹日記/ジャン斉藤……のコラムなど。週一の音声配信もやってます!