ミノルさん のコメント
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令和をぶっ飛ばすロングインタビューは 松崎和彦 が伝説のプロレス団体パイオニア戦志やオリエンタルプロレス、そして剛竜馬を12000字で語ります!(聞き手/小野仁) ―― 1989年4月30日後楽園ホール、パイオニア戦志の旗揚げから今年で丸30年が経過しました。そこで、パイオニア1期生の生き残りである松崎選手に、30年に及ぶプロレス人生を余すところなく語っていただきたく思います。まず、なんといっても欠かせないのは、パイオニア入門以来師事した剛竜馬さんになるでしょうね。
松崎 それがね、試合を観に来てくれるファンの人たちと話していると、剛竜馬を懐かしむ人たちと、剛竜馬の現役時代をリアルタイムで観ていないという人たちに、最近は極端にわかれるようになってきて。それはもう時間の経過によるものだから。そういう新しいファンの人たちも増えてきているということであって、それは決して悪いことじゃなくてね。ただ、剛竜馬という人間に鍛えられたことは自分自身のポリシーとして、それがなければオレがオレでなくなってしまうと思っている。
―― では、松崎選手にとって切っても切り離せない存在である剛さんについて、やはり大いに語っていただきましょう。剛さんが高杉正彦さん、アポロ菅原さんと興したパイオニアに松崎選手が入門したのは20歳のときですね。
松崎 2年前に高校を卒業して浪人生という立場ではあったけど、その頃は空手に明け暮れていて。
―― とある有名な流派の段持ちだったとか。
松崎 まあね。何校か大学を受験もしたけど、うまく引っかからなくて(笑)、それもまたよしとバイトしながら空手に没頭する日々を送っていたという感じで。プロレスという夢もありつつ、当時プロレスの団体には「何歳以上は何センチ以上」とか規定があったからね。そうしているところに、ちょうど20歳になったぐらいのときにパイオニアの新人公募が出て。そこに載っていたのは「チャレンジする者は来い!」みたいなね(笑)、とくに規定がなくて。ああ、これは門戸が広いんじゃないかと。
また、そのメンバーがね。剛竜馬、高杉正彦、アポロ菅原という、国際プロレス出身の3人がやるというので、そこに惹かれるものがあって。もともと子供の頃から中学1年まで、東京12チャンネルで国際プロレスを観ていたから。地元のロッテオリオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身。当時は川崎球場をフランチャイズとしていた)であり、東京12チャンネルであり、そして国際プロレスであり、なぜかそういうものに惹かれる少年であったと。
―― 元国際プロレスの3選手が設立したパイオニアに惹かれたということですが、剛さんは国際を途中で抜けていて(1978年にフリー転向、のちに新日本入団)、高杉さんと菅原さんは国際時代は若手に過ぎませんでしたよね。3人とも国際プロレス出身であることには間違いないとはいえ、プロレスファンの間では「全日本を整理されてリングを失った元・国際血盟軍の3人」という認識が一般的だったと思います。
松崎 そういうメンバーがやったって面白いじゃないか、プロレスなんて優等生ばっかりがやったって面白くないじゃないかって。
―― コースを外れた人たちだから、それが逆にいいじゃないかと?
松崎 元来が子供の頃から、そういうところがあったからね。光り輝くものにあまり惹かれなくて、なぜか月見草的なものに惹かれるところがあったから。
―― すると、何も既存の団体では規定の条件に満たないからというばかりでなく、パイオニアに入門したのは必然だったような……。
松崎 これは呼ばれたんじゃないかな、オレを呼んでるんじゃないかなって、そんな気がして。それで電話して、浦安にあったパイオニアのジム『ポパイ』まで3月30日に面接に行って、本来は形だけ体力テストをやってたんだけど、それすらやらずに。もう「すぐに4月1日から入りたいんです。明後日、荷物を持って来ますから」と剛竜馬に言って。
―― いや、入寮日まで勝手に決めるものじゃないでしょう!
松崎 そうなんだけど、4月1日で年度替わりだから、そこから入りたいと告げて。テストやって審査結果を待ってどうこうじゃなくて、もう入りたいんだと。面接の希望日を伝える電話したのもギリギリだったと思う。もう切羽詰まって断末魔で電話したから。行きたいな、だけども、なかなか電話しづらいと。最終的に3月28日ぐらいに電話して。
―― そこで躊躇したのはなぜですか?
松崎 やっぱり怖さだね。プロレスという未知の世界へ行く怖さ。
―― 落とされるかもしれない、とは考えなかった?
松崎 落ちることは考えなかったね。とんでもない世界へ足を踏み入れることになるんじゃないかという怖さ。だから、なかなか踏み込めなかったんだけど。
で、「4月1日から入りたい」と一方的に言ったって「オマエ、ちょっと待てよ」ってなるけども、「じゃあ、荷物だけ持ってきて朝練からやるか?」みたいになってって(笑)。「足の運動(ヒンズースクワット)何回やれるか?」って聞かれて、その頃は毎日500ぐらいやってたんで「500はできます」と言ったら、「じゃあ、明後日から来るんなら来てみるか」って話になって。
―― 入門希望の青年が、あの剛さんを初対面で説き伏せてしまった。
松崎 だいたいね、あの人は言葉で相手をねじ伏せてしまったりする人だから。そこをオレが言わせなかったと。思いも寄らない言葉に、返す言葉が出なかったんじゃない?
パイオニアは寮として木造の2間のアパートを2部屋ぐらい借りてて。3月30日に面接で直談判して4月1日に入寮することが決まって、3月31日の夜に、当時ちょうどできたばかりだった川崎アゼリア(JR川崎駅の駅ビル)で「オレ、明日から行くんだよな」って、そんな話を友人と遅くまでしてて。相手は早く帰りたかったかもしれないけど、オレは名残り惜しくて。行くって決めたはいいけど、もう不安だらけで。家に帰っても寝付けなくて、『朝まで生テレビ』をずっと見てた記憶があるね。
―― 直系の弟弟子にあたるマグニチュード岸和田こと藤田豊成選手は、オリエンタルプロレスに入門した当初、松崎選手に「この世界に入るということは、世捨て人になることだ」と説かれたと言っていました。その時の松崎選手自身も、もう明日から一般社会と隔絶した世界へ行くんだという心境でしたか?
松崎 ああ、藤田がオレにそう言われたって? でもホント、そういうことだね。
―― 同じ1期生には、スーパータイガージム出身の板倉広選手や、10月の旗揚げ第2戦で高杉さんと対戦した上野吉貴選手らがいましたね。
松崎 板倉は最初、通いで練習に来てて。様子をうかがいながら入ってきたんだよね。彼らしい選択の仕方というか(笑)。特待生扱いだったね、最初からもうレスリングができたから。上野も最初、通いで来てて途中から寮生になって。やっぱり可愛がられてたね、デカかったから。
―― 浦安のジムでは、もっぱら剛さんの指導を受けていた毎日でしたか?
松崎 そうだね。高杉さんや菅原さんが来ることは、めったになくて。練習は原始的というか「とにかくやれ」っていう感じで。
―― 決まったトレーニングメニューというかメソッドなんてものは、剛さんの辞書にないでしょう?
松崎 そう、ない! 思いつきでね。だからオレはね、ああいうのがあったから今はトレーニング方法を考えてやってるけど、新弟子時代は、ただただ思い付きでやらされて。時間も何もあったものじゃなくて。
―― 練習にはついていけましたか?
松崎 いや、最初はついていけなかったね。それはもう、当然のことで。
―― それは、剛さんに課されるメニューがあまりに過酷だったから?
松崎 それもあるけど、緊張によるものもあったね。もう入って3日目に発疹が出ちゃって。体力的な無理もあって、環境の変化もあって。それでも練習は休まなかったけど。当時は練習しつつ、肉体労働もしつつで。もう入寮と同時に、剛竜馬のツテで山崎美装という会社の現場に入れられて。山崎美装は川崎市の会社で、同じ川崎だからってことで社長が非常に可愛がってくれて。ある時、戸塚(神奈川県横浜市)で大きい現場が始まって、浦安から戸塚まで毎日通って。帰りが渋滞の時間帯で、日によっては残業もあるから、夜10時頃に帰ってきて。で、ちゃんこはやるけど、もう食った気がしないし。睡眠時間4時間ぐらいで、現場に行って寝てるようなもので(苦笑)。そうなると、練習の時間もなくなって。
―― これではプロレスの練習生なのか現場作業員なのか? という状況に……。
松崎 土木作業のために来たようになっちゃって……。ある時、オレたちの慰労をかねて浦安で飲み会をやろうってことで、剛竜馬行きつけの焼肉屋で飲み食いしてたら、別の席のお客さんが店に貼ってあった興行のポスターを見て「これは剛竜馬で……」とか話していて。そこらへんの嗅覚が剛竜馬ってのは鋭いものだから(笑)、「どうも! 剛です。よろしくお願いします!」って挨拶に行ったら、その人の知り合いが地下鉄の工事を取り仕切っている人で、我々に地下鉄工事の仕事が回ってきて。その話を山崎美装に持って行ったことで塗装業者だった山崎美装が建築業一般を手がけることになったという経緯があって。だから、剛竜馬としたら「オレが山崎美装に卸した仕事だ! オマエら肩身の狭い思いをすることはないぞ」ってなもんで(笑)。
―― でも、剛さん自身は現場に入らず新弟子たちに働かせて、がっぽり持っていくだけ持っていったわけですよね?
松崎 そう。ほとんど持ってかれたから。
―― その上に寮費も請求されたりは…?
松崎 差し引かれる労賃に寮費が組み込まれているシステムだったかな。
―― ああ、住まわせてやっているんだからというロジックで……。まさか、最初から上前をはねる目的で新弟子を取ったわけでは、さすがにないでしょうね?
松崎 でも、わかんないね(苦笑)。もしかしたら、そのためだったかもしれない。「そうやるのが賢いよ」って誰かにアドバイスされたなんて話もあって。
―― そんな説も……(苦笑)。ところで、旗揚げ戦の2週間前には、洒水の滝(神奈川・山北町)で合宿がありましたね。
松崎 そこで初めて高杉さんと菅原さんに会って、まず2人の胸囲の広さに衝撃を受けたね。剛さんもいい身体をしてたんだけど、さらに輪をかけたデカさというか、もう岩のようなね。こりゃあ凄いなと。それでまた、その2人はとても話しやすい人たちでね。初めて接したのが剛竜馬だったから、プロレスラーってのはこういうもんなのかなって思ってたら、そういうわけじゃなくて、高杉さんや菅原さんのように普通に話せる人もいて(笑)、むしろそういう人のほうが多いんだけど。2人は普通に人間扱いしてくれてね。剛竜馬なんか、「オマエらなんぞ目クソ鼻クソ虫けらだ、下の下の下だ」ってなもんだからね(苦笑)。
―― 本当に「オマエらなんぞ目クソ鼻クソ虫けらだ、下の下の下だ」って言うんですね(笑)。
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