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かもすさん のコメント

ウルティマ・ドラゴンってそんなにすごい選手だったのか!?
No.3
65ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト 斎藤文彦 氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」 。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます!  今回のテーマは 「ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する」 です!  Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー ■ネット社会に出現したニュータイプAEW、その可能性 ■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される   ■レッスルマニアウィーク現地取材レポート ■平成という「アントニオ猪木が去った時代」 ■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか ■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか ■ 【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」 ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期 ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』 ■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか ■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」 ■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で ■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に ■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死―― ■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう   ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活 ■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括 ■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語 ■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」 ■ 旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー ■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス! ■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!! ■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇 ■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」 ■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る ■『1984年のUWF』はサイテーの本! ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」 ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期 ■超獣ブルーザー・ブロディ ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯…… ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜 ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』  ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い ■「現場監督」長州力と取材拒否 ■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男 ■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑 ■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか ―― 今月のテーマはウルティモ・ドラゴンです。 フミ  ウルティモ・ドラゴンにはもの凄く偉大な功績やレガシーがあるのに、それがわりと検証されてない不思議な人なんです。プロレス団体ドラゴンゲートもウルティモ・ドラゴンの大きな功績の中のひとつでしかありません。 ―― ウルティモ・ドラゴンこと浅井嘉浩の始まりは、新日本プロレス道場になりますね。 フミ  ウルティモ・ドラゴンは珍しく海外デビューなんです。87年にメキシコでデビューするまでの1年半のあいだ、新日本プロレスの道場で新弟子として過ごしていたんです。高校卒業後すぐに新日本の野毛道場の門を叩いたんですが、身体が170センチしかないこともあって新日本ではデビューできないと通告されたのです。それで20歳で単身メキシコに渡って。1987年デビューということは、すでにキャリア30年を超えている。 ―― もう大ベテランになるんですねぇ。 フミ  浅井選手は今年の12月で53歳になるんですけど、ウルティモ・ドラゴンのマスクのままだから見た目は変わらないんですね。関係者はみんな素顔を知ってるんですけど、ウルティモ・ドラゴン変身後は一度もマスコミに素顔の写真は撮らせていないですし、飲み会なんかで記念撮影するときはメヒコのレスラーがよくやる顔に手を被せるポーズで素顔を隠している。オールドスクールの流儀をちゃんと守っている。彼は本質的にはルチャドールなんです。 ―― 日本生まれメキシコ育ちで。 フミ  メキシコでは、もう消滅したUWAという団体でデビューして、ウルティモ・ドラゴンに変身してEMLL(現CMLL)に上がり、メキシコのメジャーからインディまでありとあらゆるリングで試合をしている。メキシコでは超ビッグな存在なんですよ。そしてウルティモ・ドラゴンが伝説的なスーパースターであるもうひとつの理由はメキシコだけではなくアメリカでもビッグネームということ。アメリカの2大メジャーWCWとWWEで長期専属契約していた日本人プロレスラーはウルティモ・ドラゴンただ1人なんです。 ―― 両方のリングに上がったことのある日本人選手はいますけど、長期専属契約はいないと。 フミ   日本では新日本プロレスにも全日本プロレスにも上がっている。みちのくプロレスやWAR、 それこそDDTにも上がっているし、スペイン語、英語、日本語を駆使して世界中を飛び回っているんですが、 彼しか成し遂げていない功績といえば、日本人で初めて本格的なレスリングスクールを開設したことなんです。日本のプロレスのデビューや育成の仕方は、いまではだいぶ変わってきてますが、基本的には団体に入門して新弟子生活を送ってデビューにこぎつける。それが日本の伝統だとするならば、ウルティモ・ドラゴンはアメリカやメキシコで主流のレスリングスクールというかたちを初めて導入した人なんです。 ―― それが闘龍門なんですね。 フミ  この始まりは瓢箪から駒というか、やや偶然があったんです。いまはもう引退してしまいましたが、マグナムTOKYOというプロレスラーがいましたよね。彼はウルティモ・ドラゴンの弟子第1号で、WAR時代のウルティモ・ドラゴンのカバン持ちをしていたんですが、その当時のウルティモ・ドラゴンは「オレは弟子を取らない主義だ」と公言していた。 それでもマグナムTOKYOはゴリ押しして弟子になっちゃったんです。それをきっかけにCIMA、SUWA、ドン・フジイを加えた4人をメキシコに連れていき、FMWでレフェリーをしていたドラゴン・キッドも合流。ナウカルパンにあった一軒家を合宿所にしたのが闘龍門の始まりなんです。 ―― それから多くのプロレスラー志望の若者を受け入れていって。 フミ  半年を1期としてメキシコで学校をスタートさせた。そして卒業生たちが上がるリングとして闘龍門JAPANという団体が活動を始めたのは99年。その時点では10人以上の選手を抱えるようになっていたので団体としてやっていこうということになった。弟子を取らない主義だったのにレスリングスクールを始め、団体としてやるつもりはなかったのに、レスリングスクールの卒業生を逆上陸させるかたちで始まったのが闘龍門JAPAN。その闘龍門JAPANがウルティモ・ドラゴンから独立したことで歩み始めたのがドラゴンゲートになるんです。  ―― いろんな「if」が積み重なってるんですね。 フミ  エル・テハノやグラン・アパッチらベテランレスラーを闘龍門のヘッドコーチに招き入れて基礎から指導して。闘龍門というレスリングスクールはドラゴンゲートだけじゃなくて、その後いろんな国内外のプロレス団体に影響を与えてるんです。ウルティモ・ドラゴンが闘龍門JAPANから離れたあとは、メキシコのレスリングスクールは闘龍門MEXICOとして存続して、ここからデビューしたレスラーは200名近くにのぼる。 ―― 200名! 平成最大のプロレスラー養成機関になってますね。 フミ  ここから生まれた最大のスターは、いまは新日本プロレスのアイコン的存在のオカダ・カズチカです。15歳のときに入門してメキシコでデビューしたオカダ・カズチカとウルティモ・ドラゴンはそんなに会話はしてなかったそうなんですね。何十人もいた練習生の1人。基本的にウルティモ・ドラゴンは弟子とは友達付き合いはしないんです。 ―― 校長先生として生徒とは距離があったということですね。 フミ  元を辿ればシュウとケイのバラモン兄弟も闘龍門出身。新日本プロレスのTVコメンテーターのミラノ・コレクションAT、みちのくプロレスに入門して、修行先としてメキシコに送り込まれたフジタ“Jr”ハヤト、素顔とマスクのふたつの顔を持つヤッペーマン1号・2号もそうです。もう数えきれないぐらいの人数があちこちのリングで活躍してるんですよね。   ―― 闘龍門出身者は保証付きというか。なんですね。  フミ  メキシコでデビューすることによってルチャドールとしてのお墨付きをもらえるし、スペイン語も身につけられる。オンボロの乗り合いバスに乗って、聞いたことのないような町の体育館まで出かけて試合をする。最初から海外武者修行を兼ねているということですよね。技術的にはもちろんのこと、精神的にも強くなる。 ―― そういえば中邑真輔や内藤哲也もメキシコ遠征で覚醒しましたね。 フミ  中邑真輔はメキシコのルチャリブレの学校で、貧困層の子供たちがルチャを習いに来ているの姿を見てるんですね。そのときにプロレス社会のヒエラルキーを肌で感じて、レスリング・ビジネスで生きていくための哲学をいろいろと考察することもあったと思うんですよ。新日本のエリートがプロレス社会のいわば最下層を目撃したわけですから。 ―― メキシコは何かを気づかせてくれる土地なんでしょうかね。 フミ  闘龍門に話を戻すと、海外でプロレス留学を体験できるわけですから、90年代後半から2000年代のプロレス志望の若者にとっては最高の環境だったんでしょうね。ただ、闘龍門の入学金や月謝はそんなにお安い額ではなくて、けっこう高い。またウルティモ・ドラゴン本人が入学希望者とその保護者と面接するときには、両親がサラリーマンの家の子にはあまり勧めない。将来的に跡を継げる自営業の家庭のほうが安心ですよと。どういうことかといえば、このレスリングスクールはその後のプロレスラーの仕事や収入を保証するものではないということです。プロレスの技術はしっかり教えますが、デビュー以後の10年20年先までを保証するものでない。そこはウルティモ・ドラゴン校長が最初に伝えることなんです。 この続きと、ミルコの軌跡、中井りん、和術慧舟會、ウルティモ、スミス新日離脱などの記事がまとめて読める「13万字・記事23本の 詰め合わせ セット」はコチラ  https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1793930 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  1記事80円から購入できます!  
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