大崎ナナさん のコメント
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―― 小佐野さんと寿浦さんが会うのはかなりひさしぶりなんですよね?
寿浦 会うのはもう十数年ぶりじゃない?
小佐野 そんなになるんだっけ?
寿浦 しかし、歳とったな。って自分もか(笑)。
小佐野 フフフ。いま何歳だっけ?
寿浦 60歳。
小佐野 ボクは今年で59歳。天龍(源一郎)さんは今年70歳。(ザ・グレート・)カブキさんたちが72歳。
寿浦 長州(力)も天龍さんと一緒だっけ?
小佐野 いや、ジャンボ(鶴田)が天龍さんの1つ下で、長州は天龍さんの2つ下。それより2つ下が藤波(辰爾)さんかな。で、一番元気なのは長州力。
寿浦 ああ、そうだよね。
小佐野 「源ちゃんと違って、歩けるうちにやめてよかったよ」と言ってたよ。
寿浦 フフフ、まあね。
―― お2人が取材現場で顔を会わせていたのは、80年代後半・全日本プロレスの天龍革命あたりからですか?
寿浦 いつぐらいからだろう……やっぱり天龍さんだよね?
小佐野 というか、寿浦さんって『内外タイムス』で最初からプロレス担当だったんだっけ?
寿浦 いや、丸5年『内外』にいて、最初の1年は事件。プロレスは2年目からかな。そのプロレス扱うのも、『週刊プロレス』で漫画描いてた更科(四郎)さんの義理の弟が『内外』にいたんだよ。それで「UWFをやろう」ということでプロレスを扱い始めたわけ。そのときにUWFをやったはいいんだけど、第1次UWFって月に2回とかしか興行がないじゃん。それじゃ紙面が埋まらないから、ボクがほかのプロレスをやるようになったの。
小佐野 じゃあ、それまでプロレスって扱ってなかったんだ。初めてプロレスの取材に行ったのは?
寿浦 全日本のね、福岡であったジャイアント馬場vsスタン・ハンセンのPWF戦だったかな。
小佐野 福岡だったら、馬場さんが負けた試合だ。
寿浦 そう。当時はプロレス取材のやり方を何も知らなかったから、ボクは負けた馬場さんのほうにコメント取りに行って、誰も記者がいない中、馬場さんに「負けたから、やめるんですか?」と聞くという(笑)。
小佐野 ハハハハハ! 凄いね。
寿浦 そしたら馬場さんが「あんたさ、プロレスってそういうのじゃないんだよね」と教えてくれたんだよ。その前ぐらいに、失踪していた阿修羅原が乱入してきて長州力を襲うというのがあったのよ。
小佐野 それ山形だ! 山形で石川敬士vs長州力があって阿修羅原が乱入したのは、たしか85年。
寿浦 ああ、85年かも。それが初めてプロレスを生で観た大会で、まあ長州力は知ってるけど、乱入してきた阿修羅は「誰これ?」と。入ってきた男が履いてたブーツを脱いでそれで殴るというのを観て、わけがわからなかった(笑)。
小佐野 はいはいはい。でも、一番楽しくやってたのは天龍革命の頃かな。ほら、鬼怒川温泉の合宿とか行ったよね?
寿浦 鬼怒川温泉の合宿って、馬場さんのスポンサーが関係してるヤツでしょ?
小佐野 馬場さんはそのスポンサーから軽井沢のログハウスをもらったりしてるね。
―― ログハウスを丸々もらったんですか!?
寿浦 もともとそのスポンサーは冬木(弘道)のスポンサーだったの。それで一応選手の合宿所にすると言って建てたのに、馬場さんは自分の別荘にしているという。
―― ハハハハハ!
小佐野 鬼怒川の合宿では天龍・原に初めて川田(利明)・冬木が加入したということで、ちょこっと練習して、あとは酒飲んでるというね。
寿浦 練習なんかしたっけ?(笑)。
小佐野 一応ね。鬼怒川で岩を持ち上げて、あとは階段でウサギ跳びやって、「ああ~、いい汗かいた」と旅館に戻ってさ。そしたら宴会のコンパニオンの数が俺らより多いという。
寿浦 フフフフ。
小佐野 『週プロ』の安西(伸一)くんは、あんまり酒が飲めないから風呂場に隠れてたのに、みんなで引きずり出して酒を飲ませてたよね。
―― 当時はマスコミも酒を飲めないと楽しめない感じだったんですね。
寿浦 というか、酒を飲むために行ってたもん。
小佐野 寿浦さんはよく川田のモノマネしてたよね? 「アーー!」とか叫びながらやるラリアット。ほら、よくダイナマイト・キッドみたいなラリアットを川田は昔やってたじゃない。
寿浦 まあ川田はダメなヤツだったからな(笑)。
小佐野 あの頃、川田は酒飲まなかったよねえ。だってあの合宿も、せっかく付いてきたのに「練習に来たのにかえって体調が悪くなった」ってブツブツブツブツ言ってたんだもん。
―― いまと変わってないですね(笑)。
寿浦 それに誘うと来ないんだよ。川田が「昨日も三沢さんと飲みに行ったんだよね?」と言うから、「そうだよ。今度一緒に行く?」と誘うと「行かない」と。じゃあ、聞くなよ! と思うんだけど、そういうタイプではあった。川田のラーメン屋にも一度行ったよ。
小佐野 ああ、どうでした? 彼の店主ぶりは。
寿浦 行ったらさ、注文を取りに来るのは奥さんで、川田はずっと厨房にいるの。1時間ぐらい飲み食いして、しょうがないから厨房のところに顔出して「覚えてる?」と聞いたら、「覚えてるよ。来てるんなら先に言えよ」って。
小佐野 普通はお店の人が挨拶にくるんだけど(笑)。でもいまコロナの関係で20席ぐらいあったのに、8人ぐらいしか入れないって。席もすべて壁向きにして「飲み食いする以外はマスクをしろ」「食べ終わったら帰ってくれ」と。
―― 全国で最もコロナに厳しい飲食店かもしれないです。
小佐野 まあ、本人が感染症をやっちゃってるからね。「みんな肺炎をバカにしているけど、肺炎って内臓を全部やられるから、経験した自分が言うんだから間違いない」って。だから川田の店、いま私語禁止みたい。
寿浦 でも、行ったときはちゃんとしてくれたけどね。最初、ラーメンのトッピングに「玉子足してくれる?」と言ったら、奥さんに「玉子だけはやってません」と言われて、しょうがねえなと思ってたんだけど、しばらくしたら川田が出てきて「食いたいんだろ?」と玉子を出してくるという。
小佐野 ハハハハハ!
寿浦 「川田が料理なんかできたっけ?」と思ったけどね。「昔、ちゃんこ番だったから料理もできるんだ」と言ってたけど、全然そんなイメージない。
小佐野 そもそも全日本のちゃんこって、そんなに凝ったイメージないよね?
寿浦 ないない。だって、よく行ったじゃん。よく肉を差し入れてさ。まだあのときは小川良成、小橋健太、菊池毅とかあのへんがいて。ジャンボがベンツで電話代の集金に来てたよ。
―― 電話代の集金って、どういうことですか?
小佐野 道場にピンク電話があるんだけど、それはジャンボの持ち物なのよ。で、小銭が詰まると使えなくなるということで、ジャンボが来て集金するの。
―― それが鶴田さんの持ち物だったって凄いですね(笑)。
寿浦 だって道場全体がジャンボの持ち物なんだもん。全日本に入ったときの契約金で買った道場だから。
小佐野 あとは全日本から毎月家賃が入ってくるから、それでローンを払ってたんだよ。
寿浦 賢いよね。そういう意味では。
小佐野 結局あそこは売っちゃって、新しい道場を全日本が建てたんだけど、あれもジャンボの口利きなんだもんね。けっこういい住宅街で、たしか道場を建てたらいけない場所でしょ? だから、当時は道場であることは内緒になってた。で、ジャンボは別に自分の豪華な家を持ってて、大きな土地の隅っこに家建ててさ。なぜ真ん中に建てなかったかというと、何かあったときに土地を切り売りするためだという。
寿浦 なるほどね。彼が考えそうなことだよ。
小佐野 川田が関心してた。「鶴田さんのあの家の立て方は素晴らしい」って。
寿浦 まあ、しっかりしてたもんね、ジャンボは。普段の食い物は安上がりのラーメンだけだし。
小佐野 あんまり豪勢な飯を食ってるのは見たことないかもね。
寿浦 地方で飯食ってるのは見たことない。地方だと、試合終わって控室に行くと、天龍さんが「小佐野くん、今日はフロントの前に○時ね」という感じだったよな。
小佐野 「今日どこ泊まってるの?」と聞かれたりして、ホテルの部屋に帰ると「○○という店にいます」というメッセージが入ってて、それでみんな集まるという。
寿浦 楽しかったよ。札幌が一番楽しかったなあ。
小佐野 札幌といえば、天龍革命1周年のときだ! 1周年で五輪コンビ(ジャンボ鶴田・谷津嘉章)に負けた夜に朝まで飲んで、明け方、原さんと一緒にラーメン食いに行ったよね?
寿浦 行ったかもしれない。たしかその日に函館まで移動だったんだよ。朝7時頃出発で。
小佐野 ボクは週刊誌だからそっから東京に帰ったけど、寿浦さんはそのまま残ったんでしょ?
寿浦 そう。7時にバスが出るから、6時頃にホテルに帰って荷物まとめてシャワー浴びて。札幌から函館までだと6時間ぐらいかかるのかな? ボクら記者2~3人はバスの一番後ろが空いてるからということでバタッと倒れ込んだんだけど、その瞬間にカブキさんが入ってきて「昨日さ、飲みに行ったらシャンパンとワインをもらったから、おまえら飲めよ」と言われるんだけど。「……飲めねえよ!」って。
小佐野 ハハハハハハ! いやあ、レスラーは普通は個人主義なんだけど、あの天龍同盟のときは楽しかった!
―― というと、そういう飲み会は天龍同盟の頃だけだったんですか?
小佐野 あとはみんな個々に飲んだりしてたんじゃないかなあ。あの頃ってまだ、みっちゃん(三沢光晴)は酒飲まなかったような気がするし。
寿浦 そうだっけ?
小佐野 だって、仲田龍(当時・全日本プロレスリングアナ)がまず酒飲まないでしょ。みっちゃんは仲田龍と仲良かったから。だから彼らとカラオケに行くと、ただひたすらアニメソングを歌ってるという。「なんなんだ、これは?」と。しかも、みっちゃんはあんなに運動神経いいのに音程だけはアレという(笑)。
寿浦 うん、ヒドかった(笑)。
小佐野 川田はまあまあうまかったけどね。いつも『みちのくひとり旅』歌ってたから。天龍さんは『酒よ』、原さんはなぜか中森明菜の『セカンド・ラブ』だったよね。
寿浦 阿修羅は器用だからね。
小佐野 あの人はレコード出したぐらいだから、歌うまかったんだよ。
寿浦 阿修羅といえば、死ぬ前に長崎まで会いに行ったんだよね?
小佐野 死ぬ前というか、引退したあと。諫早高校のラグビー部でボランティアで教えている頃に1回会いに行った。でも、死ぬ3年前ぐらいからは連絡つかなくなっちゃったんだよ。それで、原さんの実家の前に美容室があるんだけど、その美容室の電話番号を調べて電話して、「目の前の家の原さんと連絡が取れないんだけど」と。そしたら救急車で運ばれたとかで、たぶん親戚のところにいるんじゃないかと。葬式は行ってきたけどね。
寿浦 ああ、そう。ボクが最後に阿修羅と会ったのは、『東スポ』の柴田(惣一)さんの結婚式に阿修羅が出てたじゃん。そのあと何ヵ月か後にボクも結婚式を挙げたのよ。そのときに阿修羅にさ「出るのはいいんだけど、俺その前に消えちゃうかもしれないから」って。
小佐野 え、失踪する前だったの!?
寿浦 そう。天龍さんは天龍さんで、SWS旗揚げの話で全日本とゴチャゴチャがあったじゃん。それで表に出られないからということで、変わりに小川が来たんだよね。
小佐野 そうだ! 小川良成がいて一緒に飲んだのは覚えてる。「ボク、天龍さんの代わりです」と言ってた。
寿浦 (和田)京平ちゃんと龍ちゃんもいて、あの2人がコミックショーをやってくれてるときに、「じゃあ俺、トイレ行ってくるわ」「新郎がいないのにやんの?」みたいなね(笑)。
小佐野 ハハハハハ! もう仕事の話は全然出てこないね。
寿浦 出てこない(笑)。
―― でも、阿修羅さんがいなくなるときは事前にそういう雰囲気があったんですか?
小佐野 ちょっと天龍さんとギクシャクしてたね。その前のシリーズを阿修羅がケガで休んだんですよ。最終戦はカムバックしてきたんだけど、その頃ね、けっこう巡業先まで“追ってくる人”がいてね。
―― 阿修羅さんの借金関係の……。
寿浦 最初は個人に話が行ってたんだけど、最後のほうは「これは会社に来ることになるから、もう俺は表に出られなくなる」と言ってた。だから、最後は馬場さんのところに行ってたんじゃない? 迷惑かけるからということで失踪したんだよね。
小佐野 たしか最強タッグの前夜祭で馬場さんが阿修羅と話してたんだけど、阿修羅が「ちょっとトイレ行ってきます」と言って飛んじゃったんだよ。で、馬場さんが天龍さんに「原、いなくなっちゃったよ」って。だから、天龍さんはその前夜祭は欠席して、次の日の会場で「阿修羅原、解雇」の発表があったという。それで川田が天龍さんのパートナーになったんだよね。
寿浦 ああ、そういう流れだったか。でも、当時は電車移動もあって楽しかったよね。バスじゃなくて電車。やっぱりあの頃が面白かったよ。
―― バスより電車のほうが面白いんですか?
寿浦 全然面白いよ。電車だと1等と2等があって、偉い人はみんな1等に乗って、それ以外は2等に乗って。ボクたちも2等に乗るんだけど、2等に乗ると大熊(元司)さんやマイティ(井上)とか、みんな必死に2時間半トランプと花札をするという(笑)。
小佐野 考えたら、天龍さんと原さんも昔は専用のバスがないから電車で移動してたもんね。自分らで調べて。
―― 天龍同盟の頃、2人は全日本のバスに乗らなかったという話ですもんね。
寿浦 だから必ず時刻表を持ってた。一緒に行動していれば仲良くなれるし、電車だと駅に着くわけじゃん。駅から宿まではタクシーに乗る場合もあるし、歩く場合もあるんだけど、駅にいると人に会うから、そうすると「今日はプロレスがあるんだ」という告知にもなってたの。
小佐野 昔、力道山と馬場さんが駅に着くとデカいから人が見にきてさ。そういう意味では馬場さんの身体の大きさは凄く貢献してたという話だよね。
寿浦 バスだと完全に会場とホテルしか行かないから、そうすると街に露出しないから面白くないよ。
―― そういう意味でも、レスラーがデカいってやっぱり重要だったんですね。
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今はプロレス界に絡んでないから
遠慮が無い(笑)
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