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volkさん のコメント

旗揚げ戦のTV中継、木村匡也の独特の実況と画面端にボクシングのように表示される経過時間が新鮮でした。
ジョージが勝ったのも衝撃で、個人的には滅茶苦茶面白かったのになあ…
No.3
52ヶ月前
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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野景浩 の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは SWSは企業プロレスだったのか? です!   <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> 『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一 名子役から名優へ…中嶋勝彦 デビュー戦から見た木村花というプロレスラー 小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」 新型コロナ禍の中のプロレス W-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近? 追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ 【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」 新生NOAHは何が変わったのか? 獣神サンダー・ライガーと山田恵一 プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」 ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生 日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男 革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる―― 追悼・青木篤志さん 望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜 三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負 ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合 北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾 柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」 多発するプロレスラーのケガを考える 愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん 中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士 最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生 WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!   プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE   暴走親方、諏・訪・魔!! 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… 完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田 超獣ブルーザー・ブロディ 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生 “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴 癌に勝った絶対王者・小橋建太 “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか? 呪われたIWGPが最高権威になるまで 悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生  燃える男、アニマル浜口――!! “天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合 全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準 馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち  我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代 レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち! 「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った! 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!! “リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰 昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!! 史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!! 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム” 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで 「プロレス取材の難しさ」 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!! オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿 ―― 新日本プロレスの親会社がブシロードだったり、ABEMAがDDTやNOAHを傘下に収めたりと、企業プロレスがあたりまえになっているプロレス界ですが、過去でいえばメガネスーパーを資本としたSWSが企業プロレスと扱われていますが、正直あれは企業プロレスと呼ばれるものではないですよね。 小佐野  SWSは企業プロレスではないよね。あれはタニマチ・プロレス。 ―― 要するにスポンサー・プロレスということですね。 小佐野  SWSも企業プロレスをやりたかったんだけど、結果的にタニマチ・プロレスになってしまったのかな。  ―― あのSWSから見た企業プロレスとタニマチプロレスの違いってなんですか? 小佐野  ひとつには、レスラーがオーナーを経営者と見ているか、単なるタニマチとして見ているのか。そこの意識の違いかな。ビジネスとして成立するかどうかはわからないけども、少なくともビジネスとして物事を考えているのが企業プロレスなんだと思う。 ―― SWSにはそのビジネス的視点がまったくなかったということですか? 小佐野  だって当時のメガネスーパーの田中八郎社長は最初から「儲けなくてもいい」って言ってたからね。 「SWSは金儲けじゃなく私のロマンだ」と言って取り組んだから、60億かかろうが70億かかろうが関係ないと。 ―― SWSは最終的に100億円近く使ったわけですもんね……。 小佐野  始めからビジネスとして考えていなかったし、 それに地方巡業にしても、あの舞台装置やスタッフの数からすると、いったい何人入れば採算が取れるの?って。とても売り興行にはできない。SWSの地方興行はほとんど手打ちでやっていたんだけど、どうやっても黒字にはならなかったと思う。東京ドームとかビッグマッチなら話は別だけどね。 ―― それは長期的視点による投資ではなかったんですよね。 小佐野  そうじゃないよね。ひとつのメリットとしてはメガネスーパーの知名度が上がったということは田中社長は言っていたけどね。宣伝効果はたしかにあった。 ―― お金を出してくれたことはありがたいけども、会社組織としては評価しづらいところがあるわけですね。 小佐野   SWSに参加した選手たちは散り散りになったけど、いまになったら感謝してるはずですよ。少なくとも天龍(源一郎)さんはSWS以前からトップレスラーだったけど、他のレスラーはあんなにいい待遇を受けたことないんだから。とくにあの頃は何年も現役が続けられる時代ではなかったから、おいしい話があったら飛びつくよね。 ―― いまみたいに50代60代でもプロレスができる時代ではなかったですね。 小佐野  あの時代のレスラーは40歳がギリギリやれる年齢だと思っていたからね。みんな自分のタイムリミットを知っていたから、できるだけ良い条件の団体を選ぶでしょ。SWSがなくなったあとに天龍さんが WARを旗揚げしたのは42歳だったけど、 そんな歳で新団体を作るのか?ってみんな驚いた。昔だったら引退するような年齢なんだから。  ―― SWSは金権プロレスだとして『週刊プロレス』から大バッシングを浴びました。当時はプロがお金で動くことが批判される時代で。  小佐野  いまだったら批判はされないよね。90年代は野茂英雄がメジャーリーグに挑戦したときでさえマスコミは大バッシングしたからね(笑)。 SWSはそれより前の出来事だから。 ―― 野茂バッシングもSWSと同じくマスコミの傲りが招いたものですよね。 小佐野  あのSWSの失敗があったから、そのあとプロレス界に企業が入ってきてもファンはアレルギーを起こさなかったし、プロレスラーも経営方針に理解を示すようになった。SWS消滅以降しばらくプロレス界には大きなスポンサーは付かなくなったからね。みんな寄ってたかってメガネスーパーを叩いたから、プロレスに興味のある他の企業も敬遠しちゃってね。 ―― プロレスに手を出すと『週プロ』やファンに怒られるイメージがついちゃいましたね。 小佐野   時が経ってから振り返ってみると、あのバッシングはよくなかったんじゃないかという話にもなって、田中八郎氏の評価も変わってきてるし。  ―― 問題は運営の仕方だったということですね。 小佐野  そこはブレーンの問題があったんだと思うよ。はじめが若松(市政)さん主導で、途中から天龍さんが入ってきたけど、既得権があるわけだよね。桜田(一男)さんは桜田さんでアメリカでも試合をやっていたから、日本とアメリカ両方で稼げればいいぐらいの感覚で。 ―― SWSの中心人物だった桜田さんは「なんか揉めてるけど、まあいいや」くらいの感覚でしたよね(笑)。 小佐野  若松さんはそれまでプロレス界であんまりいい思いをしてこなかった人だから。国際プロレスから新日本に移って、マシン軍団のマネージャーとしてブレイクはしたけど、レスラーとしては評価されなかった。表舞台を歩いてこなかった人がああいう立場になったら浮かれちゃうところもあるし。  ―― 若松さんはいい人ですけど、SWSマネーを掴んだこと豹変したところがあったんですか? 小佐野  少なくとも我々マスコミの前ではまるっきり変わらなかったけど、坂口さんに言わせると「若松は変わった」と。「俺には後ろ盾があるんですよ」というものを匂わせるようになったみたいだね。 ―― しかし、若松さんは大当たりの宝くじを拾ったようなもんですね。 小佐野  若松さんのおかげで多くのレスラーがいい待遇を受けられたんだけど、若松さんは自分のような不遇の立場のレスラーを集めちゃったところもあった。 ―― たしかに燻り加減があるレスラーがSWSには集まってましたね。 小佐野   地味目なレスラーが多かったよね。それと若松さんは人間性は別として、プロレスにビジネス的な視点がある人ではなかったから。 ―― プロレス団体の運営に関わったことがない。 小佐野  ブッカーすらやったことがないよね。 ―― 80年代当時ブッカーという存在は認識されていたんですか? 小佐野  そんなには感じてなかったかな。だって当時は誰がブッカーなんてわからなかったから。全日本で佐藤昭雄さんがやってた時代はわかったけど、新日本で誰がその役をやっていたのかはわからないし、おそらくブッカーのシステムがあったわけじゃなく、大筋は猪木さんで考えて、毎日の現場監督は坂口さんがやっていたんじゃないかな。それに当時のマッチメイクは外国人を呼んで、大まかな流れの中で組み合わせてくだけだからね。  ―― 明確なシステムがなかった。 小佐野  全日本にしても馬場さんと元子さんが大まかに考えて、周りの人間に何か知恵はないかとか聞いたりして、最終的には仲田龍と『週プロ』の市瀬(英俊)くんがまとめたりね。 ―― あの頃「俺が猪木さんにアイディアマンだった」と主張する人がウジャウジャいるのは漠然としていたからですね。 この続きと、石井館長、皇治、アポロ菅原、平本蓮、神龍誠…などの9月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事17本の 詰め合わせ セット」はコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1950294 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!  
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