まささん のコメント
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国際プロレス、全日本プロレス、パイオニア戦志、SWS……昭和から平成にかけて様々なプロレス団体を渡り歩いてきた アポロ菅原 インタビュー第3弾。 【アポロ菅原インタビューシリーズ】
①アポロ菅原「国際プロレス最後の夜は、麻雀をやっていました」 ②【全日本プロレス編】アポロ菅原インタビュー「いま振り返っても何もできなかったんじゃないかな」
―― 90年代インディ多団体時代の嚆矢になったパイオニア戦志には、どういう経緯から参加されたんですか?
菅原 えっ、パイオニア戦死?(笑)。 ―― ハハハハハハハ。たしかに戦死されましたが……。
菅原 冗談はともかく、全日本プロレスをクビになったあとは、ウォーリー山口さんのところで、ビートたけしさんのところに集まったプロレスラー志望の若者をコーチしてて。パイオニア戦志が旗揚げする半年前ぐらいに剛(竜馬)さんから連絡があって「もう一度リングに立ってやらないか」という話だったんですよ。 どうしようかなと思ったんですけど、これも何かの縁だろうと思って参加しようと。それから身体を鍛えなおして、旗揚げ戦は1989年4月30日だったんですかね。
―― はい、会場は後楽園ホールですね。
菅原 その半年ぐらい前から身体を鍛え直したり、打ち合わせをしたりしてたんですけど。
―― 当時はプロレス団体を旗揚げするなんて考えられない時代でしたよね。
菅原 それこそ馬場さんの全日本、猪木さんの新日本、UWFぐらいしかなかった時代ですからね。いまだったら誰でもプロレス団体が作れるでしょうけど、それこそパイオニア戦志という団体名は、よくぞつけたもんだなと思いますよね(笑)。
―― まさに「パイオニア」ですからね(笑)。うまくいくと思いました? 2年持たず活動停止に追い込まれてしまいましたけど……、
菅原 先の見通しを考えてやってたことではないと思うんですよ。自分たちもチケットを販売したんですけど、どれくらいお客さんが入るのかなんて見当もつかなかったし、実際にやってみなきゃわからないという感じだったんですよ。
―― 旗揚げ戦は2試合だけでしたよね。
菅原 自分と高杉(正彦)さん、メインは剛さんと、FMW設立前の大仁田(厚)さんの2試合だけですよね。選手を集めて団体としてどうこうっていうのは現実的には難しかったんじゃないかなあ。 旗揚げ戦一発で終わるかもしれませんし、続けるかどうかもわからない状態だったですよね。
―― 菅原さんは半年後の第2戦には参戦しませんでしたよね。
菅原 ええと、それはちょうど横綱(北尾光司)のトレーニングパートナーというか、コーチとしての仕事が入ったもんで。
―― 相撲を廃業されてプロレスデビュー前の北尾さんの。
菅原 横綱とパイオニア戦志、どっちを取るかなって一瞬悩んだんですけど(笑)、ここはやっぱり横綱でしょうという感じですよ。
―― でも、パイオニア戦志の第2戦に出るのは1日だけじゃないですか。
菅原 説明すると、横綱の仕事は遠藤光男会長からお話がありまして。
―― 菅原さんが国際プロレス入りする際にお世話になった。
菅原 「菅原くん、横綱についてくれないか」という感じだったので。横綱もプロレスが好きでずっと見ていたらしいんですけど、それでも未知の世界ですからね。 自分も何か仕事があるわけじゃなかったから「わかりました」と。 それで横綱と一緒に初めてアメリカ本土に渡ったんですよ。
―― アメリカで過ごしていたからパイオニア戦志の第2戦は出られなかったんですね。
菅原 そうなんです。
―― 剛さんと何か揉めたわけじゃなくて。
菅原 揉めたわけではありませんね。
―― 剛さんってレスラー仲間から評判が悪いところってあるじゃないですか。
菅原 うーん、そういうところもあるのかもしれませんね。
―― 菅原さんは剛さんに嫌な思いをしたわけではないんですね。
菅原 彼は俺がお金を持ってないことをわかってましたから(笑)。
―― そういう理由!
菅原 あればあるだけ使っちゃう男でしたからね。お金を蓄えるタイプじゃないから、どうせ金はないだろうと思っていたはずだから。全日本プロレスのときに彼と3ヵ月ぐらいオーストラリアに遠征したことがあったんですよ。結局そのときに自分の性格なんかもわかったんじゃないですかね。あればパパパパパって使う奴だな、コイツはと。
―― 菅原さんは宵越しの銭は持たない感じだったんですね。
菅原 いまはそういう感じではないですけどね。いまはお金がないから使えない(笑)。
―― じゃあ剛さんに何か酷い目には遭ってないと。
菅原 自分は彼の2~3歳、年上だったから、そういう目には遭いませんでしたけど、年下に対してああいう感じで喋られたらキツイですよね。
―― それはつまり剛さんが上下関係に対して厳しいってことですか?
菅原 厳しいんじゃないですか。プロレスという世界はどうしても入った順で先輩・後輩じゃないですか。 プロ野球の場合はたしか年齢なんですよね。だからプロレスの世界はちょっと難しいところがあるんじゃないですかね。
―― 入った順だと年上が年下に頭を下げなきゃいけないケースがあるという。
菅原 年上の人が年下に気を使うのも変でしょ。相撲の場合はそういう世界でも番付がありますから、関係は変わってくるじゃないですか。プロレスの場合は序列はありますけど、番付はないですからね。
―― プロレスの世界は明確な順位を付けられないわけですねぇ。
菅原 どうすればいいかといえば、自分の身に降りかかる火の粉は自分で振り払うしかないんですよね。そのためにもトレーニングをしたりして実力をつけなきゃいけないですよ。上の人から何か理不尽な思いをさせられたときに、跳ね返すものがないとプロレスラーはダメだとボクは思ってます。
―― 菅原さんにもそういうものがあったからこそ、剛さんも無茶なことは言ってこなかったんじゃないですか?
菅原 全日本で一緒になったとき初対面のあとに鶴見(五郎)さんを通して「挨拶の仕方が悪いなあ」ってきたんですよ。
―― うわっ。
菅原 そのあとオーストラリアで食事をしたときに「剛ちゃんは俺よりプロレスの世界に早く入ってるから先輩なんだけども、だからってあんまり言っても俺はそうはいかないよ」って言ったんですよね。
―― そういうカマシが効いてるんじゃないですか!(笑)。
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