• このエントリーをはてなブックマークに追加

OZZYさん のコメント

ピラニアと言えば、2年前に亡くなったあの方々ですね。どうりで・・・
No.4
41ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
クラシックなファイトスタイルで己の道を突き進むHEAT-UP所属のプロレスラー、 渡辺宏志 インタビュー第2弾。今回はW☆ING入門! そこで見た驚愕の赤字体質とは?(聞き手/ジャン斉藤) 前回はコチラ プロレスの青春! 新日本プロレス学校の最後を見届けた男■渡辺宏志 https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1992239 【1記事100円から購入できるバックナンバー】 ・AKIRAインタビュー「海外修行で感じた異様な新日本プロレス」 ・アポロ菅原インタビュー最終回「知名度のわりには……」 ・【プロレスファン必読】RIZIN電撃参戦! 宮本和志ロングインタビュー ・ビンスの黒衣、猪木の親友パット・パターソン■斎藤文彦INTERVIEWS ―― 渡辺さんは新日本プロレス学校卒業後、当時デスマッチ路線で脚光を浴びていたW☆INGに入門されますね。 渡辺  93年6月に入団テストを受けて合格したんですが、それから何の音沙汰もなく9月の頃に伊東で試合があるから、そこに来るように指示がありまして。伊東と翌日の八王子大会のセコンドにつきました。 ―― W☆INGに道場はあったんですか? 渡辺  道場はなかったですね。島田(宏)さんが群馬に道場を持っていて、 週に一度みんなで練習に行っていたそうですが、ボクが入門したシリーズ最終戦で島田さんがW☆INGを離れてしまいまして。 ―― 島田さんといえば90年代インディ界の重要人物ですよね。  【グンマーの謎】北関東プロレス界隈の首領・島田宏インタビュー 渡辺  それ以降はみんなで集まって練習するという機会はほとんどなくなってしまって。 LLPWさんの道場で練習したこともあったんですが、それも1回きりでしたので、練習できるのは客入れ前のリングだけになっちゃいましたね。 ―― W☆INGには事務所があるだけで、興行があるときに選手が集まる感じなんですね。 渡辺  のちに社会人プロレスSPWFでデビューすることになるアジャ幸司、彼とはW☆INGで同期だったんですけど。入団する前から団体とは付き合いがあって事務所に出入りしていたそうなんですが、W☆INGの事務所は四ツ谷にあったんです。番地を見るとマンションの一室で、当時のW☆INGはどこかに部屋を借りるほどのお金がなかったこともたしかなので。いまにして思えば社長の茨城(清志)さんの自宅兼事務所だったのかなとは思うんですけど、 ただ当時の茨城さんは池袋住まいだったような話も聞いていたので。 ―― 入団した段階で経済的に余裕がないことはわかったんですか? 渡辺  ええ。お金の回りがよろしくないという噂はちらほら聞いていたんですけど、 まさかここまでとは……という。 ―― 想像を超えていたんですね。  渡辺  単に茨城さんがお金にだらしなかったということもあるんでしょうけど。当時のW☆INGには、いまのインディー団体から見ても羨ましいところはあって。まず外国人レスラーを呼べて、地方シリーズを組めていましたので。いまは単発で興行をやることが精一杯じゃないですか。 それに外国人も呼べないですからね。W☆INGの頃はまだ贅沢な環境だったのかなと思います。 ―― 給料はあったんですか? 渡辺  練習生はなかったですね。お金をもらえるのはデビューしてからだと。ただ試合をしたからってお金をもらっていた人が何人いたのかなって(苦笑)。 ―― ハハハハハハハハ。 渡辺  これはボクがW☆INGを離れたあとだったんですけど、ボクの3ヵ月後輩の小野浩志がデビューしたものの「お金はもらってない」という話を聞きました。 ―― さすがW☆INGですね(笑)。渡辺さんはどこかで働きながらデビューを目指していたんですか。 渡辺  はい。リングアナの大宝(拓治)さんに言われたことがあるんですよね。「会社がこんな状態で賃金がまともに払えないから、普通に働きながらじゃないと残れない」と。 ―― お金がないのはお客さんが入ってなかったことに尽きるんですか? 渡辺  うーん、そこそこ入ってはいたとは思うんですけどね。 ―― ですよね。それなのにあそこまでお金がないってことは、外国人招聘にコストがかかりすぎたとか。 渡辺  これは小耳に挟んだ話でどこまで本当なのかはわからないですけど、外国人のギャラを茨城さんが払わないからビクター・キニョネスが肩代わりしていたと。 ―― プエルトリコのブッカーのビクターが。それ、すごくありえる話ですけど、茨城さんもタフですよね。 渡辺  決して悪い感じの人ではないんですけど。やっぱりお金の面でルーズというか。島田さんも最後のシリーズのギャラをもらってなかったみたいで事務所に請求に行ったら、茨城さんは「逆立ちしたって鼻血も出ないよ」と本当に逆立ちしたそうですから。 ―― 鼻血が出ても困りますけどね(笑)。そういう未払いの話は枚挙にいとまないんでしょうね。 渡辺  その中でも金村(キンタロー)さんだけには、きちんと払っていたみたいで。あの関係性はいったい?という。 ―― W☆INGもそこまでギャラがよかったわけではないんですよね。 渡辺  松永(光弘)さんもプロレス雑誌のインタビューで「W☆ING時代は風呂なしアパートの生活をするのが精一杯だった」とは言ってましたね。シリーズオフのときはアルバイトをしていて、FMWに移籍してからはインディーの中では高給取りの部類に入ったそうですけど。 ―― 渡辺さんも働きながらシリーズについて回って。 渡辺  リングの設営や椅子の設置とか雑用その他もろもろですね。移動するときは大宝さんの運転する宣伝カーに乗って。 長ければ2週間近くシリーズがあるわけで、シリーズのあいだは仕事ができなくなるので、全日程ついて回るというよりは練習生同士で交代で回ってました。93年11月のタッグリーグ戦の前半は小野浩志で、後半はボクだったんですけど。川崎大会でブギーマンとフレディが謀反を起こした現場に居合わせました。2人が試合中にマスクを脱いで「もうこんな団体はこりごりだ!」と。 ―― 正体のギルバート兄弟が「全日本プロレスに行く」と離脱した事件ですね。結局全日本には登場しなかったですけど。 渡辺  あの日からボクが担当でした。巡業中の宿は、ほとんどがサウナや健康ランドで、ボクらは基本的にはホテルに泊まることはできませんでした。でも、ブギーマンとフレディに離脱してしまったので、ボクと大宝さんが彼らの代わりに部屋に泊まることができたという(笑)。 ―― ブギーマンたちはW☆INGの待遇が悪いから離脱したんですか? 渡辺  おそらく。最初に取り交わした契約と全然違うじゃないかと。もしかしたら契約書なんて存在しなくて口約束だったのかもしれないですけど。 そこに至るまで積もり積もったものがあったんでしょうね。 ―― W☆INGってリング外のトラブルがめちゃくちゃ多い印象があるんですね。  渡辺  何か事件に遭遇したのは、あの2人が謀反を起こしたときぐらいで。ボクらは控室に入れさせてもらえなかったんですよ。会場の売店付近で着替えて、 荷物を売店の誰かに見てもらってセコンドに付いたり、雑用をこなしたり。何かあったとすれば……あれは長野の大会だったかな。会場に顔を出した茨城さんに当時レフェリーだった方が詰め寄ってる姿は見たことはありますね。「お願いですから、ちゃんと賃金を払ってください」と 。 この続きと、RIZINバンタム級GP、AKIRA、佐藤光留、秋山準vs男色、女子格闘家の減量……などの4月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める 「13万字・記事21本の詰め合わせセット」 はコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2017515 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事100円から購入できます!  
Dropkick
プロレス格闘技マガジン『Dropkick』公式チャンネルです。【更新コンテンツ】スペシャルインタビュー/斎藤文彦INTERVIEWS/小佐野景浩の「プロレス歴史発見」/プロレス点と線/OMASUKI FIGHT/アカツキの『味のプロレス出張版』/大沢ケンジ/二階堂綾乃/オレンジ色の手帳/中井祐樹日記/ジャン斉藤……のコラムなど。週一の音声配信もやってます!