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2月27日、千葉の山奥で開催された「“長渕”好きのレスラーによる“長渕”好きのためのプロレス興行」、JEEEP。そのきっかけとなった 土肥こうじ インタビュー。 【1記事から購入できるバックナンバー】
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平日の昼開催ということもあり、限定観客8人という伝説のイベントになったJEEEP(後日ニコニコプロレスで中継)。IGF以外の会場観戦は久しくしていないジャン斉藤も怪しい匂いを嗅ぎつけ片道2時間かけて現場に到着。選手は全員、長渕剛のテーマ曲で入場だ! JEEEPでいったい何が起きているのか。詳しいことは「フライデー、フォーカス、微笑に東スポ、2時のワイドショー!!」をご確認ください。
清原和博引退試合を彷彿させるランボー川村引退セレモニー。歴史の証人となった8人の大観衆と共に「とんぼ」を大合唱。 最後は長渕剛だらけのエンディング。夕日が西に沈む前にイベントは終了。レスラーもお客さんも意味ある道を、ただ生きて帰って来ればいい!! ヨーソロー! ―― 土肥選手が高校時代、『ハッスル』の練習生だったことは知らなかったです!
土肥 高校2年のときに2006年の第1回『ハッスル』オーディションを受けたんです。あのテストでTAJIRIさんやジャイアント・バボこと長尾(浩志)さんが合格して入団した……という体で。
―― ああ、あの2人は実績があったので表向きのテストだったんでしょうね。
土肥 あのときはKUSHIDAさんも受けています。当時ボクは高田道場に通っていて「プロレス好きならやってみろ」ってことで受けたら合格しちゃったんです。
―― どういう待遇だったんですか?
土肥 練習生みたいなもんですね。いちおう親が呼ばれて承諾書みたいなものを書いて。「 現役高校生のプロレスデビューは話題になるから」って社長の山口(日昇)さんは言ってたんですけど。
―― 山口さんのことはよく知ってますね(笑)。
土肥 デビューを目指して『ハッスル』道場で練習をすることになって。ボクの半年後に当時中学生だった黒潮“イケメン”が入ってきたんです。
―― 竹芝の倉庫を改造した道場ですね。
土肥 そこに通ってました。週4回、安生(洋二)さんとTAJIRIさんが2回ずつ指導してくれて。その頃はまだPRIDE道場だったので、プロレスではなく総合格闘技用のリングしかなかったんです。そのリングで受け身の練習してたので「プロレスってめちゃくちゃ痛いんだな」って(笑)。
―― リングの違いがわかってなかったんですね。
土肥 そうですね。大会の手伝いで会場に行ったときにリングを触ると弾むじゃないですか。「これはおかしいぞ……」と。学校の行事と重ならないかぎり、大会の手伝いに行ってました。『ハッスル』って毎回ビッグマッチで、小さくて後楽園ホールでしたから。いい経験でしたね。
―― 『ハッスル』って大規模なエンターテイメントプロレス団体ですよね。従来のプロレスとは手法が違っていますが、土肥選手はどう捉えていたんですか?
土肥 ミスター高橋さんの本が出たのは小学生の頃なんですけど、普通に読んでましたね。
―― ニュージェネレーション!
土肥 小学生の頃は新日本プロレスなんかを見て楽しんでましたが、どちらかというとPRIDEのほうが好きだったんです。
―― だから髙田道場に通っていたんですね。当時の『ハッスル』はバブルでしたよね。
土肥 バブルでしたねぇ。京楽がスポンサーについてたじゃないですか。ボク、中学生の頃からパチンコにやってたので「あの京楽がついてるのかよ!!」ってビックリしちゃって(笑)
―― ハハハハハハハ!
土肥 京楽の御曹司が『ハッスル』の会場に来てたことがあって「こいつが伊東美咲と結婚したのか!?」って(笑)。
―― 京楽は最終的に『ハッスル』のパチンコ台を作らなかったですよね。数億円近く『ハッスル』に投資したのに。
土肥 ニーズがなかったんじゃないですかね(笑)。同期が5~6人いたんですけど、みんな数ヵ月でやめちゃって。KUSHIDAさんや\(^o^)/チエ(バンザイチエ)は特待生扱いというか、半年ぐらいでデビューしたんですけど。結局、ボクも1年半ぐらいでやめちゃいました。
―― デビューすることなくやめちゃったんですね。
土肥 普段は芸能人の練習に付き合わされるわけです。インリン様から始まって、 カイヤや池谷幸雄、クロマティとか。
―― 元読売巨人の助っ人外国人クロマティも出てましたねぇ(笑)。
土肥 で、「なんでこいつらデビューできるのに俺ができないんだ……」という気持ちがちょっとずつ芽生えて。それこそ海川ひとみまで試合をやったじゃないですか。
―― タレントだった海川ひとみさん。
土肥 高3の夏ぐらいに泰葉が練習に来るようになって、これはもうやめようと。
―― 泰葉がトドメでしたか(笑)。
土肥 プロレスに夢が見れなくなったということもありましたけど。将来的にちゃんと飯が食えるのかな、という気持ちもあって。
―― それからまたプロレス界に戻ってくるのも面白いですね。
土肥 縁があってSMASHでデビューしたんですけど。
―― 『ハッスル』ってあそこから借金地獄に陥るから離れて正解だったんじゃないですかね。
土肥 いやあ、もうちょっと頑張ってればデビューはでききたかもしれないので、ちょっとだけ後悔はありますね。
―― 芸能人の中では誰がセンスありましたか?
土肥 インリン様ですね。普通に凄いなって。ボクはちょっとエロい目で見てましたけど。メッチャいい匂いがするんですよ(笑)。
―― 高校生ですね(笑)。本題に入りますが、今回のJEEEP興行は土肥選手の長渕剛好きがきっかけだったとか。
土肥 そうみたいですね。W-1がなくなって全日本プロレスに上がるようになって佐藤光留選手と初めて試合をしたんです。そのときはタッグマッチだったんですけど、ボクは長渕の『ひまわり』が入場テーマなんですけど、向こうは『勇次』で入ってきたんですよ(笑)。
―― 佐藤光留選手の入場テーマは『勇次』ではないですよね。
土肥 光留選手がリングに上がったら「ちゃんとクラッカーを持ってきてるのかコノヤロー!!」って長渕ファンじゃないと、わかりづらいネタを言い出して(笑)。
―― ライブのときに『勇次』の「撃鉄が落とされ」のときにお客さんが鳴らすクラッカーですね(笑)。
土肥 お客さんはポカンなわけですよ。そういうことが何回か続いたんですよね。 『STAY DREAM』で入場してきたりとか、試合のたびに長渕の曲を使ってきて。そこからJEEEPみたいな興行をやろうと思ったんですかね(笑)。
―― そんなきっかけなんですか(笑)。土肥選手っていつから長渕ファンなんですか?
土肥 じつは長渕ファン歴は浅いんですよ。高校生のときに『くりぃむナントカ』でやっていた「第1回俺の方がファンだグランプリ 長渕剛編」があって。その第2回で長渕本人がサプライズ登場したんですよね。
―― ありましたねぇ。カラオケボックスで長渕本人が長時間に渡って熱唱して。
土肥 『乾杯』や『とんぼ』ぐらいは知っていたんですけど、こんなカッコいい人がいるんだって衝撃を受けて。そこからファンになったんです。翌日速攻で TSUTAYA でCDを借りて。そこにからライブにも足を運んで、日本武道館で2DAYSをやるときは両日とも見に行きますし。たとえ2日間、歌う曲は一緒だとわかっていても行くみたいな。
―― 長渕のカリスマ性ってドラマ出演で作られたところもありますよね。土肥選手はJEEEPのリングで英二が憑依したのか、李日韓レフェリーを「あずさ!」呼ばわりしてましたけど(笑)。
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