TENGUさん のコメント
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WWE/NXTから帰ってきた Sareee インタビュー! 濃厚すぎる女子プロレス観に迫ります!(聞き手/ジャン斉藤) 【1記事から購入するバックナンバー】 ・“最後の側近”甘井もとゆきが語るアントニオ猪木&ズッコ夫妻
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―― 新型コロナの影響でWWE参戦が遅れたSareeeさんですが、コロナが落ち着いたところで日本に帰ってきた感じになりましたね。
Sareee そうなんですけど、アメリカはかなり前にコロナは終わっている状態でしたね。向こうでは誰もマスクは誰もつけないですね。
―― 日本に帰ってからのほうがコロナの影響を感じたりしますか?
Sareee 日本のほうが制限が多いと思います。アメリカはコロナが流行ってるあまり時期から全員がマスクをつけてはいなかったと思います。日本にきたら私も出かけるとき、ついマスクをつけ忘れてしまったりしました。
―― アメリカの生活に染まっていった感じなんですね。
Sareee 染まってましたねぇ。最初の頃はコロナが気になっちゃって、テーブルや手なんかは徹底的に消毒してましたし、マスクを二重につけたりしてたんですよ。でも、途中から全く気にならなくなりました笑当初が嘘のように、あと多少のことは気になりません。たとえば何日の何時に来るはずの宅急便も、スケジュールどおりには絶対に来ないから(笑)。
―― ひどい(笑)。
Sareee これが日本だったらありえないですけど、アメリカではけっこう起きることなので、あらゆることがあんまり気にならなくなりましたね。最初はムカつきました。けど、ムカついたところで何も解決しないから、もう仕方ないと開き直って(笑)。
―― アメリカで悟りを開いたと。
Sareee はい。WWEも大きな会社なので、急なスケジュールの変更はあたりまえに起きるんですよね。最初は戸惑いもありましたが、途中からは あっ、いつものやつね みたい感じで切り替えがはやくなりました! かなり鍛えられましたね(笑)。
―― WWEの世界はいかがでしたか?
Sareee スカウトをしていただいたのがきっかけで私は決断しました。アメリカに挑戦してホントによかったなって思います。普通に生きていたらなかなか経験できないことをたくさんさせていただき、世界一の団体に足を踏み入れることもできプロレスラーとして本当に最高な経験でした。この経験は本当に自分の財産になりましたし、これから日本に戻ってきて最大限にこの経験を活かしていきたいです。世界を吸収してきた、Sareeeとしてプロレス界で大暴れしたいなって思ってます。
―― Sareeeさんは日本でプロレスのキャリアを築かれていたじゃないですか。
Sareee そうですね。私は全女(全日本女子プロレス)の先輩方にプロレスを教えていただいて。14歳から10年間、ずっとその基礎を叩き込まれてきたこともあって、“戦うプロレス”がずっと私の中にあります。だけど、WWEに行くとそれだけでは通用しないし、もっともっと勉強することがありました。私がいまの時代のプロレスラーとして学ぶべきもの、足りないものをアメリカで吸収できたのではないかなと思ったので、今回日本に戻るっていう決断をしました。やっぱりやりたいプロレスは“戦い”なんだなって。それがいろんなものを見て再確認できたというか、WWEでいろんなプロレスに触れたことでそう思いました。
―― 基本が全女ということにものすごく興味があります。
Sareee 私の師匠は伊藤薫選手、井上京子選手、そしてジャガー横田選手の孫弟子です。試合でもアジャコングさん、堀田祐美子さんをはじめ、全女の方々にさんざんボコボコにされてきたので。あっ、かわいがってもいただきました(笑)。
―― 全女100%なわけですね(笑)。
Sareee それも、いまのレスラーにはなかなか経験できないことだと思いますね。苦しいこともありましたがそれがあったからいまの私があるし、スカウトしていただきアメリカに渡り世界一の団体を経験できたと思ってます。アメリカにいたのはたった2年ですけど、「2年も」っていう考えもあるじゃないですか。2年も海外修行してきたんだなって。そこは自信持ってやりきった感覚はありますね。
―― 女子プロレスを見るきっかけはNEOなんですよね。
Sareee 全女は生で見てないんですよ、見たかったんですけど……。
―― 全女は90年代末に事実上の終焉を迎えて。
Sareee 私がプロレスにハマったのはNEOからのスタートだったんです。父親が猪木さんの大ファンで、それで私もプロレスと出会って。小学校1年生のときに初めて女子プロレスを見て「これだ!」と。そこからずっとプロレスラーになることが夢でした。中学を卒業する年に進路を決めるじゃないですか。やっぱり「プロレスをやりたい、NEOに入ろう」と決めてNEOの後楽園大会を見に行ったときに、その日に解散することが発表されて……。
―― 最悪のタイミング!
Sareee 「これからどうしたらいいの?」みたいな。NEOに入れなくて落ち込んでることを何かを通じて井上京子さんが知って。私はよくNEOの会場に行っていたので、選手の方達は私の存在を知ってくださってましたね。
―― 有名な存在だったんですね。
Sareee 有名なのかはわからないですけど、 「小さい子がよく見に来てる」と。道場マッチとかにも行っていたので(笑)。
―― 神奈川の綱島にある道場まで足を運んでいたら有名になりますよ(笑)。
Sareee ホントにNEOが好きだったので。井上京子選手から「新しい団体をやるんだけど、一緒にやらない?」って声をかけていただいて「やります!」と。
―― それがディアナだったんですね。しかし、そこまでNEOが大好きだったとすると、団体の消滅はさぞかしショックだったんでしょうね。
Sareee はい。毎週土日は必ずNEOの試合を見に行ってましたし。後楽園ホールや、いまはプロレスで使われてないですけど東京キネマ倶楽部にも。
―― あー、東京キネマ倶楽部は懐かしいですねぇ。
Sareee 東京キネマ倶楽部はおばあちゃんの家がすごく近くて、板橋グリーンホールは実家がめちゃくちゃ近くて。範囲的に1人でも行けるぐらいのところで毎週試合をやっていたんです。
―― NEOな生活圏だったんですね(笑)。板橋にプロレスショップがありましたよね?
Sareee ああ、大山アメリカン行ってました。そこで週刊ゴングを買ってました(笑)。お年玉やお小遣いは全部プロレスグッズ。部屋中プロレスのポスターや色紙だらけです。
―― NEOでは元気美佐恵さんの大ファンで。
Sareee はい。元気美佐恵さんのように強くてカッコいいレスラーが大好きで。元気美佐恵さんや田村欣子さんとかベルトを争っているような選手が好きでしたね。
―― NEOだと小学生レスラーがデビューしましたけど、そこから「私も!」と思ったりしたんですか?
Sareee いやあ……小学生レスラーはレスラーじゃないと思ってて。生意気ですよね(笑)。中学卒業して15歳で入るのが本当の練習生だと思ってました。
―― 厳しい!(笑)。ちゃんとプロレスラーのハードルが設定されていたと。
Sareee 子供ながらにそう思っていました(笑)。小学生や中学生でデビューしている同い年くらいの子がいっぱいいましたけど……自分もリングに立ちたいとは思わなかったです。中学卒業したら練習生として道場で鍛えてからプロレスラーになると決めていたので。 ―― でも、当時は我闘姑娘やアイスリボンでキッズプロレスが流行っていたじゃないですか?
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