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猪木さんの元・娘婿で新日本プロレスの社長も務めた サイモン・ケリー が語るアントニオ猪木!(聞き手/ジャン斉藤) 【1記事から購入できるバックナンバー】 ・ 「怒りとプロレス」……中邑真輔、アントニオ猪木を語る
・ 猪木さんは「おまえ、俺のことを信用してねえだろ」と……鈴木秀樹インタビュー
・ “最後の側近”甘井もとゆきが語るアントニオ猪木&ズッコ夫妻
―― “引退後のアントニオ猪木”ってざっくり語られがちなので、中邑真輔さん、鈴木秀樹さん、晩年のマネージャーだった甘井もとゆきさんに話を聞いてるんですが、サイモンさんも絶対に欠かせないので伺いました!
サイモン よろしくお願いします。
―― 猪木さんが亡くなる直前に、裁判沙汰にもなったIGF方面の皆さんのもとに戻ったのは運命的だったなと思ってまして。
サイモン ああ、そうですよね。猪木さんが戻るという話は以前からあったんですけど、正式に決まったのは今年の夏に入ってからですね。
―― 2018年に猪木さんとIGFが袂を分かったあとは断然状態だった時期もありましたけど、その後もサイモンさんは猪木さんとちょくちょく会えてはいたんですよね。
サイモン たまにですけどね。鈴木秀樹がWWEに行くときに一緒に挨拶に行ったりとか、あとSareeeに会ってもらったりとか。猪木さんがIGFに戻ってからは完全に前の体制になって。IGFが借りた高輪のマンションに猪木さんが移ってこられて。
―― そのマンションで24時間体制で猪木さんを看護されてたんですよね。ものまね芸人の原辰さんが身の回りの世話をされて。
サイモン あと○○さんの奥さんがケアしたりとか、シフト体制だったんですよ。
―― ああ、○○さんも猪木さん大好きですもんねぇ。
サイモン ひとりで24時間は難しいですから何人かで分けて、誰かしら猪木さんと一緒にいるという体制をちゃんとしっかり作ってたし、何かあったときにはすぐにドクターが来てもらえる。IGFが終わったあとパン屋にシフトしたIGFの皆さんがそこのマンションに出入りして、いい感じの雰囲気だったんですよね。
―― 昭和プロレス格闘技界のカリスマだった極真空手の大山倍達総裁やジャイアント馬場さんが亡くなったあとって組織内の揉め方がすごかったじゃないですか
サイモン はいはい、そうですよね。
―― 猪木さんの場合はいろんな意味でリセットされていたから、大きなトラブルは起きてないんだろうなって。だからIGFにも戻ることができたし、正式発表はできなかったですけど、新日本の終身名誉会長就任が内定されて。
サイモン ただ、名誉会長の発表前に亡くなるとは思ってなかったんですよ。俺がお会いしたときはまだ元気で。アメリカにいるときに見ていたYouTubeの猪木さんはホントにヤバかったから。久々に会ったときに「あれ、猪木さん、元気じゃん」って。ひとりでサンドイッチを手に持って食べたりとか、昔みたいに声が通ってなくても普通に会話できていたんで。暮れに猪木ボンバイエとかのイベントで猪木さんが会場に来るのもありなのかなって勝手に思ってたくらいだし。実際にIGFの人たちもそういう計画を始めたくらいだったので。もちろん元気いっぱいというわけではないですけど、なんて言ったらいいかな。書き方はおまかせするけど。それこそビッグセールを狙ってるんじゃないかって。そう言ったら猪木さんはニヤっと笑って。
―― 猪木さんなら何か企んでもおかしくないと(笑)。そう見えるほどの体調だったという。
サイモン みんなが帰ったあとに、隠れてスクワットやってるんじゃないか……って考えたくなるくらいです(笑)。そういう冗談を言いながら、みんなで楽しくやってましたね。本当にいい空間だったんですよね。
―― 亡くなったことは急だったんですねぇ。
サイモン 本当にびっくりでしたね。いつかは来ることとはいえ、いますぐはないと思ったんで。でも、なんだろう。やっぱり病気は大変だったから、半分は寂しいけど、半分はよかったなっていう。
―― 闘病から解放されたところもありますよね……。
サイモン あと最後の最後でいろいろな揉め事が全部修復できたし。猪木さんが亡くなってから、マンションに一日中ずっと弔問客が来るんですけど。最初は限られた人たちだけを呼ぼうってことだったんですよ。でも、いろんな方面から連絡がたくさん来て。そりゃそうですよね、やっぱり猪木さんですから。
―― みんな猪木さんと会いたいですよね。
サイモン ホントにたくさん人が来た。昔の新日本の選手やスポンサー、猪木事務所の人たちとか、いろんな人たちとひさしぶりに会って。
―― サイモンさんは小さい頃から猪木さんとは家族ぐるみの付き合いがあって、80年代・新日本に出入りしていたから、世代を超えて繋がりがありますよね。
サイモン そうそう。ボンヤリながら顔を知ってる人たちもいるし、新日本でも社長としておもいっきり仕事やったし、いろいろあって変なエンディングになった人たちも来ていたし……△△さんも来たんですよ。
―― えっ、△△さんも! 猪木さんのもとを離れたあと芸能事務所関連にいたという話を耳にしてましたけど。
サイモン あんまり話さなかったけど、猪木さんの主演映画がありましたよね。
―― 辻仁成が監督したACACIAですよね。
サイモン そうそう。△△さんはあれに関わってたんですよ。スポンサーさんも平和さんからフィールズさんまで、すごい濃い2日間でしたね。
―― 00年代はパチンコマネーの時代ですもんね。弔問客で一番びっくりしたのは誰ですか。
サイモン 誰だろう……。猪木事務所関係はびっくりしたかもしれない。
―― 猪木事務所方面はいまだ触れちゃいけないタブー感はありますよね。立場によってはスルーするしかない人もいたり。
サイモン それは感じた。「どう話したらいいのかな」「あの人とあの人は鉢合わせになっていいんだっけ?」とか。こういう場だから何かトラブルが起きるわけじゃないけど、そのへん自分やIGFのスタッフは気を使って誘導したり。亡くなったその日の晩にテレビ朝日の『サタデーステーション 』で猪木さんの追悼番組が2時間あったじゃないですか。あの番組を猪木さんの部屋でみんなで見ていたんです。奥に猪木さんがいるから不思議な感覚で……。
―― 葬儀も大変な人数だったんじゃないですか。
サイモン そうなんですけど、自分は立場的に出ることは……。
―― あ、そうか。サイモンさんは微妙な立場ですよね。
サイモン そうなんですよ(苦笑)。
―― でも、猪木さんの包容力はすごいですよね。娘さんと離婚した方と仕事したり。
サイモン それでいったら猪木さんは(倍賞)鉄夫さんとずっと一緒でしたからね。猪木さん自身、そのへんは気にしてないんですよね。
―― 離婚された倍賞美津子さんの弟で、長年のあいだ猪木さんの右腕だった鉄夫さんですね。2017年にお亡くなりになって。唯一気になってるのは2012年に離婚された尚美さんと、そのあいだに生まれた現在30歳を超えているご子息の存在ですね。
サイモン 今回は来てないですね。
―― そうなんですか……。 <1万字インタビューはまだまだ続く>
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側にいた方が全員アントニオ猪木になるって分かるなあ。
一度お会いしてみたかったです。
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