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ガースーさん のコメント

小佐野さんのインタビューはいつ読んでも心地良い。
No.3
6ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野景浩 の「プロレス歴史発見」――。今回は 追悼“テキサスブロンコ”テリー・ファンク で す! <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> G1クライマックスに圧倒的な価値観を! ALL TOGETHERに見えたリアルな関係 ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」 【永田三冠議論百出】全日本プロレスは大丈夫 清宮海斗の「顔面蹴り」と「平和ボケ」 プロレス大賞の選考は毎年難しい 岩谷麻優vsKAIRI IWGP女子王座の勝負論 私が愛した“若獅子”アントニオ猪木 プロレス界の歌ウマ王は誰だ? この旦那にしてこの妻あり!! 天龍源一郎を支えたまき代さん 頑固一徹! 追悼・ターザン後藤さん 【サイバーフェス】中嶋勝彦vs遠藤哲哉の張り手事件 大谷晋二郎選手の試合中の事故について 『至高の三冠王者 三沢光晴』を書いた理由 新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎 令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦 東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021 プロレスと結婚した風間ルミさん 武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」 『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一 【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」 北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾 柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… ―― 今回のテーマは先日お亡くなりになったスーパースター、テリー・ファンクさんです。コメント欄に「懐かしい」という書きこみが出るぐらい“テキサスブロンコ”が遠い時代になってしまいましたが、小佐野さん、よろしくお願いします。 小佐野  よろしくお願いします。私はテリー・ファンクのことを彼の初来日のときから見てるんですよ。テリーの初来日は1970年だから昭和45年です。 ―― ボクでさえ生まれてないです!(笑)。 小佐野  私が小学校3年で9歳のときですね。ちなみにいまは62歳です(笑)。 ―― もう50年以上前の話ですね……。 小佐野  当時のテリーはブロンドヘア。あとあとインタビューしたときに「なんであのときブロンドだったんですか?」って聞いたら「とくに考えもなくブロンドにしてみようかな」と思ったみたいで。それは白髪交じりのおじいちゃんになってからの取材だったから「いまになると黒髪にしたい」と言っていた(笑)。 ―― テリー初来日前の評判はどういうものだったんですか? 小佐野  そのときはドリー・ファンク・ジュニア2回目の来日でもあったんですよ。NWA世界チャンピオンと兄弟揃って来日するということで、日本プロレスのパンフレットの表紙もファンクスだったし、中にはファンクス物語という読み物がついていて。だからかなり注目されていましたね。 ―― 初来日前から評判は高かったということですね 小佐野  ドリーの初来日はその前年の69年12月。お父さんのドリー・ファンク・シニアがマネージャーとしてついていて、ちょっと悪いことをしたりしてヒールっぽくはあったんだけど、新しい時代の世界チャンピオンとしての期待感があった。そのときにドリーが猪木さんと60分フルタイムドローをやってますね。 ―― 猪木さんがベストバウトのひとつに挙げる名勝負ですね。 小佐野  若き本格的なテクニシャン。あとあと冷静沈着な兄ドリー、やんちゃな弟テリーに色付けされていくんだけどね。 ―― そもそも兄弟揃ってNWA世界王者になるってすごいことですよね。 小佐野  そこは父親のドリー・ファンク・シニアがちゃんと2人を鍛えてたってことだよね。ドリーはちゃんと大学を卒業してレスラーになったんだけど、テリーもお父さんから「プロレスでどうなるかわかんないから大学を卒業しておけ」と言われたのに、大学4年のときにやめてプロレスの世界に飛び込んじゃった。 ―― ひじょうにテリーらしい(笑)。 小佐野  テリー本人は子供の頃から「自分はプロレスラーになる」と決めていたから「学校なんかどうでもいいや!」みたいな感じだったんでしょう。 ―― 兄弟の性格の分かれ方が最高ですね。 小佐野  本当に性格は全然違うよね。かといって、ドリーが超貴重面でマジメな人間かいうとまた違うから。時間に超ルーズ。まあテリーもルーズなんだけど(笑)。『月刊ゴング』時代にテリーにインタビューしたんですよ。そのときに私は寝坊して3時間遅刻したんですよ……。 ―― 致命的な寝坊(笑)。 小佐野  「ヤバイ」と思って取材場所のホテルに慌てて向かったら、テリーはさらにその1時間後に起きてきた(笑)。 ―― ハハハハハ! さすがです(笑)。 小佐野  お互い何事もなかったかのように取材ができたよ(笑)。だから、よくあの兄弟2人がNWA世界チャンピオンとしてスケジュールをこなしてたなって。昔はNWAに加盟しているプロモーターのところをチャンピオンはサーキットして回っていたでしょ。 ―― そこの地区のチャンピオンと戦うわけですよね。 小佐野  NWA世界王者は年間スケジュールが決まっている。今週はフロリダ、来週はロサンゼルス……時間にルーズなあの2人がちゃんとこなしていたのは、まあまあ不思議だなって。 ―― 過酷なサーキットを続けられるスタミナ、精神力、そしてスケジュール管理能力が問われると。 小佐野  テリー・ファンクはどうしてもドリー・ファンク・ジュニアの弟というイメージが強かったんだけど。彼1人でも全然やれる、日本でトップを取れると誰もが思ったのは、全日本プロレスの旗揚げシリーズに参加したとき。あのときはテリー1人でやってきたんですよ。シリーズ通してのエースはブルーノ・サンマルチノだったんだけど、前半でブルーノと並んでエースを務めたのがテリー・ファンク。テリーはその役目を見事にはたした。全日本の旗揚げということは、要はアマリロ地区のプロモーターだったシニアと全日本が提携して初めてのシリーズ。送り込まれたテリーがエースの役目を務めたことはすごく大きかったと思う。 ―― 馬場さんの信頼を得たことでアマリロからの外国人ルートも活発化していったんですね。 小佐野  たしか後半戦はお父さんのシニアも来てたんだけど、シニアと入れ替わりでテリーはアマリロに帰った。前半戦をテリーに任せていたってことは、お父さんのシニアもテリーを信頼していたってことだね。 ―― 日本ではファンクスとしての兄弟コンビのイメージも強いですけど、シングルプレイヤーとしても一流だったということですね。 小佐野  兄弟揃ってNWAの世界チャンピオンにもなってるわけだしね。しかもお父さんのシニアが亡くなったあとで、後ろ盾がないのにチャンピオンになってるからね。 ―― プロモーターも好き嫌いがあるでしょうから、後ろ盾は必要ってことですね。 小佐野  各地のプロモーターを前にして、何か後ろ盾がないとチャンピオンとしても大変だったと思うよ。テリーの場合は兄のドリーが後ろ盾なんだろうけど、政治的なものを絡めれば、シニアのほうが存在としては絶対に大きかったわけだから。もちろんレスラーの実力は問われるよ。各地のプロモーターが「コイツがチャンピオンじゃダメだ」と思われたらやっていけないし、「彼がチャンピオンだとお客が入る」と歓迎されないといけないからね。 ―― シングルプレイヤーとしても偉大なレスラーですけど、ボクの子供の頃はザ・ファンクスとしてのイメージが強くて。 小佐野  そうかもしれないね。シングルマッチで大きな試合が日本であったかっていったら……ドリーなんか常に猪木さんとのシングルマッチが語られるんだけど、全日本時代のテリーはあんまり聞かない。結局日本ではライバルがいなかったよね。ブッチャーとの抗争はすごかったけど、それはまたちょっと違うでしょ。ちょうどいい相手といえば、ジャンボ鶴田になってしまうんだろうけど。ジャンボだとやっぱりキャリアが違うから。 ―― ジャンボ鶴田とは師弟っぽさもありますし。 小佐野  これもテリーの弟子なんだけど、スタン・ハンセンが新日本から全日本に移籍してきたのはよかったと思うんだよね。まあハンセンの移籍を画策したのはテリー本人なんだけど(笑)。 ―― ファンクスと超獣コンビ(ブルーザー・ブロディ&スタン・ハンセン)の激闘ですね。 小佐野  ドリーがブロディ、テリーがハンセンと対峙する図式だよね。ハンセンはテリーとシニアにスカウトされてプロレスに入ったんですよ。いわゆる師弟関係なんだけど、いざ全日本のリングに来たらお互いにトップを取り合う。しかもその戦いはかなりすごかった。プロレスの範疇をちょっと超えてるというか……。 ―― 一線を超えたプロレスだったと。 小佐野  これは明らかにビジネスを超えてるだろうと。ハンセンなんかに言わせると、テリーは大学のときから先輩で、日本に来てからも先輩である。この関係を突き崩さないと自分たちはトップに行けない。だったら、あのぐらいやらないと、ファンクスの支配からは解き放たれないという思いがあったんだよね。 ―― 精神的な戦いでもあったんですね。 小佐野  テリーもそこも承知の上。リアルな人間関係があったから、日本のファンが熱狂してくれたというのが2人の共通認識。日本のファンはリングの上でダンスが見たいんじゃないだろう、フィジカルなレスリングが見たいんだろうと。それが俺とスタンのやり方なんだよと言っていた。 11000字インタビューはまだまだ続く この続きと金原正徳、佐藤将光、長井満也、万智、猪木映画…などの10月バックナンバー記事が600円(税込み)でまとめて読める 「13万字・記事14本」 の詰め合わせセットはコチラ    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2171384   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!  
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