kiki1さん のコメント
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JMOC代表理事 豊永稔 さん 、 JMOC理事 福田正人 さんをお迎えして、 日本MMA審判機構JMOCの成り立ちや、競技運営の歴史を探ります!(聞き手/ジャン斉藤) *このテキストはDropkickニコ生・Youtubeで配信されたものになります。
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── 今日はJMOCの皆さんをお呼びして、日本格闘技界の競技運営の変遷などを振り返っていただきます。まず自己紹介からお願いいたします。
福田 JMOCの福田正人と申します。よろしくお願いします。
豊永 同じくJMOCの豊永稔です。よろしくお願いします。
── 福田さんがいまいらっしゃる場所は、どちらですか?
福田 JMOCが競技運営で協力させてもらっているアマチュアMMAコンペティション、AMMAC(アムマック)って大会があるんですけど、拝島に専用ケージができまして。RIZINさん、DEEPさんに競技運営に参加するのと同じように、AMMACにも協力させてもらっています。
── AMMACはJMOCの皆さんも経験を積んでいく場になるわけですか?
福田 そうですね。アマチュアの選手育成の場なんですけども、レフェリーやジャッジ、インスペクター、競技オフィシャルもAMMACの中でトレーニングをしています。JMOCのほうでハンドラップやジャッジトレーニング、レフェリーの講習会を開いてますが、それを受講していただいた方の実践の機会というところで、AMMACの舞台を使わせていただいていますね。
── レフェリーもジャッジの皆さんもアマチュアで経験を積んでプロ興行に上がっていくわけですね。
福田 やっぱりいきなりRIZINでレフェリーすることは難しいと思いますので。まずアマチュア、次にプロの前半の試合と、少しずつステップアップしていく。何年もかかるので、地道にやっていくことが求められますね。
── いまはそういうシステムができてますけど、豊永さんがPRIDEでレフェリーやジャッジを始めた頃はどうだったんですか?
豊永 いまのようなシステムはまったくなかったですねぇ。要はMMAという競技自体もまだ成立していなかった時代で、まだ「バーリトゥード」と呼ばれていましたから。競技運営、ジャッジもそれぞれの競技のスペシャリストを集めてやってるようなかたちでしたね。
── 豊永さんがはじめて競技運営として参加した大会はどこになるんですか?
豊永 プロに関してはPRIDEですが、その前にアマチュアは経験を積んでます。さっきも言ったようにPRIDEにはキックや組技からレフェリーとして参加してる方がいたので、それぞれのアマチュアの大会のレフェリーをやらせてくださいとお願いして。1年間くらいアマチュアで経験を積みましたね。
── いまでは信じられないですけど、昔のレフェリーはプロレスの試合も裁くこともありましたよね。
豊永 私もUWF系の格闘プロレスのレフェリーをやったことありますね。バトラーツだったかな?ロープエスケープとダウン、KOしかない試合だったから、ほぼ格闘技みたいな内容でした。
── そうやって場慣れしていったんですね。
豊永 当時は経験の場がなかなかありませんでしたし、レフェリーになりたい人もいなかったんですよね。いろいろな意味で、いまとはまったく環境が違いました。
―― レフェリーへのルート自体がなかったですよね。いまJMOCの講習会を受けて勉強されてる方は何人ぐらいいらっしゃるんですか?
福田 基本的にJMOCの認定を受けている方は20人くらいいるんですけど、それとはべつにトレーニングを受けてるのは常時10人くらいですね。華やかな舞台で何かできると思って来られる方も中にはいらっしゃるんですが、そういう方は1回、2回で終わってしまうというか。なかなか続けること自体が難しいですね。
── そこは格闘技ジムと同じですね。プロになるために1、2回通ったけど、イメージと違って続かない……みたいな。
福田 いまJMOCではRIZINさんで業務をやらせていただいているから、いきなりRIZINで……と思って入って来られる方もいると思うんですよね。でも、まずはアマチュアの場でいろいろと経験を積むことになります。アマチュアの大会の競技運営って、まあまあ大変なんですよね。出場者の人数も多いですし、この前も100人ぐらいの出場選手が出ていました。その選手たちのチェックをしなきゃいけないとなると、それなりに大変なんですよね。
── 試合を裁いたり、ジャッジをするだけじゃなくて、競技運営をサポートすることも仕事なんですね。
福田 まず、そこからスタートします。とくにRIZINの競技運営でいうと、バックステージには常時10人以上のオフィシャルが動いてるんですよ。ハンドラッピングの専門家がいますし、競技用具をチェックしないと、リングに上がったときに変なコスチュームを着ていたり、ハンドラップがぐちゃぐちゃだと困りますからね。これは豊永さんとも話をするんですけど、自分たちが安心してレフェリングやジャッジングできるのは、バックステージでしっかりチェックして、選手をリングサイドまで送り込んでくれてるからなんですよね。
―― いきなりレフェリーやジャッジができるわけではなく、まずはバックステージの業務を経験するわけですね。
福田 アマチュアで経験を積んでから、バックステージの10人の中にたどり着いて、そこからリングサイドのジャッジ、リング上のレフェリーをやるまでにはそれなりの時間がかかります。10年ぐらい前までは、そのバックステージの担当も、その大会だけのアルバイトの方が多かったんですよ。競技用具をチェックするにあたってはルールをしっかり把握しておかなきゃいけない。コスチュームやハンドラップの規定とかけっこう細かいので、当然その場かぎりの方ですと、チェックできないことが多かったんです。いまはトレーニングを受けた方じゃないとチェックできない環境に変わってきています。
── 豊永さんがPRIDEでやられていた頃のバックステージの管理はどうだったんですか?
豊永 そもそもいまのように規定がなかったですね。講習会もなかったですし、グローブやバンテージをチェックするのみだったような気がしますね。
── チェックはするけど、システムがなかった。
豊永 そうですね。いまのハンドラップの規定はなかったんで、テーピングをガチガチに固めてOKだったりしましたね。
── 当時はレフェリーの講習会はなかったんですね。
豊永 なかったです。現場で経験していくというか。うまくいくことばかりではないし、選手から文句を言われることもありました。昔の選手はちょっと荒くれ者が多かったので、けっこうやり合うこともあって……。
── 当時は重量級の外国人ファイターが中心でしたから、コントロールも難しかったという(笑)。
豊永 そうなってくると「もうやってられるか!」ということでやめていくレフェリーやジャッジもいましたし。
── いまもそうですけど、割に合わないというか、大変な仕事ではありますよね。
豊永 皆さんが思ってる以上に褒められませんからね(苦笑)。褒められることがないので「自分はできる!」と思って入ってくる人ほど、途中でいなくなってしまうことは多いですね。
── 豊永さんが20年近く続けられるのはメンタルが強いというか。
豊永 もう我慢の連続ですねぇ。我慢して続けてきた結果です。
── 豊永さんは競技運営のシステムの変遷をずっと見てきたわけですけど、大きな変化はあったのはいつくらいなんですか?
豊永 そこはRIZINが大きいのかなとは私は思ってますね。ハンドラップや、バックステージやリングサイドのインスペクター(監視役)、他にも細かい仕事があるんですけど、そういう役職の講習を重ねることでスペシャリストを作っていったんですけど。昔は団体付きの審判団だったんですが、それをひとつの団体だけじゃなくて横断的に波及させていこうと。そういう組織(JMOC)を作りませんかと、いろんな人に声をかけていきました。そのきっかけがRIZINですね。
── 昔の審判団は団体内部の組織だったんですが、JMOCは団体と分離した。その試みはRIZINの業務を請け負うことでスタートしたわけですね。
豊永 そうですね。私はRIZINをPRIDEの後継団体だと思って参加したんですけど、競技運営がまったく違ったので衝撃を受けました。
── 衝撃を受けるってどういうことですか?
豊永 それはちゃんとしてるということです。
── 豊永さん、すみません。それだとPRIDEがちゃんとしてないみたいな言い方になっちゃうんですけど(笑)。フォローすると当時はPRIDEに限らず、どこもしっかりできていなかったわけですよね。
豊永 やっぱり過渡期でしたし、UFCも時間無制限の試合をしていたときもありますから。でも、UFCはアスレチック・コミッションという第三者機関が入ることで、競技化が進みましたけど、日本はちょっと立ち遅れていたというか。そこは日本でメジャーイベントがなくなったこともあります。
―― 大きな興行じゃないと人材やお金もかけづらいですよね。
豊永 それで私はRIZINが始まってから2年後に参加したんですけど、競技運営がちゃんとしていることに驚きました。そこはいまの競技統括の福田さんが、先進的に変えていったんじゃないですかね。
── 福田さんがRIZINと話をしながらJMOCという組織の土台作りをやられてましたが、そもそもRIZINがなぜ積極的に第三者的な組織を作ろうと思ったんですかね。
福田 最初はまだRIZINという名前がまだついてない頃、2015年の8月ぐらいですかね。新しいイベントをやるにあたって、RIZINを始める方から「いまの時代に合った競技運営をやりたい」と。すごく強い意志を感じるお話をいただいたことをはっきり覚えていますね。先ほど豊永さんが言ってましたけども、当時の日本の格闘技界はメジャーイベントがない「冬の時代」だったんですよね。その一方でUFCはMMAとしての競技化がすごいスピードで進化していて。日本は遅れているところがある中、どこまでできるのかと思ったんですけど。当時の日本の環境であれば、プロモーターが「第三者組織なんて関係ない」といくらでも決まりを破ることはできたんですよね。
―― 団体の都合でやれると。
福田 だけど、そこはRIZINさんの「いまの時代にあったものを作る」という強い意思もあるのか、競技運営に関してなにか介入されたことは一度もないですね。
── RIZIN以前・以後ってホントに違いますよね。だからこそ豊永さんもショックを受けたと。
・昔はジャッジやストップの基準がなかった
・ジャッジの見方が深まった朝倉未来vs斎藤裕
・ジャッジはアップデートしていく
・変わりゆく「10対8」の付け方
・ジャッジ陣が選手と写真が撮りづらい理由
・レフェリーの真価はアクシデントが起きたとき
・サブレフェリーの重要性
・ブレイクの指針はABCが決めている……18000字対談はまだまだ続く
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