Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回のテーマは「真夏の怪談……夢かうつつか、アフリクションの過激な1年と4日間」。皆さんはおぼえてるいるだろうか。アパレルメーカーだったアフリクションがMMAイベントを立ち上げ、夢の頂上決戦ヒョードルvsジョシュ・バーネットを発表し、大会開催9日前に消滅したことを……。北米MMAバブル、その顛末!
「Banned(追放)」と題されたアフリクションの第1回大会がアナハイムのホンダセンターで開催されたのは、2008年7月19日のことだった。
「追放」の意味合いはこうだ。2007年の終わり頃から、UFCは、契約内容をめぐってランディ・クートゥアと激しく対立。クートゥアは、UFCを離脱してエミリャーエンコ・ヒョードルとの大一番の実現に向けて動くとの意向を表明していた。ランディ・クートゥア率いるエクストリーム・クートゥア・ラインの衣料品を扱っていたアフリクションは、文字通り「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の論法で、2008年1月にオクタゴンから追放処分を受けたのである。