ゲストさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
日本武道傳骨法創始師範、 堀辺正史 氏が2015年12月26日に心不全のために逝去されていた。堀辺氏の意向により葬儀は家族だけで執り行われ、関係者に伝えられたのは3月に入ってからだった。80年代からプロレス格闘技界で特異な存在感を示してきた堀辺氏、そして喧嘩芸・骨法――。ここはやはりこの男の話を聞かなければいけないだろう。 「虚勢乙…もとい虚星堕つ…もとい巨星落つ」 という、独特の愛情表現で堀辺氏を弔った ヤノタク こと 矢野卓見 に追悼インタビューを行った。元弟子は何を思うのか? 【喧嘩芸の実態がよくわかる骨法シリーズ】 ■ヤノタク、堀辺正史を語る「骨法は俺の青春でした……」【愛と悲しみの17000字インタビュー】 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar483646 ■骨法会員番号229番!漫画家・中川カ〜ルが見た「骨法変節の瞬間」
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar560930 ■ヤノタク×中川カ〜ル「俺たちが愛した喧嘩芸骨法」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar581751 ■元・骨法内弟子、かく語りき「矢野くんや皆さんは骨法を誤解しています」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar546715 ■船木誠勝「俺は真剣勝負がやりたかったわけじゃないんです」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar597913 ―― 今日は急なお話にも関わらず時間を割いていただいて。
矢野 いえいえ、まあ、亡くなったのは急な話……ではないですけどね。
―― 骨法の堀辺正史さんが昨年12月26日にお亡くなりになってまして。3月に入るまで外部には伏せられてましたね。
矢野 親しい関係者にも知らせてなかったんですよね。
―― みたいですね。亡くなる前日に谷川貞治が堀辺先生を取材してるんですよね。そのあと原稿チェックなんかのやりとりもあったはずなんですが……。
矢野 そこは局長(堀辺夫人)が原稿チェックしてたんでしょうね。
―― 骨法の寮生たちはさすがに先生の死を知ってたんですよね。
矢野 まあ、さすがに知ってたと思うんですよね。たぶんですけど。
―― しかし、SNS全盛の世の中でここまで情報が漏れないって凄いですよね。
矢野 まあまあ、寮生もそんなに数は多くないですからね。誰が漏らしたかはわかっちゃうんで。俺だったら言いたくなっちゃいますけど(笑)。
―― ハハハハハハハハハハ。
矢野 それより、なんでここまで隠していたのかを考えたんですよ。これは武田信玄を倣ったんじゃないか、と。
―― あー、「しばらくは死んだことを隠しておくように!」と。
矢野 あの人が考えそうなことじゃないですか(笑)。堀辺先生が死んでも、次の体制ができるまでは公にはせず……というふうに考えたほうが面白いですよね。
―― 矢野さんが堀辺先生が亡くなったニュースを聞かれたときはどう思われました?
矢野 うーん、なんていうんですかね、「昨日亡くなった」という話なら「昨日何してったけ?」って考えるんですけど。亡くなったのは去年の12月26日じゃないですか。あの日は土曜日か、何をやってたっけかな、おぼえてないなって。実感が湧きにくいし、もともと堀辺先生って死にかけてたじゃないですか。まあまあ、だから「けっこうもってるな〜」くらいの感じではいたんですけど。
―― 矢野さんは堀辺先生とはずいぶん会われてないですね。
矢野 そうですね。直接話したのは、スポセン(新宿スポーツセンター)で練習してたら、先生が寮生を連れて殴りこんできたときですよね( http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar483676 )。
―― ああ、「ガードポジション、やれるもんならやってみろ!」のときですね。
矢野 あれ、まったく意味がわからなかったですね。あれが最後の会話ですよ(苦笑)。
―― じゃあかれこそ20年近く……。
矢野 そうですね。いまの心境を言えば、追悼するって感じでもないですし、悲しくもないんですけど、べつに嬉しくもない。なんなんですかね。
―― 矢野さんと骨法の愛憎入り交じる関係からすると、複雑な感情があるでしょうね。
矢野 複雑なのかなあ……。
―― プロレス格闘技界としては功績はあったし、影響を与えたっていう評価に落ち着くと思うんです。
矢野 そこは関わりの深さで変わってくると思うんですけど、そんなに骨法に関係ない人にとっては「功績はあった」だと思うんですね。逆に堀辺先生の近くにいてゴジャゴジャあった人は「ふざけんなコノヤロー!!」って気持ちは強いと思う。
―― 矢野さんは後者なんですか?
矢野 うーん、ボクはそこまでの感情はないですけど(苦笑)。ある人は網膜剥離になって障害者になったし。
―― それは◯◯さんでしたっけ?
矢野 ◯◯さんは稽古中の事故で金玉が一個なくなっちゃったみたいですね。
―― 喧嘩芸ですね……。
矢野 イジメられてやめた奴もいるし、悪感情を持ってる人間は凄くいると思うんですよね。 ―― 骨法をやめた武闘派たちが当時の師範代を襲撃するなんて話もあったとか。 矢野 自分のことをいえば、なんとなく思ったのは、俺の両親は堀辺先生と年齢も近いところはあるし、まだ生きてるんですけど、微妙に予行練習っぽいところはあるのかなって。
―― 今生の別れの。
矢野 そうそう。
―― つまり矢野さんの人生において、堀辺先生は父親的な存在だったということですね。
矢野 そうっすね。「お父さん」とはいっても、どっちかというと「ダメなお父さん」ですけど(笑)。
―― ダメおやじ(笑)。
矢野 本当に「ダメなお父さん」でしたねぇ……(しみじみ)。外面はいいけど、家にいるときは子供に対して理不尽な仕打ちをして。まあ堀辺先生にはそういう身内っぽい感情はありますけど、局長には一切ないです。
―― 「ダメなお母さん」ではない。
矢野 ウザいだけです。あの人がいなかったら、もっとうまくやっていけたかもしれなかったですけどね。トラブルで追い詰めらてた道場生がいたら本来はフォローするのに、みんなで攻撃して追い出すというね。
―― そうやってカルト化していくわけですもんね。
矢野 そこは中川(カ〜ル)さんも言ってたじゃないですか( http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar560930 )。最初の頃の道場はあんな雰囲気じゃなかったって。
―― 道場生同士が一緒にご飯も食べに行くことも禁じられるという……。「ダメなお父さん」というキャラもそうですし、マスコミ受けも良かったのは、堀辺先生って愛嬌はあったってことですよね。
矢野 なんていうんですかね。抜けたところがあったので、あの人。基本的に嘘をつくというよりは、ホラ吹き系なんですよね。
―― わかります(笑)。
矢野 ねえ(笑)。話をおもしろおかしく喋っちゃって引っ込みがつかなくなるタイプ。誰かを騙してるわけじゃないんですよね。
―― そういう意味で場持ちもするから、マスコミとしては扱いやすかったわけですよね。
矢野 マスコミにとってはいいネタですよ。道場生としては最悪でしたけど、マスコミとして骨法に関わって嫌な思いをした人はそんなにいないんじゃないですかね。「いい思いをさせていただきました!」って素晴らしい思い出になっちゃってる(笑)。
―― こころよく思ってなかったのは、「これまで骨法にページを割きすぎました」っていう記事を載せた『格闘技通信』のAさんくらいですかね。
矢野 Aさんはね、あの記事を書いたせいで、中井(祐樹)さんの結婚式のときに骨法の人間に囲まれて蹴りを入れられてますからね。他人の結婚式で何をやってるんだって話ですけど(笑)。
―― けっこう武闘派集団ですよね(笑)。矢野さんもやめるときに道場生に襲われそうになったし。
矢野 あんときは逆に潰してやりましたけどね。
―― ボールペンで刺しに来た相手を引き込んで倒して、ヒールホールドで仕留めたんですよね……。 熱い時代ですよね(笑)。あの頃の骨法をB級的なものとして評価する動きはあるじゃないですか。「あの怪しさ、うさんくささがよかった」と。でも、当時ってみんな真剣に向き合ってたいところはあったと思うんです。それはいまみたいにネットである程度、実態を把握できた時代じゃなかったですから。
矢野 あー、わかります。いまになって振り返ってみればB級だったという話なのに……ってことですよね。
―― そうです。
矢野 もし骨法を総合で結果を残していたら「いまが競技化してるけど、昔は裏技があって、堀辺先生も適当なことを言っていて……」という楽しみ方もできましたけどね。要は極真空手の大山道場時代みたいなもんですよ。
―― そこは中川先生も同じように振り返ってましたね。うさんくささもありながら、黎明期は本当に凄かったと。廣戸聡一というカリスマ的な師範代もいて、80年代末期から「なんでもあり」の稽古をやっていたわけですし、総合っぽい格闘技をやろうとしたら骨法か修斗しかなかった。マスコミも後押ししたらこそ「オウム真理教か骨法か迷った」という会員もいたほどで。
スーパーセーフをつけて稽古する中川カ〜ル氏。 喧嘩芸時代の骨法だ。
矢野 だってアレですよ、骨法の打撃って恐れられていましたからね。修斗の人間も「骨法の打撃は怖い」って言ってましたし。いまだから「骨法はたいしたことない」「ペチペチ」というけど、みんな怖がってたんだから。 ―― 最初は常に「金的」だけを狙う物騒な練習をしてたそうですね。 矢野 あとになってね、「いや、俺、インチキだって知ってましたよ」って言う奴が多すぎますよ。「ボクは騙されてなかった!ああいうもんだと楽しんでました!!」ってね。プロレスにもいるじゃないですか。「シナリオがあるものとして昔から楽しんでました」とか。違うだろ、真剣勝負だと思って見てただろ。「でも、ちょっとはおかしいな、これ。でも、俺はプロレス好きだから、どうやって言い訳しようかな……」って葛藤しながら見てたはずなんですよ。
―― プロレスファンは 子供の頃から理論武装してましたね。
矢野 「プロレスはインチキ、八百長だ」と馬鹿にしてる奴らになんて言い返せいいんだ……と考えながら見てたんですよね。それこそね、第二次世界大戦後に「ボクは最初から戦争に反対していました!」って言うような感じですよ。みんな勝つことを期待して応援していたはずなのにね、負けると「なんで無謀な戦争をやったんだ!」って。まあ、俺は骨法に内部にいて「……これは負けるだろ!」って思ってたんですけど(笑)。
―― あの当時の骨法にどこか信じてしまう求心力はたしかにあったという。
矢野 ですね。だってね、骨法を辞めた人間は報復を怖がってたんだから。先生の「徹し」で殺されたらどうしよう……!?って。
―― 骨法の奥義「徹し」に怯えていた!
矢野 いや、本当に。笑われるかもしれないけど、みんなそんな感じで恐れていたんですよ。だから俺もやめたときは「徹し」のことを考えたんですよね。結論としては「打撃はよくわからないけど、いままでの経緯を振り返ったらこれもウソだな」って。先生は寝技のことはよくわかってなかったら、きっと打撃もデタラメだろう……ってことにしたんです(笑)。 この続きと、上田勝次、佐藤嘉洋、はぐれIGF、ドナルド・トランプなどの記事が読める「12万字・記事詰め合わせ」セットはコチラです http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1000062
Post