「変な結論」は興味への第一歩であると思う。
普通に生活していても、自分の理解が及ばない不思議な結論に出会うことが多々ある。
例えば、大雨の日にサンダルとハーフパンツを選び、あえて濡れにいくスタイルで歩く人とか、劇場にギリギリに来て終演したら5分以内に帰る役者とかである。
伝わるだろうか。
どちらも、その人独自の合理性が垣間見える結論である。理解はできるが、自分がやるかどうかでいうと、やらない選択でもある。
そういう「変な結論」には、人に何かを教える時によく遭遇する。
舞台用のメイクを実演しながら後輩に説明し、本人もその様子を動画で撮っているにもかかわらず、その子が導き出したメイクの結論が「キャッツに出るのか!?」と言いたくなる見栄えだったりする。
私が言う「変な結論」とは、間違った結論ではなく、その人なりの合理性や人間味が透けて見える結論のことである。
そんな時、「どうしてそうなったのか?」と思わせてくれる結論は好ましい。
自分では考えつかない結論なので、その人の思考をどうにかたどり、どんなアプローチでその結論にたどり着いたのか考え始めてしまう。
見た事のないカーブで飛んできたゴルフボールの軌跡をたどって、その人がどんなスイングをしたのか見極めたくなるのだ。
もちろん「変な結論」にも、つまらないものはある。思考が浅かったり、独自性が薄かったり、どこか邪な雰囲気がしたりするものだ。変なのにつまらない。最悪である。
スイングを見極めたくなるような「変な結論」には、その人らしさや、その人の人生が詰まっている。
ここまで書いてきて、筆者自身が