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「『ノートルダムの鐘』解説 2・実は隠れた傑作」
そんなディズニー社に、やっとヒット作をもたらした、本当に伝説の人物なんですね。
彼の「昔話をミュージカルで描く」という路線の最終作が、この『ノートルダムの鐘』です。
まあ、公開された時は、もうカッツェンバーグはディズニーを辞めていたんですけどね。
この作品以降、ウォルト・ディズニーのアニメというのは、基本的に「昔話をミュージカル形式で作る」という路線をちゃんと守るようになっていきました。
もう1つが、「カジモドのイマジナリーフレンド」なんです。
ポスターにも “ガーゴイル” という石像のキャラクターがいるんですけど、「この石像はカジモドの友達である」という設定が、原作とは違っているところです。
なので、嫌なヤツではなくなっています。
その代わり、フロロというノートルダムの司教補佐の男が完全な悪役になっています。
つまり、大臣と事務次官の関係みたいに考えてください。
官僚のトップのことを “事務次官” と言うんですけども。
次官と聞くと、よく知らない人は、「あんまり偉くないんだ」って思うところなんですけど、官僚の世界では事務次官がトップじゃないですか。
同じように、司教補佐であるフロロは、現場トップの役職なんですね。
司教というのは、とりあえず “祭祀(さいし)” と言うような、キリスト教の儀式を執り行うだけなんですけど。
たとえば、「いろんなところから寄付をもらってくる」みたいな、現実的な運営は、全てフロロがやっているんです。
この「理性の人であり錬金術師でありながら、ジプシー娘に恋をしてしまう」という矛盾点が、原作のフロロの面白さなんですけど、ここをバッサリ切って、単なる悪役にしちゃった。
ここら辺が、ディズニーアニメの思い切ったところです。
「せむしな上にひどいX脚」という身体的な奇形だけではなくて、「毎日、鐘を突いているせいで耳が聞こえない」んです。
つまり、全然いいヤツじゃないんですよ。
そんな、「見てくれも中味もダメなヤツが、アイドルであるエスメラルダに純粋に恋してしまった」というのが原作にある面白味なんですけど。
ここら辺も、ディズニーアニメでは全て取っ払って “心の綺麗なモンスター” にしてるんですね(笑)。
「カジモドが、自分がこれまで世話になってきた副司教様を突き落とす」という話なんです。
全然 違うわけですね。
この石像達が喋って踊って歌ってカジモドに話しかけるということになっています。
たとえば『美女と野獣』だったら、野獣の城の中のティーポットとか時計とかが話したりするじゃないですか。
だから、何も考えずに見ると、「ああ、よくあるディズニーのアレね」って思うところなんですけど、実は違うんです。
このガーゴイルが動いているところは、カジモドにしか見えないんですね。
実は、エスメラルダが来た時とか、その他の人が来た時には、このガーゴイル、一瞬にして “ただの石の塊” になってしまうんですよ。
こんなこと、他のディズニーアニメでは一切やっていません。
この声の主は、カジモド以外には見えない。
この「カジモド以外の人の前では、ガーゴイル達はあっという間にただの石像になってしまう」という描写は、「彼らの言葉はカジモドの内面の声である」ということをハッキリ示しているんですね。
「カジモドに囁かれる言葉は、彼の内面の声である」と、わかる人には分かるようにしたかったからなんですね。
表面上は「ガーゴイル達に励まされて~」みたいな綺麗事の体は取ってるんだけど、「あの美しいエスメラルダを自分のものにしたい」とか、「世話になった人を裏切る」とか、本人の中にはいろんな欲望があったということなんです。
そして、彼の行動は、全部、そういった自分の中にあったいろんな声を元に自分で判断でした上で行ったということが、わかるように作っているんですよ。
ここが、ディズニー・アニメとして面白いところですよね。
まあ、ここら辺は、ディズニースタッフがちゃんと二面性を持たせて作っているということなんですよ。
わかる人にはわかる、わからない人には単なる楽しいアニメという作り方をしています。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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