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「『ノートルダムの鐘』解説 3・ディズニースタッフがこれを作った理由」
みなさんの解答をお待ちしております。
4択とかは出さないので、自由にコメントを書いてください。
いい解答がいっぱい並びました(笑)。
まあ、答えと言っても、『世界ふしぎ発見!』と同じで、答えの発表まで、解説の時間が延々とあるんですけど。
すみません。
もう少し話を続けます。
反面、技術としてはメチャクチャ高いんですよね。
まず、映画が始まってすぐに、ノートルダム寺院の尖塔が、雲の上に突き出している景色が見えます。
(パネルを見せる)
この撮影技術はとんでもなくレベルが高いです。
そんな、いろんなゴンドラとかマルシェなどが描き込まれた背景の中を、様々なアニメーション技法を駆使して、カメラがグワーッと動いていく映像なんです。
「これを1996年の技術で、ちゃんとやったらどうなるのか?」という冒頭のアニメーションなんですね。
すると、徐々に徐々に橋が見えるんです。
ポン・ヌフみたいな大きな橋ではなくて、セーヌ川に架かる小さい橋が。
さらに、その橋にカメラが寄っていくと、町並みの中に人々の生活が描かれていきます。
たとえば、オバさんが、窓からいきなり、お鍋みたいなものを使って水を捨てる。
まあ、これ、当時のパリの生活環境から考えたら、絶対にオシッコかウンコなんですよね(笑)。
これを、朝 一斉に路上に捨てるというのが、パリ市民の日常だったんですよ。
すると、今度は、この橋に腰掛けて釣りをしているオッサンが映るんです。
それも、今みたいなCGを使わない技法なんですね。
いろんな撮影技法を混ぜているんですけど。
本当に、冒険的な構図だし、アニメーションの技術としても、まあ、とんでもない出来です。
これを、スピルバーグは、『A.I』という映画の中で、「人間に作られたロボットが母親に捨てられて、母親の愛が欲しいために人間になりたいと願う」という冒険の話にしました。
スピルバーグは、元々はスタンリー・キューブリックが作るはずだった『A.I』という作品を自分のものにするために、「これはもう、『ピノキオ』をやろう!」と決めたんですね。
そんな、「『未知との遭遇』をやった時から、俺はとにかく『ピノキオ』がやりたかったんだ!」というスピルバーグの思いが入っているのが、『A.I』という映画なんですけども。
なんせ、フロロは、このアニメの中では徹底したひどいヤツとして描かれているんですけども、それでも、カジモドと毎日ご飯を一緒に食べて、家庭教師をやっているという、かなり熱心な教育者なんですね。
にもかかわらず、そうやって教育されたはずの怪物が、最後には育ての親であるフロロを殺してしまうんです。
つまり、ディズニーは、『ノートルダム・ド・パリ』という物語を、『ピノキオ』プラス『フランケンシュタイン』という話に変えたんですね。
だって、『ピノキオ』と『フランケンシュタイン』を足したら、最後、ピノキオはゼベット爺さんを殺さなきゃいけなくなるわけですよ(笑)。
それをハッピーエンドのミュージカルにしてしまうという荒業が、この『ノートルダムの鐘』なんですね。
アメリカ人の平均体重よりも、絶対に20%以上は多いヤツらばっかりが、今も昔も、ディズニープロに勤めている。
そんな、学校でイジメられたオタクなわけです。
そういうヤツらというのは、ついつい「醜いカジモドがエスメラルダと結ばれる」という話を描いちゃうものだし、ディズニーが原作を無視して、いくらでもストーリーを変えられるんだったら、それをやってもいいはずなんですよ。
「ついにエスメラルダにも、カジモドが姿は醜いけれど心は美しいことがわかって、恋をした」という話にしても全然 構わないんですけれども。
でも、彼らは、そうはしなかったんですね。
なぜかというと、そんなことをしても嘘になるからです。
1996年のウォルト・ディズニーのアニメとしては、そんな嘘は作れないわけですよ。
そういったハッピーエンドは信じられないし、描けない。
では、なぜ嘘になるのかというと、彼らは「エスメラルダみたいな いい女っていうのは、結局は見た目だけで中味は空っぽのフェビュス隊長みたいなヤツと恋をして、結ばれるんだよ! これが現実なんだ!」って、嫌というほど思い知っているからです。
そうなると、ディズニープロの人達はもうわかってくるわけですね。
ハリウッドスター達との付き合いも出てきて、アカデミー賞の舞台に一緒に立つこともあるわけです。
すると、ハリウッド女優みたいな美女たちは、みんな、口では「内面が大事」とか言いながらも、結局はイケメンの俳優とか、プロデューサーと結婚しているという現実がわかってくるんです。
でも、美女と結ばれることは出来なくても、才能を認められてアカデミー賞の舞台に立つことは出来るんです。
この時、エスメラルダは、カジモドが落ちないように一生懸命 引っ張ってくれるんですけども、やっぱりエスメラルダは、途中で力尽きて手を離しちゃうんですね。
これが何を象徴しているかというと、「なんだかんだ言っても、女は最後は守ってくれない」という現実です。
いい女というのは、醜い男に対して、一生懸命 “同情” はしてくれるんだけど、命を懸けてまで助けてくれないと。
落ちたカジモドを受け止めたのは、なんと、イケメンのフェビュス隊長なんですね。
ここが、現実世界に極めて近いんですよ。
エスメラルダは手を離したけども、落ちてくるカジモドをフェビュス隊長は受け止めてくれた。
つまり、このラストは「美女よりイケメンの方が信じられる」ということなんです。
この『ノートルダムの鐘』というアニメの本質は、かなりひねくれたオタクにしかわからない作品なんですよ(笑)。
オタクというのは美女と最終的に結ばれない。
じゃあ、どうなるのかというと、サークルの中にいるいい男と友情を育んでしまって、「いやあ、なんか、やっぱり女より男の方が信じられるや!」ということになるんです。
これがディズニー社のスタッフの見つけた “自分達のゴール” なんですよ。
つまり、「人前に出て、自分というのを見せれる存在になった」ということです。
そして、みんなから拍手をされて終わり。
このカジモドの辿り着いた結末は、「ディズニー社の作画や演出といったスタッフ側の人間が、アカデミー賞を取るという晴れがましい舞台に出る」という現実と重なります。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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