『トップをねらえ!』というアニメは全6話構成なんですけど、これについて、当初、僕は「普通の6話アニメ以上のボリュームをつけることにしよう」と言ったんですね。
物語の後半で、宇宙怪獣というのが我々の銀河を滅ぼそうとしているというのが分かった。
そこで、自分たちだけでは とても対抗できないことが分かった人類は、主人公が乗っている宇宙船を銀河の反対側に送って、そこに暮らしていた別の文明とコンタクトを取ることになるんです。
すると、その文明も宇宙怪獣に侵略されて、星が滅びかけていたことが分かるんです。
この銀河系の中心の場所にあった数百の文明が既に滅ぼされている上に、まだ滅ぼされずに済んでいるいくつかの文明というのも宇宙怪獣と戦っていて、地球以上に苦戦している宇宙文明がいっぱいあることがわかったんですね。
そして、主人公たちは、そういった滅ぼされかけている文明と連合を組んで、宇宙怪獣を包囲し、最後の最後、ブラックホールに押し込めるという大作戦を決行することになるんです。
――これが僕のアイデアだったんですけども。
この話を聞いていた山賀くんは、腕を組んで考え込んでから「岡田さん、それは無理です。6話では入り切りません」って言ったんですよ。
「じゃあ、6話に収めるためにはどうすればいいの?」と僕が言うと、「最後の、ブラックホールに宇宙怪獣を押し込めるという部分だけを使いましょう」と。
「じゃあ、他の宇宙人達との連合は?」と聞くと、「それは全部ナシです」と。
「でも、そんな大規模な作戦を、人類だけでどうやって準備するの? この時点での地球人の力だけではどう考えても不可能じゃん」と言うと、「そうですね……だったら、5話と6話の間に10年の歳月が経ったことにしましょう!」って言うんですよ。
「えーっ!そんなのアリ?」って言ったら、「うーん。アリです!」って(笑)。
そんなふうに山賀が言ったもんだから、銀河中の大連合という設定だけがスポーンと抜けて、あのラストというのが出来上がったんです。
・・・
でも、それが決まった後でも、僕にも山賀にも、話のラストが全く見えてなかったんですよ。
確定していたのは2話ラストだけ。
では、第2話のラストがどういうものかというと。
第1話の冒頭で、宇宙怪獣と戦っていた、主人公タカヤ・ノリコのお父さんが、自分1人を宇宙船に残して、他の人間を全部脱出させるというシーンがあるんですね。
「ノリコ、お前の誕生日には帰ると言ったのに、約束は守れそうにない。ごめんな」と言いながら、お父さんは消えて行くというシーンが。
だけど、実はお父さんの乗った船は宇宙怪獣に完全に破壊されてはおらず、宇宙空間で亜光速まで加速され続け、楕円軌道を描いて、ついに5年後の第2話の時点で主人公のいる太陽系内に戻ってくるんです。
宇宙空間からものすごい勢いで飛んで来るものを見つけたノリコが、何かと思って追跡すると、それは かつて破壊されたかと思われていた父親の宇宙船だった。
「ああ!」と思ったノリコが宇宙船のブリッジに向かうと、ブリッジは破壊されていて、誰もいなかった…
…というのが第2話のストーリーなんですけども。
亜光速まで加速した船内では、時間の流れ方が地球とは変わっていて、お父さんが死んでから15分くらいしか経っていなかったんですよ。
それを知ったノリコは「ああ、お父さん、私の誕生日にちゃんと帰って来てくれたんだ」と言う。
そんな、SF的にもドラマ的にも、すごく綺麗にまとまっている話なんですよ。
とりあえず、これを『トップをねらえ!』のお話のスタンダードにしようということで、1話と2話、3話と4話、5話と6話を1つのユニットとして考えて、これと同じ形でまとめていけば間違いないと思って作ったんです。
その5話と6話のラストを考えあぐねていたんですけど、その頃から、庵野が「ちょっと僕にも脚本に口を出させてください」と言い出したんです。
・・・
そこで庵野が言ったのは、「奇跡を入れるべきですよ! もう絶対にダメだっていう時に、奇跡が起こるという展開を入れるんです!」ということだったんですね。
それを聞いて、俺はついつい「えー?」って言っちゃったんですけど、ここで山賀が「庵野が言ってることは正しいです」って言うんですよ。
「僕や岡田さんで考えたようなことでは、客は感動しません。 なぜなら、客には庵野みたいなヤツの方が多いからですよ。 俺と岡田さんが話している中で、庵野の言うようなことを思いついても、『それはありえない』ということで却下されることになるんです。 でも、観客は、理性を超えた感性というものを求めている。 なので、これ以上、僕と岡田さんだけで話しても何も生まれません」と。
そこまで言われたので、僕も「わかった。じゃあ、ラストは奇跡でいいよ」って事になったんですね。
その結果、『トップをねらえ!』のラストでは、奇跡が起きて、もう地球に帰れないと思われていた主人公の2人を乗せた “ガンバスター” というロボットが、1万2千年後に帰ってくるという話になりました。
1万2千年後に帰って来る時に、地球が どうなっていたのかというと、地球の表面に「オカエリナサイ」という文字が浮き出てきて、これで終わり、と。
・・・
ここで表示される「オカエリナサイ」という文字は…
…これは始めから決まっていたんですけど、カタカナの「イ」の文字を左右に反転しているんです。
なぜ、そうしたのかというと、それがSFだから、なんですよ。
ちょっと変な話になるんですけど、そのときに考えたのが「1万2千年後まで、地球人類がずーっと待っていて、メッセージを送ってくれるなんてことがあるはずがない」ということなんですよ。
1万2千年という年月が過ぎるということは、地球では、もうとっくに人類が滅びているということなんです。
そればかりか、人類の次に地球を支配した種族というのも滅びている。
そういうことが何世代も繰り返されているはずなんです。
人類が滅びた後で、例えば、サルのような知的生命体が現れて、さらに、そのサルが滅びて次にはゴキブリのような種族が現れて……みたいに。
そうやって、いろんな種族が栄えては滅びを繰り返したのかもしれないけど、そんな彼らが、唯一ずーっと守って来たものは、「オカエリナサイ」という文字で地表を照らして、彼女たちの帰りを迎えることだったんです。
ここまですれば、SF設定としてアリになるんですよ。
ここで、ロシア人にアルファベットが伝わる時に何文字かが逆になったのと同じように「イ」の文字だけが反転しているのは、この時代には既に日本語という人類の原語を理解できる者が誰もいなくなっていることを表しているんです。
1万2千年後の地球に生きる彼らは、既にこのメッセージに何の意味があるかもわからないまま、言語ではなく画像として、彼女たちの帰りを迎える光を灯し続けていた。
この逆さまの「イ」は、こういうことを表現しているんですよ。
・・・
この地球表面にメッセージが現れるシーンの元ネタは、“SETI”(セチ:Search for extraterrestrial intelligence)という、1960年代から70年代に行われていた地球外生命の探査計画なんです。
そのSETIが、60年代の極めて初期の段階から行っていたプロジェクトの中に、「サハラ砂漠にピタゴラスの定理(三平方の定理)を書く」というのがありました。
サハラ砂漠に巨大な運河を掘って、そこに石油を流して、それぞれの辺の長さが3:4:5の三角形を描いて、さらに各辺に9:16:25の面積の正方形を描く。
いわゆる「2つの短い辺によって生まれる正方形の面積の和は、長辺によって作られる正方形の面積に等しい」という、ピタゴラスの定理ですね。
これは、“代数”といわれる数字数学と、“幾何学”といわれる図形数学の両方の概念がないと、作れない記号なんですよ。つまり、「これを描くことで、この星には知的生命が存在するというアピールになる」ということです。
そうやって、サハラ砂漠に、これを示した巨大な光を灯すことを、何年も何年も続けていたら、宇宙人にも「地球人が文明を持っている」ということがわかるだろうという計画があったんですね。
それと同じことをやろうというのが、『トップをねらえ!』の「オカエリナサイ」だったんですよ。
これが元ネタなんですね。
・・・
さて、この「オカエリナサイ」の「イ」が逆さまになっている描写で観客は感動するはずだ、ということについては、その場にいた全員が納得したんですよ。
山賀も「イケる!」と言ったし、庵野も「それです!」って言ってくれたんです。
ところが、相変わらず全員、「なぜ、これで感動するのか?」が分からなかったんですよ。
困ったもんですね(笑)。
ガイナックスの“感動を作るプロジェクト”の第1弾である『トップをねらえ!』では、一応、仮説を立てた上で、検証を行い、「感動する」という結果を得ることはできたんです。
ただ、「それがなぜか?」までは、よくわからないままだったんですね。
つまり、なぜ泣けるのかは説明できないまま、僕らは “定理“ みたいなものだけを手にいれたんですよ。
「それがなぜかは説明できないんだけど、とりあえず、これをやっておけば感動する」という定理を。
そういう意味で、ガイナックス感動の定理の第1弾は、『トップをねらえ!』の「オカエリナサイ」の「イ」を逆転させることだったんです。