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「高畑勲は『火垂るの墓』という “トラウマアニメ” を作ったのか?」
だけど、この『母をたずねて三千里』の企画書の冒頭で、高畑勲は「我々は “お涙ちょうだい” を作るつもりは全くない」とハッキリ書いているんですよね(笑)。
日本では、アニメーションは、観客の心を掴んでハラハラドキドキさせる方向に進化した。そういうアニメは泣けるし感動できる。
しかし、私が作りたいのは、そういうアニメではない。
『火垂るの墓』で、私は、観客を完全に作品世界に没入させるのではなく、少し引いたところから、我を忘れずに考えることができる視点で作った。主人公を批判的にも見てもらいたい。
なぜかというと、『カリオストロの城』の中には、「おいおい、それ、なんだよ!?」というシーンがいくつもある。
たとえば、銭形のとっつあんが水の中を覗くシーンで、銭形のとっつあんの顔がぐにゃぐにゃっと歪むシーンとか、ルパンがちょっとムチャなジャンプするシーンとかで、観客はみんな笑う。
しかし、『千と千尋の神隠し』を見てくれ。
あれの中にも、同じように変なシーンがいっぱい出てくるし、キャラクターが変な動きをするんだけど、もう映画館で誰も笑わない。
宮崎駿は、そうやって、観客をハラハラドキドキさせて主観的にさせる、いわゆる作品の中に没入する方法を選んでしまった。
でも僕は、そうではないのだ。
こういうことをガーンと書いてるんです。
『母をたずねて』の企画書を読むと、「マルコ少年は素直ではなく、可愛げがなくて、大人に逆らってばっかり。とても感情移入できる少年ではない」とまで書いてあります(笑)。
高畑勲は絵を舐めてるんですよ。
あんなにかわいくマルコ少年を描いたら、誰だってかわいいと思うに決まってるんです。
でも、自分で絵を描かない高畑勲は、そこを計算違いしちゃうんですよね。
高畑勲にとって「絵の力によって、観客はかわいく思ってしまう」ということは、全くの想定外なんですよ。
「演出で全てが決まる」と思ってるんです。
清太が死んだ節子を無表情に抱くシーンも、一見すると、悲しんでいるように見えるんですけど、おそらく、高畑勲の演出意図としては「死んじゃったので当惑している。ビックリしている。取り返しのつかないことをしちゃったなと思って後悔してる」というふうにも受け取れるように、ちゃんと描いてるんです。
なのに、特に今回の『火垂るの墓』という作品については、全く伝わらない。
これがなぜかというと、「この作品が “文芸” だから」という理由があります。
しかし、文芸の世界には、そもそも “キャラ” なんていう概念は無いんです。
何を考えているのかわからない登場人物を見た読者一人一人が「この人は何を考えているんだろう?」と考えて、自分なりの解答を出す。
それこそが文芸なんです。
まあ、これは言っちゃえば「高畑勲は観客に甘え過ぎ」ということでもあると思うんですけども。
「なんで節子は死ななければいけなかったのか?」とか、「なんで叔母さんは意地悪なのか?」とか、「なんで清太は死んでしまうのか?」とか。
そういうことを、一人一人に、毎晩考えたり、1年考えたりして欲しくて作ってるんです。
「かわいそう!」とか、「もっとこうだったらいいのに!」とか、泣いて思考停止するのではなく、ツラさのあまりチャンネルを変えるでもなくて、何年もこのことばかり考えてほしくて、あんなに苦労してアニメを作ってるわけですね。
高畑さんにとっての “文芸” とは、そういう意味なんですよ。
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いかがでしたか?
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
番組内で取り扱う質問はコチラまで!
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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/04/25
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「高畑勲は『火垂るの墓』という “トラウマアニメ” を作ったのか?」
高畑勲という人は、実は、観客を泣かせようと思って映画を作ったことが一度も無いんですよね。
たとえば、高畑勲が監督を務めた『母をたずねて三千里』というアニメがあります。
見たら誰もが感動するようなアニメで、「日本中が泣いた」と言われている作品です。
見たら誰もが感動するようなアニメで、「日本中が泣いた」と言われている作品です。
だけど、この『母をたずねて三千里』の企画書の冒頭で、高畑勲は「我々は “お涙ちょうだい” を作るつもりは全くない」とハッキリ書いているんですよね(笑)。
でも、これを見た家族というのは、だいたい泣いちゃうんですよ。
要するに、高畑さんって、観客への理解というものを間違えちゃうんですよね。
だけど、究極の負けず嫌いだから、絶対に自分の理論的な誤りを認めないんですよ。
だけど、究極の負けず嫌いだから、絶対に自分の理論的な誤りを認めないんですよ。
・・・
『漫画映画の志』という高畑さんの書いた本があります。
この中で、高畑さんはこんなふうに書いています。
――――――
日本では、アニメーションは、観客の心を掴んでハラハラドキドキさせる方向に進化した。そういうアニメは泣けるし感動できる。
しかし、私が作りたいのは、そういうアニメではない。
『火垂るの墓』で、私は、観客を完全に作品世界に没入させるのではなく、少し引いたところから、我を忘れずに考えることができる視点で作った。主人公を批判的にも見てもらいたい。
――――――
つまり、高畑さんにしてみれば、『火垂るの墓』というのは、観客が清太の気持ちになって、感情的にどっぷり浸かれるような映画として作っているつもりはないんです。
むしろ、それとは逆に、やや俯瞰的に、ちゃんと上から見下ろすような視点で見れるような作品として作ったと、この本の中で書いているんですね。
・・・
と、同時に、この本の中には、最近の宮崎駿に対する悪口も書いてあるんですよ(笑)。
かつての宮崎は、そういう、俯瞰的な視点で、楽しませると同時に考えさせる作品を作れた。
『カリオストロの城』を見てくれ。あれを見た観客はみんな笑った。
『カリオストロの城』を見てくれ。あれを見た観客はみんな笑った。
なぜかというと、『カリオストロの城』の中には、「おいおい、それ、なんだよ!?」というシーンがいくつもある。
たとえば、銭形のとっつあんが水の中を覗くシーンで、銭形のとっつあんの顔がぐにゃぐにゃっと歪むシーンとか、ルパンがちょっとムチャなジャンプするシーンとかで、観客はみんな笑う。
それはなぜかと言うと、「自分たちが見てるのは、所詮はアニメであって、漫画である」っていうことを、一瞬思い出すからだ。
こういうことを、かつての宮崎駿は出来た。
こういうことを、かつての宮崎駿は出来た。
しかし、『千と千尋の神隠し』を見てくれ。
あれの中にも、同じように変なシーンがいっぱい出てくるし、キャラクターが変な動きをするんだけど、もう映画館で誰も笑わない。
宮崎駿は、そうやって、観客をハラハラドキドキさせて主観的にさせる、いわゆる作品の中に没入する方法を選んでしまった。
でも僕は、そうではないのだ。
こういうことをガーンと書いてるんです。
・・・
おわかりでしょうか?
高畑勲って、ずっと “そのつもり” で映画を作っていたんですよ。
高畑勲って、ずっと “そのつもり” で映画を作っていたんですよ。
つまり、観客が理解できていないんですね。
「『母をたずねて』を見ても、チビっ子やお母さんは泣いたりしない」と思い込んでいるんです。
だから、「泣きました」という感想を聞いても、「そういう人は少数派だろう」と思っちゃう。
「『母をたずねて』を見ても、チビっ子やお母さんは泣いたりしない」と思い込んでいるんです。
だから、「泣きました」という感想を聞いても、「そういう人は少数派だろう」と思っちゃう。
『母をたずねて』の企画書を読むと、「マルコ少年は素直ではなく、可愛げがなくて、大人に逆らってばっかり。とても感情移入できる少年ではない」とまで書いてあります(笑)。
高畑勲は絵を舐めてるんですよ。
あんなにかわいくマルコ少年を描いたら、誰だってかわいいと思うに決まってるんです。
でも、自分で絵を描かない高畑勲は、そこを計算違いしちゃうんですよね。
高畑勲にとって「絵の力によって、観客はかわいく思ってしまう」ということは、全くの想定外なんですよ。
「演出で全てが決まる」と思ってるんです。
清太が死んだ節子を無表情に抱くシーンも、一見すると、悲しんでいるように見えるんですけど、おそらく、高畑勲の演出意図としては「死んじゃったので当惑している。ビックリしている。取り返しのつかないことをしちゃったなと思って後悔してる」というふうにも受け取れるように、ちゃんと描いてるんです。
ところが、僕らは勝手に「悲しみを抑えているんだ。悲しすぎて泣けないんだ。悲しすぎてあんな表情になっちゃうんだ」って思い込んで、わんわん泣いちゃうんですよね。
もう本当に、『火垂るの墓』に関しては、みんな泣くのに忙しくて “引いた視点” でなんか見てないんですよ。
僕みたいなサイコパス野郎だけが、「ああ、こいつ、妹のスイカや雑炊をきっちり食っとるわ」って見てるわけですね(笑)。
・・・
では、なぜ、こんなにも高畑勲の演出意図というのは観客に伝わらないのか?
だって、ぶっちゃけ、世界一と言ってもいいくらいの演出能力を持った監督なんですよ?
だって、ぶっちゃけ、世界一と言ってもいいくらいの演出能力を持った監督なんですよ?
なのに、特に今回の『火垂るの墓』という作品については、全く伝わらない。
これがなぜかというと、「この作品が “文芸” だから」という理由があります。
たとえば、宮崎さんの作った『ラピュタ』のドーラというのは「悪そうに見えるけど、実はすごく良い人なんだ」ということが、ちゃんとわかるように描いてある。こういうのは “エンタメ” であって、文芸ではないんですよね。
普通に聞いているだけで、ちゃんと「ドーラは良い人だ」ということがわかるように台詞が組んである。
これが、エンターテイメントなんですよ。
なぜかというと、エンターテイメントというのは “伝えること” が大事だから。
だから、「どんなキャラか?」ということが大事になるんですよ。
これが、エンターテイメントなんですよ。
なぜかというと、エンターテイメントというのは “伝えること” が大事だから。
だから、「どんなキャラか?」ということが大事になるんですよ。
しかし、文芸の世界には、そもそも “キャラ” なんていう概念は無いんです。
何を考えているのかわからない登場人物を見た読者一人一人が「この人は何を考えているんだろう?」と考えて、自分なりの解答を出す。
それこそが文芸なんです。
そして、高畑勲は、『火垂るの墓』を文芸アニメとして作っているんです。
一人一人が考えて、違う答えを出すように作っているわけですね。
一人一人が考えて、違う答えを出すように作っているわけですね。
まあ、これは言っちゃえば「高畑勲は観客に甘え過ぎ」ということでもあると思うんですけども。
・・・
以上の事からもわかる通り、高畑さんは、別にトラウマアニメを作るつもりはないし、それどころか、泣かせたり感動させるつもりもないんですよ。
そうじゃなくて、この映画について考えたり悩んだりして欲しいんですよ。
「なんで節子は死ななければいけなかったのか?」とか、「なんで叔母さんは意地悪なのか?」とか、「なんで清太は死んでしまうのか?」とか。
そういうことを、一人一人に、毎晩考えたり、1年考えたりして欲しくて作ってるんです。
「かわいそう!」とか、「もっとこうだったらいいのに!」とか、泣いて思考停止するのではなく、ツラさのあまりチャンネルを変えるでもなくて、何年もこのことばかり考えてほしくて、あんなに苦労してアニメを作ってるわけですね。
高畑さんにとっての “文芸” とは、そういう意味なんですよ。
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ー『火垂るの墓』で、私は、観客を完全に作品世界に没入させるのではなく、少し引いたところから、我を忘れずに考えることができる視点で作った。主人公を批判的にも見てもらいたい。ー
初めて見たのは小学生の時だが、当時小学生の僕ですらこういう視点で見てたし、今でも再放送の度に生き方について考えさせられるが・・・。トラウマアニメなんてキャッチフレーズに頼るのはいいけれども、随分陳腐な表現だから作品がけなされたように感じるし、この人の「みんな」の概念のほうが、高畑監督よりもずっとずれてると思った。
悲しい話なだけで、トラウマとは違うんじゃないですかね…
「何でこの兄貴は居候先で呑気に漫画なんか読んでるんですかね?
妹をおばさんに預けて働きに行こうとか思わないんですかね?」
とか思いながら見てた僕はクソ野郎ですか?