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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「“火垂る” という言葉の意味と高畑勲が作品に込めたテーマ」
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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「“火垂る” という言葉の意味と高畑勲が作品に込めたテーマ」

2018-04-26 06:00
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    岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/04/26
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    今回は、ニコ生ゼミ4月15日(#226)から、ハイライトをお届けいたします。

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     “火垂る” という言葉の意味と高畑勲が作品に込めたテーマ

     
     そもそも、劇中における “蛍” というのは、どういうふうに扱われているのかというと。

     清太と節子の2人が防空壕で暮らし始めた時、夜中に上空を飛行機がブーンと飛んで行くのを見つけるシーンがあります。

     その飛行機の灯りがかすかに点滅しているのを見た清太が「特攻機や」と言う。

     つまり、「これから相手に自殺攻撃をかける飛行機だ」と言うんです。
     すると、節子が「蛍みたいやね」と言うんですね。

     このように、この作品においての蛍というのは、明確に “死ぬ直前に最後の光を放つ存在” として描かれているんです。

    ・・・

     清太は、節子のために、何十匹もの蛍を捕まえてきて、蚊帳の中に放ちます。

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     このシーンですね。

     こうやって、二人が蚊帳の中に蛍を放した後、構図がロングになるシーンがあるんですけども。これがもう、すごく意地悪なんですよ。

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     穴の中に2人が立っていて、その周りを蛍が飛んでるんですけども。

     両脇にある柱の梁が、ちょうど斜めに掛かっていて、いわゆる葬式の時に出す “遺影” のようになっているんですよね。

     こういうふうに、この作品の中では、蛍のように光を発している時には、必ず死を暗示させるような見せ方をしてるんです。


     この蛍の飛ぶ蚊帳の中で、清太は、お父さんが乗った日本海軍の連合艦隊の観艦式の様子を思い出します。

     だけど、この夜の海上で光に包まれた連合艦隊の “摩耶” という船は、実は、このお話の1年近く前に沈んでるんですよ。

     つまり、この作品の中で、光るものというのは、特攻機にしても、蛍にしても、連合艦隊にしても、全て死ぬことになるんです。

     「死に行くものだからこそ、光り輝いて美しい」というような描かれ方をしているんですよ。

    ・・・

     この蛍についても、やっぱりすごいのは、その翌朝を描いちゃうとこなんですよ。

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     蚊帳に蛍を放った翌朝、清太が「何してんねん?」と言うと、節子が「お墓 作ってんねん」と言います。

     「お母ちゃんもお墓に入ってんねんやろ? うち、叔母ちゃんに聞いてん。お母ちゃん、もう死にはって、お墓の中に居るねんて」というふうに節子に言われた清太は、もう号泣してしまいます。

     このシーン、あまりのかわいそさに泣いちゃう人も多いんですけども。

     でも、これが本当にかわいそうなシーンだとしたら、なぜそこで大量の蛍の死骸なんていう絵を見せるのか?

     これ、なぜかというと、「蛍にとってみれば、この2人の兄妹も “無慈悲で不条理な存在” だ」ということを伝えるためなんですよ。


     もちろん、蛍という生き物は、光を放ち始めたら数日間で死ぬ運命なんですけども。

     だからといって、自分たちの慰めのために、蚊帳の中に閉じ込めて、自由を奪っていいという理由にはなりませんよね。

     そして、「蛍、かわいそうやから、逃してあげよ」なんて発想は、別に節子にもないんですよ。


     この蚊帳の中で蛍が飛んでいるシーンは、冒頭ともリンクしています。

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     これは、冒頭、幽霊となった清太と節子が、電車の窓の向こうで燃える、神戸大空襲の様子を眺めているシーンですね。

     これが “火垂る” です。「火が垂れ落ちてくる」から「火垂る」と書く。

     そして、火垂るの風景を眺める2人の中にも「ツラいね、悲しいね」という思いはないんですよ。
     この火垂るについても、蛍と同じく「生命が燃えていて、綺麗だね」という視点で見てるんです。

     節子と清太は、蛍を蚊帳に放ち、翌日、そのお墓を作るという、美しくも残酷な遊びをしています。

     この作品では「人間から見た、空襲による火垂るの風景」も、「蛍から見た、自分たちを不条理に扱うこの兄妹」も、等しく “残酷で美しい” というふうに描いてるんですね。

     だからこそ、高畑勲は何回も何回も「このアニメは戦争反対がテーマではない!」と言い続けているんです。

    ・・・

     高畑勲は、泣かせる映画が嫌なのと同じく、単なる “戦争反対” の映画を作るつもりもなかったんですよ。

     これについては、三鷹市の平和集会の講演でもハッキリと口にしています。

     私の『火垂るの墓』を見て、「感動した」とか「戦争反対というメッセージは素晴らしい」と言う人もいるけれど、私にはそんなことを言いたくて映画を作ったつもりは全くない。

     なぜかと言うと、どんなにツラい光景を見せて「こんなツラい思いは絶対に嫌だ」と思ったからといって、人間は「だから、戦争はしないぞ!」なんてことにはならないからだ。

     私は、人間というのをとことん知っている。

     そういう時、人間というのは「こんなツラい思いをしないためにも、やっぱり “軍事力” が必要だ!」と考えるものだ。

     同じように、日本というのも「こんなツラい思いをしないためにも、すぐそこにある脅威に対して、軍隊を持った普通の国になろうよ!」と言い出す国だ。

     それが日本であり、それが日本人である。

     こんなふうに、高畑勲はハッキリと何度も言ってるんです。

     なので、『火垂るの墓』という作品についての公式見解としても、こうなっています。

    ――――――

     高畑勲監督が本作品で描こうとしたのは、「困難に立ち向かい、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女」ではありません。

     「決して切り開くことが出来ない(戦争という)状況の中で、死ななければならない心優しい現代の若者」の姿です。

     現代ではデジタル機器が発達し、煩わしい社会生活から離れ、ある程度自分の世界に籠もることも可能になった。

     そのような時代であればこそ、清太の心情が分かりやすいのではないか。

     兄妹だけで小さな家族を作ろうとしている清太に、社会的なつながりを煩わしく感じる現代の若者との類似的なつながりを見出しているということを。

     しかし、戦時中ではその社会的なつながりを排して、兄妹だけで生きることは叶わなかった。
     
     そこに悲劇があるとも言えるのです。

    ――――――

     こんなふうに、高畑さんは言ってるわけですね。

     これ、どういうことかというと。

     実は、冒頭の、清太が三宮の駅で野垂れ死ぬシーンには、死にかけている清太に、おにぎりをあげている人がいるんですよ。

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     これ、清太の主観にどっぷり浸かって見ていたら、「周りはもう、みんな鬼のような人達で、誰一人助けてくれない」というふうに、ついつい見えてしまうんですけど。

     「ちゃんと “頭を下げて” お願いすれば、こんなご飯がない時代にも、なんの見返りもなくおにぎりをくれるような人がいるんだよ」ということを、一番 最初に見せてるんですね。

     だから、清太がこうなったのは、戦争のせいでもなければ時代のせいでもないんですよ。

     そして、そういう言い訳が出来ないように、高畑勲監督は、冒頭でハッキリとこういうシーンを見せた上で語り始めているわけですね。

     「戦争が悪い」とか「貧しさが人の心を荒ませた」という話ではないんです。

    ・・・

     あと、テーマに関して僕が気になるのは、「なんで母親の霊は出てこないのか?」ということなんですよ。

     節子はあれほど母親に会いたがってたんだから、最後、幽霊となって兄と会うくらいだったら、そこに母親の霊も出てきていいはずなんですよ。


     あとは、あんなに清太が会いたがってたお父さんも、出てきていいはずなんです。
     もう死んでるんだから。

     だって、親子4人で桜の下で写真を撮っているシーンがあるんですよ?

     「彼らには、死ぬことしかなかったんですね」という話なんだったら、最後には父親も母親も出てきて、親子4人が揃うのでもいいはずなんですよ。


     では、なぜ節子と清太の幽霊は2人だけなのでしょうか?

     僕は、これこそが本作品のテーマの1つだと思うので、もう時間もないですけど、みなさんのコメントでの自由解答を待ってみようと思います。


     「清太は実は生きているから」(コメント)
     
      いや、生きてない生きてない(笑)。


     「両親が生きていたから」(コメント)

      それもない(笑)。


     「なんで今までそこに気付かなかったんだ……」(コメント)

      そうですね。これ、あんまり気付かないですよね。清太と節子の2人の話として見てるから。


     「清太の贖罪、エグい話だから」(コメント)
     「懺悔映画だから」(コメント)
     「親だけ成仏した」(コメント)

     うんうん。


     「死んでもボッチだから」(コメント)
     「両親も引きこもり体質だったから」

      アハハ(笑)。


     「清太が節子を縛っていた」(コメント)

      お、なかなか良い線を突きますね。

    ・・・

     ええと、じゃあ “岡田斗司夫の妄想” と言ってもいいんですけど、僕の考える答えの方に行きます。

     「清太というのは、困難な状況下でも、自分の生きたいようなやり方で生き抜いた」。

     これがこの作品のテーマの1つだと思うんですけど、そうしたからこそ、母親のいる天国には行けないんです。

     かといって、地獄にも行けない。

     こういう状況を、ダンテの『神曲』では “煉獄(れんごく)” というふうに呼んでいます。

     煉獄というのは、天国に行けなかったんだけど、地獄にも落ちなかった人の行く中間的な場所で、カソリックでは「ここで、苦痛によって罪を清められた後、天国に行く場所」と定義されています。

     まあ、これに関しては宗派によっていろんな解釈があるんですけども。


     清太は煉獄に閉じ込められたので、1988年の映画公開当時の現代でも、いまだに自分の過去の過ちと、死んでいく妹を見せつけられているんです。

     高畑さんは、こういった清太の無限の苦悩をわかっていながら、それでも「気の毒にも繰り返すしかない」というふうに描いているんですよ。

     これは、かなり冷たい描き方なんですけども。

     「清太は精一杯生きたんだけど、その結果、自分の最後の苦しみというのをずーっと見せられている。気の毒なんだけど、もう彼は、それを繰り返すしかないんだ」と表現しているんです。

     そうやって、“煉獄に閉じ込められた少年” というふうに冒頭から描いているんですね。

     だから、冒頭の一番 最初のシーンを現代の三ノ宮駅から始めたんです。

    ・・・

     ちなみに、このアニメの中で、清太が真っ直ぐ観客を見つめるシーンが2箇所だけあります。

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     これは、一番最初の「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というところです。ハッキリと観客を見ています。

     もう1つが、一番 最後のラストシーンです。

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     これ、清太も節子も幽霊なんですけど。「もう遅いからおやすみ」と清太が言うと、「うん」と言って節子が清太の膝の上で寝る。

     すると清太は、一度、観客の方を真っ直ぐ見てから、神戸の街へ目を移すんですね。


     この時の清太は、僕らに対して何を訴えているのか?
     なんで節子が起きている時には、こっちを見ないのか?

     実は、節子が起きている時には、清太は僕らを見ることが出来ない理由があるんですね。

     これが、後半の限定放送で語る最大の謎解きです。

     実は、この理由というのが、たぶんこのアニメの中で一番怖いところだと思います。


     「節子を殺したのは誰か?」については、「時代のせいだ」とか、「清太のわがままのせいだ」とか、「叔母さんのせいだ」とか、色々と言えることがあるんですけども。

     じゃあ、なんで清太は死ななきゃいけなかったのか?

     後半では、それについて語ってみたいと思います。


     今のうちに言っておきますけど、後半では、すごく怖い話をしますから、覚悟しておいてください(笑)。

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