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岡田斗司夫のニコ生では言えない話 第25号 2013/3/18
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【今週のコンテンツ】世界征服は悪に学べ!海賊とヤクザにリーダーシップを学ぶ
【今週の書き起こし】「世界征服イベント」講演 後半
【岡田斗司夫なう。】【悩みのるつぼ】なぜ死んではいけない? 回答編
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岡田斗司夫トークライブ「ガンダム塾」3都市で開催決定
機動戦士ガンダムというのは何なのか、という少し濃いめの塾をやります。
機動戦士ガンダムのまるまるTV版の映像を見せながらぼくが話すということをやるんです。
で、よく裏話みたいなものってでてくるんですけども何を狙ってこういう構図になったのかとかどこが当時革新的で新しかったのかという秒単位の分析というのを見たことがないんです。
それをちゃんとやりたい。
(2013年3月4日 ニコ生岡田斗司夫ゼミ3月号より)
(2013年3月4日 ニコ生岡田斗司夫ゼミ3月号より)
◆【今週のコンテンツ】世界征服は悪に学べ!海賊とヤクザにリーダーシップを学ぶ
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Amazonのおかげで世界征服本の収集が順調に進んでいます。無銘のマサフミです。
前回に引き続き、「岡田斗司夫の世界征服塾」後半、5級〜1級の解説をお送りします。
世界征服のカリキュラムはこちらを御覧ください。
5級は「悪とリーダーシップ」についてです。海賊やヤクザから世界征服にふさわしいリーダーシップのあり方を学んでいきましょう。
この先1級まで進んだら次はいよいよ昇段です。実際に企画を立てて仲間を二人集めなければなりません。
晴れて世界征服を達成できるのは、定義上この世にただ一人。
したがって世界征服の野望を持つ者は、同じ野望を持つ者といつかどこかで必ず出会うことになるでしょう。
でも、この言い方は間違っているかもしれません。
ネット社会ではいつかどこかではなく、いまここで出会うことができるのですから。
早速リーダーシップを発揮し1級を終えた人を二人探し出して仲間になって、三人ともに初段を達成して世界征服へ乗り出しましょう。
それでは5級から1級までの解説です。どうぞ。
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5級、「悪とリーダーシップ」ですね。つまり、どのように自分は部下を掌握していくのか? リーダーシップを発揮していくのか?
もちろん“世界征服”ですから、正義のリーダーシップではないわけですね。「悪のリーダーシップ、そのあり方とは何か?」です。
4つ参考書が出てます。『海賊の経済学』(ノンフィクション)、『本気(マジ)!』(漫画)、『竜馬がゆく』(小説)、『宇宙船ビーグル号』(SF小説)の4つです。
『海賊の経済学』は割と最近に出たノンフィクションで、“海賊”というふうに言われる人たち、18世紀に大暴れした海賊たちが、実はかなり合理的、かつ、意外なことに民主主義に近い統治体制を持っていたということが書かれてます。
「残酷で無法者である」っていうことはもちろんそうなんですけども。なぜ残酷であらねばならなかったのか? それは彼らが自分たちの目的、つまり、船を襲って略奪品を奪い、かつ自分たちの被害を最小化させるということに関して、ものすごく気を使ったからなんです。残虐であるという評判を立てれば立てるほど、襲った船は無抵抗で白旗揚げてくれるんですね。
これがとても大事だった。なんでかっていうと、海賊船が最も怖れたのは何かというと、“身内の怪我”なんですね。身内が怪我をすると、後でお金を配分するときにもめるし、そいつが怪我をしたらその分余計に補償金とか怪我に対する見舞金を積まなければいけないと。
最もうれしいのは、もちろん、宝が山のようにある船を襲って、そこが無抵抗でその宝を全部譲ってくれることなんですけども。「戦争したかったか? 戦いたかったか?」っていうと、戦いを望んでいた海賊なんかほとんどいないんですね。もちろん血の気の荒いような船長もいるんですけども。やたら戦争をやりたがるような船長は、その戦争をやった後の“船長会議”とか“船長裁判”みたいなのにかけられて、海の中に放り込まれてしまうんですよ。
それぐらい、海賊というのはいかに経済的に合理的な存在であったか……経済的で合理的な存在であったが故に、彼らは悪名を世に轟かせる必要があったんです。つまり、「ブランディングと宣伝が大事であった」というようなことが書かれてます。
これに対して『本気!』という作品は、立原あゆみっていう、決して一流とは言えない漫画家が描いた、50巻以上ある、『少年チャンピオン』に載ってるヤンキー漫画です。
この本気!っていうのは「親分っていうのがどういう存在でなければならないのか? なぜ日本の親分は徹底的に人情が厚くなければならないのか?」っていうのを描いた漫画です。
書いてあることは、「これをよく少年チャンピオンに載せたなあ……」というような“えげつない話”の集まりです。惚れた女をソープへ売り飛ばすとか、あとAVショップを経営するとか、そういうことばっかりやります。
2巻か3巻ぐらいで、主人公の“白銀 本気”(しろかね まじ)がようやっと自分のシマを任されます。シマというのはちっちゃい路地の飲み屋5、6軒なんですけども。この本気が、エフェクトが一杯かかったコマで、「シマ、俺のシマ、初めてのシマ!」ってすごくうれしそうに語るのが見開きであるんですけども……読んでるときに我が目を疑います。ほんとに。「すごい話だ!」って(笑)
なんですけども、この中でも50巻ぐらいで書かれるのが、その白金本気っていう主人公が、いかに遠回り遠回りして。ヤクザであるが故に、周囲の人々に善意を振りまいて、いい人として振る舞っていって。遠回りに見えるんだけども、彼が着実に着実に味方を増やしていく様子です。
この漫画の中にも、すぐ儲けようとしたり、戦闘力が強かったりするような同じヤクザのライバルたちが描かれます。彼らは短期的には上り詰めるんですけども、長期的にはヤクザの世界の中でとてもに生き残りにくい、という話が出てきます。これは実際に、他の“実録ヤクザもの”なんかを見ても同じです。やっぱり組長クラスになってくると、「いかに人徳者か」とか、もしくは「情けが厚いのか」というのが、なぜだか常に組員から語られるんですね。
僕らが知ってるヤクザの実体というのはそんなことも言いながら、任侠とかも言いながら、麻薬もやれば売春もやるような集団だと。この作品の中でもそういうヤクザ像は肯定されています。
でも、その中でなぜ彼らは人情的であらねばならなかったのか? 『海賊の経済学』が、「海賊という人たちがいかに残酷に見えようが狡猾に見えようが、その中で経済的な合理性を追求せざるを得なかったか?」を語っているのと同じように、『本気!』という漫画の中では「ヤクザという人たちがなぜ人情というものを追求しなければいけなかったのか? その結果、なぜ“任侠”という言葉が生まれたのか?」っていうのが、すごいビビッドに、目に見えるように描かれています。
『竜馬がゆく』は司馬遼太郎の中学生でも読める歴史小説です。
竜馬がゆくっていうのは、割と有名な割に大人になってから読んだ人が少ない作品です。司馬遼太郎の作品でも、もっと難しいものは読まれてるんですけども、竜馬がゆく自体はあまり読まれてない。
この中に描かれている坂本龍馬像はすごく意外です。
司馬遼太郎が書いた坂本龍馬像は、一言で言うと“芸人”です。いろんな国に行って、「よそのところではどんな議論があったのか?」というのを、羽織の紐を振り回しながら語る芸人として書かれてるんですね。
「坂本龍馬はなぜ日本の革命の時期にあのようにいろんな場所で活躍できたのか?」っていうのは、ある箇所に行って聞いてきた話というのを……龍馬は実は“信念がない”んですね。もう本当に目の前の人に影響されてしまう。一番最初、周りの友達が全員「黒船を討つべし!」って言ってたら「黒船討つべし!」とかって言って、勝海舟の暗殺を考える。勝海舟の暗殺に行ったら勝海舟に説教されてあっと言う間に考え方が変わってしまう。と、いったように彼は生涯において何回も考え方が変わります。
そういう人がなぜ主人公なのかというと、底抜けに考えが変わることに関して抵抗感がないからです。目の前のおもしろいことがあったら、そのおもしろいことの情報収集に一番熱心になって、何度も足を運んで。文字通り明治以前の日本ですから、ほんとに鉄道も何もないわけです。下級武士でお金もないから歩くしかないですね。日本国中を無駄に何往復も何往復も歩きながら。その道中にたぶん、聞いた話とかあった議論とかを頭の中で何回も“繰ってる”わけですね。
この繰る(くる)っていうのは「ネタを繰る」みたいに落語家とかが使う言葉なんですけども、同じネタを頭の中で何回も繰り返すことを言います。トランプのカードをパァーとシャッフルすることを繰るっていうんですけども、それと同じ言葉です。
頭の中で何回も何回も繰り返して、「あのときに彼はこう言った」、「このときにあの人はこう言った」、「西郷どんはこういうふうに反対してる」、「大久保さんはこういうふうに言ってる」というのを、頭の中で何回も何回も、中山道とかそういうのを往復しながら、何日も何日も歩きながら頭の中で繰って。
そして会った殿様に「おもしろい話があるから聞いてくれ!」と言って語る。本当はその殿様を説得しなければいけない立場があるのに……例えば勝海舟の暗殺とかそういうふうなことをしなければいけないのに。目の前の自分の話の面白さに夢中になって。
坂本龍馬は一番悪い癖は、喋りながら羽織の紐を噛むそうです。羽織の紐を噛んでガーッとやって、ベトベトにしたものをブンブン振り回すので、周りの人間はよだれだらけになったそうなんですけども。
坂本龍馬に会った人はみんな「あんなに笑ったのは生まれて初めてだった!」って言ってるんですね。つまり、それぐらい幕末の爆笑王だったわけです。爆笑させておもしろがらせて興味がらせるということで、そのときに坂本龍馬が会った偉い人から偉くない人まで全てを、「この幕末の日本はどうあるべきか?」という議論に巻き込んだ。いわゆるトリックスターなんです。
決して偉人でもなければ歴史を変えた人でもない、“歴史の変換点にいたものすごく変なやつ”だったんですね。その彼の活躍をすごく楽しく描いてます。
というのも、司馬遼太郎が注目するまで坂本龍馬という人物に注目する歴史学者なんかほとんどいなかったんですね。でも司馬遼太郎はいろんな資料集めていくうちに、「ちょっと待った! こいつすごく変だぞ!」っていうような形で拾っていったと。
そうすると、その坂本龍馬の英雄的な部分が大きくなっていって。僕らはついついNHKの大河ドラマでもなんでも観るときに、坂本龍馬を英雄として見ちゃうんですけども、僕自身が司馬遼太郎の原作小説から受けた印象は、“お笑い芸人の中のちょっとレベルが高いやつ”ですね。なによりも周りの人間を巻き込むことが好きだった人っていうふうに考えてください。
これがリーダーシップです。なんで“悪”とって言ってるのかっていうと、坂本龍馬が信念がなくて、そのとき自分の中でブームで会った言説を周りに言ってるだけの人だからです。つまり歩くワイドショーみたいな人だったわけですね。
4つ目の『宇宙船ビーグル号』。これ、SF映画『エイリアン』の原作になったお話しの一つでもあるんですね。エイリアン自体、原作がいくつもあるんですけども。
でも注目すべきはこの中に出てくる“総合科学”っていう学問なんですね。
宇宙船ビーグル号にはいろんな宇宙怪獣が襲ってくるんだけども、たった一人の総合学者……ビーグル号っていう千何百人も科学者ばっかりが乗ってる船の中は、「どの科学が正しいのか? この場合どの科学を、学問を運用すべきか?」で、年がら年中部門争いが起こってるんですね。その中にたったひとり乗ってる総合科学者ってのがいます。
総合科学っていうのは、科学と科学を結びつける学問です。例えば“冶金学”、金属と金属を混ぜ合わせて合金を作るという学問の立場で地層を判定し、「大陸がなぜ移動するのかっていうのを判定したらどういうふうになるのか?」を考えたり。または、電気抵抗というものの専門的な知識を利用した化学反応によって、「生物の細胞の浸透膜の中にいかに栄養素が流れていくのかを考えたらどうなるのか?」っていうのを考えたり。つまり、学問のクロスオーバーをやる学問です。
その総合科学者というのは、最初は善良に、宇宙船ビーグル号の中の人たちに自分の学問を役立てようとするんですけども。段々と「それではもう駄目だ!」というのがわかってきて、徐々に徐々にこの宇宙船ビーグル号という中で独裁者になっていくっていう課程を書いてます。ただし、この独裁者っていうのは“善意の独裁者”で、あらゆる科学者を総合科学者にするというカリキュラムを組んで、全員を教育するというラストシーンで終わってます。
小説自体にもいろんな宇宙怪獣というか宇宙生物との戦いが出てくるんですね。どれ一つとして僕らが考える平凡な話ではないです。どれもこれも異様で、どれもこれも想像を絶するような宇宙怪獣との戦いが描かれます。
その中で、たったひとりの総合科学者がどうやって千何百人の科学者が一杯乗っている宇宙船の中で実権を掌握して、自分の学問をやっていくのか? そういうものを乗り越えていく彼の姿は、やはり悪の独裁者、悪の支配者の、悪のリーダーシップを僕らに教えてくれるわけです。
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