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「人類はAIでなく機械に職を奪われる? その2」
この2つから生み出された鬼子みたいなものなんです。
原子爆弾の破壊力の計算や、大砲を撃った時の弾道計算を行わせるために、コンピューターというのが開発されたんですけど、これが本格的に発達した1950年代には、わりとすぐに人工知能という言葉が生まれて、その可能性が議論されるようになりました。
その1回目が1950年代。「これからはコンピューターで何でも出来るのではないか?」、「未来は全て機械で計算できるようになるんじゃないか?」と言われていた時代です。
当時、日本では “第5世代コンピューター” の研究というのをやっていた時代ですね。
どれくらい賢いかというと、僕の大好きな『われはロボット』などの作品を書いたSF作家のアイザック・アシモフが、「自分より賢い人間に生涯2人だけ会ったことがある。1人がマービン・ミンスキーで、もう1人がカール・セーガンだ」と言ったくらい賢いんですよ。
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つまり、あの映画に出てくる “HAL” という人間を殺しちゃうAIの生みの親でもあります。
マービン・ミンスキーは、「あと30年!」「あと30年!」というふうに、70年代になっても80年代になっても延々と言い続けました。
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そして、父親の後を継いで、この人も「あと30年!」と言い続けているんですね(笑)。
実は、現代のAIというのは、マービン・ミンスキーが60年代にこれを言いだした時代のAIから、抜本的な進化をとげてはいないんですよね。
でも、数学上の進歩というのが起こり得てないというのが、現状だと思います。
時は19世紀末、1882年イタリアのジェノバの話です。
まあ、それくらい古いとも言えますし、わりと最近でもあります。
この年、イタリアのジェノバに暮らしていた9歳の男の子が「学校を辞めて働こう」と決意しました。
とはいえ、これは実在の人物ではありません。
マルコ・ロッシ君という『母をたずねて三千里』の主人公です。
いや、高畑勲は監督だから、この場合「高畑・宮崎コンビ」と言わなければいけませんね。
宮崎駿は画面設計を担当していました。
僕はこれを、高畑・宮崎コンビの最高傑作だと思っています。
この『母をたずねて三千里』の原作は、昔の小学校の学級文庫によく置いてあった『クオーレ』という、イタリアの子供たちの道徳の本です。
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これは「イタリア人の子供なら、だいたいみんな読んでいる」と言われる本なんですけども。
高畑勲は、その中に収録されていた40ページくらいしかない短編小説を、無理矢理全50話くらいに引き伸ばして、1年間のアニメシリーズに仕上げました。
これを1年間のシリーズにするために、高畑勲は、『ハイジ』でやった時以上に徹底的に、19世紀末のイタリアの風俗を調べ上げたんです。
興味のある人は『クオーレ』を読んでみてください。
あっという間にマルコとお母さんは再会を果たしてビックリしますから。
日本人がよく知っている『母をたずねて三千里』の物語というのは、高畑勲のオリジナルだなあと思いますよ。
でも、病院を経営していただけで、彼は医者ではないんですよね。
“事務員” なんですよ。
なぜかというと、病院の経営を任された事務員で、医者のワガママを聞きながら、なんとか経営をしていたからなんですね。
なぜ、アルゼンチンなんていう、南アメリカの遠い所まで出稼ぎに行くのかというと、実は19世紀後半から20世紀の頭まで、アルゼンチンというのは世界で最も豊かな国だったんですよ。
当時のアルゼンチンは、農産と牧畜によって農業大国として、かつての豊かなアメリカと同じように大成功していて、「そこに行けば誰もが金持ちになれる」と言われる国だったんですね。
なので、マルコのお母さんも、奉公に行ったんです。
まだ9歳の子供だったマルコ・ロッシ君はお母さんを恋しく思います。
それと同時に、お父さんに仕送りしていたお金も来なくなってしまうんですね。
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手前にいる太った男の人がジロッティーさんという、瓶洗い業の元締めですね。
マルコ少年は、この人に「僕も働けます!」と言いました。
隣ではエミリオも推薦してくれています。
しかし、ジロッティーさんからは「子供がな、そんなに働けるもんじゃない。瓶洗いってのは大変なんだ」と言われてしまいます。
でも、マルコは子供なりにすごい頑張って、中庭中に置いてあった空瓶をゴシゴシ洗って、ジロッティーさんをビックリさせます。
マルコくんは9歳ですから、まだ小学生ですよ?
にも関わらず、「もう小学校に行かない!」と言い出して、友達のエミリオも心配するんですけど、お父さんにも秘密で勝手に学校を辞めちゃうんですよ。
そして、不思議なことに誰も出勤していないジロッティーさんの店に1人で行って、置いてあった瓶を全部 洗います。
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そして、やって来たジロッティーさんに「見てください、ジロッティーさん! もう100本近く洗っておきましたよ! 僕はこれから学校には行かずに、ずっとここで働きますから、もっとお金をください!」と言うんです。
なぜかというと、“瓶洗いの機械” が発明されてしまったからですね。
そんな誇り高き職人の国にも、19世紀末になる頃には、産業革命の波が押し寄せてきたんです。
その結果、こんな小さな港町のしょーもない仕事まで、瓶洗いの機械の発明によって消滅してしまい、ジロッティーさんは失業してしまったわけですよ。
ジロッティーさんは、1リラというわずかな退職金をマルコに渡して「これがお前に渡せる最後の金だ」と言います。
自分の店も潰れてしまって、お金に困っているというのに、「もう仕事は終わりだ! 辞めだよ!」と言って、マルコを追い返しても良かったはずなのに、せめて1リラだけでもお金を渡してくれるんです。
たとえば、チャップリンは1936年に『モダン・タイムス』という映画を作りました。
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つまり、アメリカも同じだったんですね。
それまでは、誰もが職人としての誇りを持って働いていたのに、いつの間にかベルトコンベアみたいなものが生まれて、運ばれてくる部品を次から次へとネジで留めるだけの仕事をすることになった。
『モダン・タイムス』で、チャップリンは、最終的に機械の中に挟まれて、どこかに連れて行かれてしまうんです。
チャップリンはギャグとしてこれを作っているんですけど、こういったイメージは、当時のアメリカ人、もしくは世界中の手工業をやっている人達の実感だったのだと思います。
かつては、みんなと喋りながら、もしくは、時には歌いながら職人として仕事をしていたのに。
工場によっては能率を上げるために詩を朗読したり、もしくは音楽を掛けたりするのも当たり前だったんですけど。
段々とそれがなくなってきて、ベルトコンベア式の流れ作業になっていった。いわゆる “機械の奴隷” になっていった時代なんです。
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