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「【『トトロ』は24時間テレビ用のアニメだった・3 】 もし『トトロ』が10年前に作られていたら?」
それが、宮崎駿が東宝に提出した『海底世界一周』という企画書なんですね。
なので、どれがオリジナルで、どれが先にあるかはわからないんですけど。
1979年という時代に、太平洋の海底を走る『海底超特急マリン・エクスプレス』という作品が生まれたのと同時期に、宮崎駿は『海底世界一周』という企画書を確かに出していることを知っているんです。
そして、この『海底世界一周』という企画はコンペに負けて使えなくなり、さらにその10年後に、東宝がNHKのアニメ企画として、これを通した。
で、僕らガイナックスに「これを直してくれ」という話が来て、『ふしぎの海のナディア』が生まれた。
こういう縁があるから、僕はこの件に関して「ああ、そうなんだ」って分かるんです。
だって、第1回目の『バンダーブック』は視聴率がものすごく良かったんですよ。
まあ、第5回目は、流石の日テレも「手塚治虫に渡すのはマズい」と思ったのか、光瀬龍原作、竹宮惠子作画の『アンドロメダ・ストーリーズ』を、別のプロダクションが作ることになるんですけど。
それでも、虫プロで6回もスペシャルアニメを作ってるんですよ。
そう考えると、最初に紹介した『風に吹かれて』の140ページでの発言が、ピンと来るんですよね。
「ああなるほど。だから、宮崎駿は、当時、縁もゆかりもなかった東宝に持ち込んだのか」と。
まあ、「縁もゆかりもなかった」というか、「『カリオストロの城』の後、宮崎駿というのは、ほぼ出入り禁止状態になった」と言われているんですけども。
これは完全な出入り禁止ではなかったんですね。
「確かに作品はヒットしなかったんだけど、それは宮崎駿の責任とは決して言えない」と言われている状況だったんです。
そんな中、流れを作ってあげたのが鈴木敏夫だったんです。
ところが、当時のアニメというのは「冒険路線のファンタジーやSFしかダメだ」と言われていた時代だったんです。
なので、手塚治虫も『100万年地球の旅、バンダーブック』というのをやったんです。
それに続く第2回目として、『となりのトトロ』なんていう、昭和30年代を舞台にしたオバケと女の子の交流だなんて地味な話が通るはずもない。
結果、日テレはこれにダメを出して、これに関して、以後10年間、宮崎駿はグチグチ拗ねることになるんですね。
そして、ダメを出された宮崎駿が仕方なく書いたのが『海底世界一周』という、ちょっと派手目な企画です。
この『海底世界一周』というのが、なぜダメになったのかは分かりません。
おそらく、日テレから企画を受けた東宝がコンペで負けたのか、もしくは『ルパン三世カリオストロの城』の興業成績の悪さが影響していたのかもしれません。
結果的に、その企画の中から「海底が舞台」という部分だけが残り、「やっぱり今年も手塚先生にお願いしよう」という流れになり、最終的に『マリンエクスプレス』になったんじゃないのかと、僕は考えています。
つまり、第1回の24時間テレビで放送された手塚治虫のアニメは、視聴率こそすごかったんだけど、とにかくスケジュールがヤバかった。
そこで、『アニメージュ』の鈴木さん、または、当時の編集長の尾形さんが、宮崎に『トトロ』の企画を持ち込ませた。
しかし、内容が地味だということでボツを食らったので、『海底世界一周』というのに変えたんですけど。
『カリオストロの城』が不発だったので、これもボツを食らい、その内容のみパクられて『マリンエクスプレス』になってしまう。
東宝は、この時にボツを出された悔しさを忘れられずに、後に、NHKからアニメの話が来た時に、この企画をもう一度持ち出して、ガイナックスに作らせる。
こういう流れだと考えたら、全てのパーツがぴったり合うんですよね。
これが、もし通っていたら?
そして、それと同時に、手塚治虫も、6作品も地獄を味わうことがなかったはずなんですよね。
しかし、1人の人間としての寿命というのは、わりと短いんです。
そして、これには、6年間のアニメ地獄が少なからず影響していると思うんです。
もし、2回目のスペシャルアニメの時に、『マリンエクスプレス』の代わりに『となりのトトロ』が作られていたら。
宮崎駿は10年は早く世に出ることが出来たと同時に、手塚治虫も、アニメという道が塞がれて、アニメ地獄をやらずに、寿命も10年くらい延びていたんじゃないかと思います。
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いかがでしたか?
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/09/06
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「【『トトロ』は24時間テレビ用のアニメだった・3 】 もし『トトロ』が10年前に作られていたら?」
さて、実はこの『海底超特急マリン・エクスプレス』という作品が生まれたのとほぼ同時期に、宮崎駿はある企画書を提出しているんです。
これは都市伝説ではなく、東宝という会社で、僕がこの目で見た事実です。
それが、宮崎駿が東宝に提出した『海底世界一周』という企画書なんですね。
ガイナックスにいた頃、僕は「この『海底世界一周』という企画書をベースにして、オリジナルのアニメの企画を考えてくれ」と言われたんですよ。
その結果、僕らが作ったのが『ふしぎの海のナディア』なんです。
なので、どれがオリジナルで、どれが先にあるかはわからないんですけど。
1979年という時代に、太平洋の海底を走る『海底超特急マリン・エクスプレス』という作品が生まれたのと同時期に、宮崎駿は『海底世界一周』という企画書を確かに出していることを知っているんです。
そして、この『海底世界一周』という企画はコンペに負けて使えなくなり、さらにその10年後に、東宝がNHKのアニメ企画として、これを通した。
で、僕らガイナックスに「これを直してくれ」という話が来て、『ふしぎの海のナディア』が生まれた。
こういう縁があるから、僕はこの件に関して「ああ、そうなんだ」って分かるんです。
・・・
じゃあ、なぜ、宮崎駿が企画書を出す流れになったのか?
だって、第1回目の『バンダーブック』は視聴率がものすごく良かったんですよ。
まあ、第5回目は、流石の日テレも「手塚治虫に渡すのはマズい」と思ったのか、光瀬龍原作、竹宮惠子作画の『アンドロメダ・ストーリーズ』を、別のプロダクションが作ることになるんですけど。
それでも、虫プロで6回もスペシャルアニメを作ってるんですよ。
これはなぜかというと、ポイントは「この当時、鈴木敏夫が『アニメージュ』の編集者であると同時に、手塚治虫の漫画連載の担当をやっていた」ということなんです。
すでに、この時期から宮崎駿に肩入れしていた鈴木敏夫です。
彼が、東宝に企画書を持ち込ませたんじゃないかと、僕は考えたんですよ。
彼が、東宝に企画書を持ち込ませたんじゃないかと、僕は考えたんですよ。
そう考えると、最初に紹介した『風に吹かれて』の140ページでの発言が、ピンと来るんですよね。
「ああなるほど。だから、宮崎駿は、当時、縁もゆかりもなかった東宝に持ち込んだのか」と。
まあ、「縁もゆかりもなかった」というか、「『カリオストロの城』の後、宮崎駿というのは、ほぼ出入り禁止状態になった」と言われているんですけども。
これは完全な出入り禁止ではなかったんですね。
「確かに作品はヒットしなかったんだけど、それは宮崎駿の責任とは決して言えない」と言われている状況だったんです。
そんな中、流れを作ってあげたのが鈴木敏夫だったんです。
・・・
つまり、『トトロ』から遡ること10年ほど前、日本テレビの24時間テレビ内でのスペシャルアニメ用の企画として、宮崎駿は『となりのトトロ』を出していたんです。
まあ、この時は企画書というよりもイメージボード1枚だったらしいんですけど。
まあ、この時は企画書というよりもイメージボード1枚だったらしいんですけど。
ところが、当時のアニメというのは「冒険路線のファンタジーやSFしかダメだ」と言われていた時代だったんです。
なので、手塚治虫も『100万年地球の旅、バンダーブック』というのをやったんです。
それに続く第2回目として、『となりのトトロ』なんていう、昭和30年代を舞台にしたオバケと女の子の交流だなんて地味な話が通るはずもない。
結果、日テレはこれにダメを出して、これに関して、以後10年間、宮崎駿はグチグチ拗ねることになるんですね。
そして、ダメを出された宮崎駿が仕方なく書いたのが『海底世界一周』という、ちょっと派手目な企画です。
この『海底世界一周』というのが、なぜダメになったのかは分かりません。
おそらく、日テレから企画を受けた東宝がコンペで負けたのか、もしくは『ルパン三世カリオストロの城』の興業成績の悪さが影響していたのかもしれません。
結果的に、その企画の中から「海底が舞台」という部分だけが残り、「やっぱり今年も手塚先生にお願いしよう」という流れになり、最終的に『マリンエクスプレス』になったんじゃないのかと、僕は考えています。
この辺りの、「こういう理由で『マリンエクスプレス』になったんじゃないのか?」っていうのは、本当に僕の推察なんですけど。
だけど、この推察は、実際に僕が見た『海底世界一周』の企画書と、その時期の業界全体の人物関係から見て「ほぼこれで間違いないんじゃないか?」と思っています。
つまり、第1回の24時間テレビで放送された手塚治虫のアニメは、視聴率こそすごかったんだけど、とにかくスケジュールがヤバかった。
そこで、『アニメージュ』の鈴木さん、または、当時の編集長の尾形さんが、宮崎に『トトロ』の企画を持ち込ませた。
しかし、内容が地味だということでボツを食らったので、『海底世界一周』というのに変えたんですけど。
『カリオストロの城』が不発だったので、これもボツを食らい、その内容のみパクられて『マリンエクスプレス』になってしまう。
東宝は、この時にボツを出された悔しさを忘れられずに、後に、NHKからアニメの話が来た時に、この企画をもう一度持ち出して、ガイナックスに作らせる。
こういう流れだと考えたら、全てのパーツがぴったり合うんですよね。
・・・
もともと、日テレの24時間テレビ『愛は地球を救う』の最大のウリは、実はスペシャルアニメだったんですよね。
そして、この第2回目には、『となりのトトロ』の企画が出ていた。
これが、もし通っていたら?
これはもう、“もしも話” になっちゃうんですけども。
もし、この時に、日テレの中に見る目がある人がいて「ああ、これからはこっちだ」と『となりのトトロ』の企画を通していれば、おそらく、宮崎駿は今より10年は早く世に出ることが出来たはずです。
そして、すごい大ブームを起こすことができたはずなんですよ。
そして、すごい大ブームを起こすことができたはずなんですよ。
そして、それと同時に、手塚治虫も、6作品も地獄を味わうことがなかったはずなんですよね。
手塚治虫というのは、確かに、作家寿命はすごく長い人なんです。
なんせ、もう若い頃から延々と漫画を描いていたから、作家としての寿命は長いんです。
なんせ、もう若い頃から延々と漫画を描いていたから、作家としての寿命は長いんです。
しかし、1人の人間としての寿命というのは、わりと短いんです。
そして、これには、6年間のアニメ地獄が少なからず影響していると思うんです。
もし、2回目のスペシャルアニメの時に、『マリンエクスプレス』の代わりに『となりのトトロ』が作られていたら。
宮崎駿は10年は早く世に出ることが出来たと同時に、手塚治虫も、アニメという道が塞がれて、アニメ地獄をやらずに、寿命も10年くらい延びていたんじゃないかと思います。
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「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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