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「【『2001年宇宙の旅』でも予言できなかった未来像 3 】 NASAを月着陸に導いた研究者ジョン・フーボルト」
だから、皆さんが見ている映画でもそうなってるんですけど。
ところが、実際はそういうふうにはなってない。
こんな巨大な宇宙ステーションなんて作られていません。
今ある “ISS” というのも一応、宇宙ステーションなんですけど、あれは言ってしまえば「宇宙まで行ったトレーラーを繋げて人間が住んでいる」ようなものなので、とても物を作る工場としての環境ではありませんし、何百人という人も住めません。
それまで、月に行って帰る方法というのは、3つ考えられていました。
これは、いくつもの無人のロケットを先に月にどんどん送るんですよ。
その無人のロケットの中には燃料もあれば、帰りのロケットもある。
現地での食料もあれば、現地で寝るためのキャンプの道具とかもある。
そういうものを、あらかじめ無人のロケットで何個も何個も送っておいて、最後に、人間がギリギリ1人か2人乗れるロケットを飛ばして、月へ到着する。
月へ行く時のロケットは、もうそれ1回きりの使い捨てで構わない。
行った先の月で、今まで投下した資材を全て拾って、自分たちで現地で組み立てる。
もう本当に、雪山で遭難者用のテントとか食料とかをヘリから落として貰うのと同じですね。
全て集めて、月でロケットを1から組み立てて、帰ってくるという方式です。
「こんな方法じゃ、現地に着くまで帰って来れるかどうかもわからないじゃん!」と言うと…
…これ本当にあった話なんですけど、急にアメリカ陸軍の将軍が出てきて「我がアメリカ陸軍には、それを恐れるものは誰もいません! 陸軍の兵士は月のミッションに志願します!」と言ったそうなんだけど(笑)。
とにかく、それは勘弁してくれ、と。
現地で人が死んだら、以後、アメリカ人が月を見る度にトラウマになるだろう、と。
自分たちの技術不足のおかげで、月に行って死んだやつが出てしまったらどうするんだ、と。
家族もまだ生きているというのに「私のパパは月にいるの?」とか「月で死んだの?」とか言われたらどうするんだ、と。
あとは、酸素が切れて死ぬまで、延々と月から地球に向かって恨み言を言うかもしれない。
最悪の結果として「ソ連に生まれればよかった!」とか言われたらどうするんだ、と。
そんなこともあって、この月で合流方式というのは、見送られることになりました。
あと10年や20年経っても、おそらく、そんな強力なロケットを作られる見込みは、今の所ないです。
ただ、スペースX社が考えている火星旅行プランは、これに近いんですよね。
「火星にあらかじめいろんな資材を送っておいて、最後に人間を送り出そう」というプランは、この現地合流方式に近いです。
これは、安全なんですけど、コストが高くて時間が掛かるんですよ。
それでも当時のNASAは「この宇宙ステーション方式しかないな」と思って、必死に急いでいたんですけど。
「この方式では、ケネディが言った、60年代のうちに人間が月に行くという目標には、到底間に合いそうにない」と、正直、みんな思っていました。
そんな巨大な宇宙ステーションを完成させるためには、その当時ですら開発中で夢のような話だった、3年後とか4年後にはようやくテストが出来るかもしれない “サターンⅤ型ロケット” を使ったとしても、何発打ち上げなければいけないんだという話になっちゃったんですね。
議会は白紙の小切手を発行しました。
つまり「どんなに予算を使ってもいいからソ連に勝ってくれ! 宇宙に人間を送ってくれ!」と言われてたんですけど。
ところが、これが62年の年度末になると雲行きが怪しくなってきて、1963年には、早くも「来年には予算を削られるんじゃないか?」という見込みが見えてきた。
その結果、「もう宇宙ステーションは無理だ」ということがわかってきたんですね。
つまり、一時的にパニックになったアメリカ人の「ソ連に負けたらどうする? アメリカが宇宙競争に負けたら共産主義者に国を乗っ取られてしまう!」という恐怖心によって、61年、62年と無制限に予算が出ていたところから、「そんなことをやってる場合じゃないよ。日常生活の方が大事だよ。それより、今、アメリカで問題になっている公民権、男女平等、白人と黒人との平等問題、そっちの方をどうするんだ?」ということになってきて、予算に制限が掛かり始めたんです。
それも、座る場所もない、立って乗るしかないような月着陸船に2人だけ乗って、1人は軌道上で待っている。
2人が乗る月着陸船も、月軌道に登る時には下半分を捨てていく。
全部、捨てて捨てて、使い捨て使い捨てで、最後、地球に帰って来る時には、それまで乗ってきたアポロ宇宙船というのも捨ててしまって、“司令船” と呼ばれる事実上カプセルだけで帰ってくるんです。
そんな、前のエンジン部分をカットした軽自動車だと思ってください。
後ろの座席もほとんどカットして、2人分の座席に無理やり3人乗ってるようなギリギリのカプセルで帰って来るという方式を思いつくんですね。
さっき紹介した、フォン・ブラウンが考えたムーンランダーと同じスケールで表すと、月着陸船ってこのサイズなんですよ。
見えますか?
メチャクチャ小さいんですよ。
さっきも言ったように、本当に座るところもないんですよね(笑)。
というよりも、NASA研究所の科学者は全員嫌がって「バカヤロー! バカヤロー!」と言ったんですけども。
フーボルトは「でも、計算上は行ける。数式上は行ける」と。
「いや、お前の数式、絶対怪しいよ!」なんて言われながらも、いろんな人を1人1人を説得しました。
「こんなことを言ったらいけないのは分かってる。NASAもそろそろ縦型の組織になってきているから、まずは自分の上司を説得するというルートが正しいということはわかるんですけど……月に行きたいんでしょ? だったら俺の言うことを聞いてくださいよ」と。
最初はコーヒータイムの雑談だった話が、ランチタイムに話されるようになり、ついには会議の議題に上って、最後はフォン・ブラウンが出席する会議での6時間の激論の末、フォン・ブラウンも「もうこの方式しかないな」と諦めて、「このメチャクチャ小さい月着陸船で行こうか」と決断した。
いわゆる “エリートコース” じゃなかった人です。
その結果、最後までステーション案にこだわっていたフォン・ブラウンも、ついには折れる形となりました。
ここに来て、人が月に行けるかどうかの問題は、ついに科学の問題でなく、予算とスケジュールの問題になってしまったんです。
科学や月旅行が子供達の夢であった時代は終わって、時代は白の時代に移りました。
映画『2001年宇宙の旅』というのは、その中間の時代に作られた映画なんです。
なので「宇宙や未来は銀色だ」という遺伝子と、「宇宙や未来は白い」という遺伝子の2つを持っている。
そこが『2001年宇宙の旅』が、古いんだけども、いまだに新しくてカッコいいという理由なのではないでしょうか。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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