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岡田斗司夫の解決!ズバっと「「アオイホノオ」第八話「歴史の幕あけ?」のひみつ」
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岡田斗司夫の解決!ズバっと「「アオイホノオ」第八話「歴史の幕あけ?」のひみつ」

2014-09-06 06:00
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    岡田斗司夫のニコ生では言えない話
     岡田斗司夫の解決!ズバっと 2014/9/6
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    おはよう! 岡田斗司夫です。

    大好評の『アオイホノオ』YM9YwQ、第八話は見て頂けましたか?
    東京は金曜の深夜、大阪は月曜の深夜。
    その他、こちらの局でもやっています。http://goo.gl/ebVBOj

    ドラマを見ながら、僕が書いた解説をお届けします。


    これを読みながら本編を見直すと、面白さが深まりますよ。

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    ・第7回注釈の訂正
    評論家の氷川竜介さんから前回注釈の勘違いについて訂正いただいた。
    (1)松本零士の「さらば宇宙戦艦ヤマト」→「宇宙戦艦ヤマト」(『宇宙戦艦ヤマト2』冒頭部分に相当する第2巻頭) 
    ※松本零士の漫画版はすべてタイトルが『宇宙戦艦ヤマト』なんです。そして「さらば」にはあのアンドロメダのシーンはなく『宇宙戦艦ヤマト2』のシーンを漫画化したのが、あの一連。 
    (2)「宇宙戦艦ヤマトは博物館行きとなっている。」なっていません。廃艦処分が決定され、ドックで待機中のところを、古代たちが勝手に持ち出す展開です。 
    (3)「新型戦艦アンドロメダ」→「新造戦艦アンドロメダ」
    氷川さん、ありがとうございました!

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    ・入り口に鹿
     これら岡田邸に関する描写は実話だが、実際はどうだったか?
     当時の岡田邸は敷地面積50坪に、タテヨコ高さすべて同じく10メートルのコンクリート製の立方体だった。側面には1~6個の窓が開き、まったく同じサイズの「岡田刺繍」本社が隣に建っていた。つまり巨大なコンクリート製の「二つのサイコロ」。
     二つのサイコロの間に、それぞれを繋ぐエレベーター塔。外からは回り階段で2階の玄関に上がらないと入れない。玄関には奈良の人間国宝作家の彫った「一刀彫りの鹿(実物大)」がお出迎えしてくれた。

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    ・エレベーター
     岡田の母は椎間板ヘルニアを患い、足が不自由だったので、父は新築した家にエレベーターを設置した。もちろん家庭用エレベーターなど存在しない時代だから、普通の業務用のエレベーターだった。

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    ・「おれってスゴイやろ」
     当時の僕が放っていたオーラだと言うけど、本人にはいたって自覚無し。いまだに「不当な表現」だと思っている。プンプン。

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    ・「ウチが金持ちやからちゃうかな?」
     岡田の両親は刺繍業で一儲けしたが、その儲けの大半を税金で払わされたことを極端に悔しがっていた。そのために潰れかけていた宗教法人を買収し、母を教祖とする新興宗教を設立した。この宗教のために岡田邸にはきゅうきょ、4階が増築され、そこには巨大な神棚が設置された。
     宗教組織だが、あくまで節税目的なので家族以外の信者はゼロ。古代神道の流れを汲む、山岳神をあがめる宗教だった。

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    ・「下は核シェルターやで」
    実際の岡田邸構造は、
    2階・・・玄関(鹿アリ)と台所、リビング
    3階・・・岡田の姉の部屋と岡田斗司夫の個室がある。それぞれ25畳の広さ。姉の部屋には天井中央から下げられたブランコが一つあるのみ。当時、姉はすでに嫁に出ていたから、岡田3階を独占していた。
    1階・・・半地下の核シェルターであり、エレベータでのみ降りることが出来る。階段がないので、エレベーターの電源を一階から封鎖すると中に進入するのは不可能。岡田夫妻(両親)の寝室と、豪華な隠しリビング、食料備蓄庫がある。
     1階には窓は一つだけ。隠しリビングのソファー横にあるスイッチ一つで鋼鉄シャッターとカーテンが電動で操作できた。

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    ・「ここが僕の部屋や」
     実際はこんなに天井が高くないし、もっと本棚だらけ。電車や木馬も実際には無い!(笑)
     ソファーなど余計なモノもなく、25畳の部屋全てが本棚のみ。全員、じゅうたんの床の上に座って話した。

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    ・「タチワニ」
     岡田斗司夫の両親がやっていた岡田刺繍は、その初期にはゴルフウェアブランドのパチモン(ニセモノ)を作っていた。ワニが寝そべる”ラコステ”、ペンギンの”マンシングウェア”、日傘の”アーノルドパーマー”がその代表的なブランド。岡田刺繍はそれらのパチモンを作り続けたが、その代表作の一つが「ラコステのワニをむりやりマンシングのペンギンそっくりに立たせた”タチワニ”」。
     Tachiwaniと筆記体で流暢なロゴまでいれると、なんだか本物っぽく見えた。
     しかしその技術力は高く、後に本物の各ブランドから下請け製作を依頼されるようになり、一気に儲かりだした。

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    ・「原秀則はマイナスがないけど、内容もない!」
     これはモユルの思い違い。ラブコメは「心のすれ違い」を描くんだけど、「心」は絵として描けない。だから「噛み合わないセリフ」「言えない独り言」などのテキストや、情景描写や遠景などを重ねるモンタージュ的手法でマンガを描くしか無い。
     しかしヒーローものばかり描いていたモユルには、「世界征服」「挑戦状」「甲子園」などの”事件”が起こらないマンガを「内容がない」ように思えてしまうのだ。

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    ・「宇宙学園にも教室、ありそうだよね?」
     まさに永井豪が当時「スペオペ宙学」というマンガを描いていた。いろんな宇宙人が通う宇宙の中学校だけど、ちゃんと校舎も教室も、机も椅子もあった。甘いぞ、モユル!

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    ・「いますぐ上映会や!」
     これも半実話。SF大会をやるようなスタッフたちなら当然、イデオンぐらい見てる。セリフも全員、言える程度の「基礎」は出来ている。
     しかしアニメを作っていた当時の岡田邸では毎夜、アニメや特撮のビデオプロジェクター上映会があった。なぜか?それは単調だけど重労働なアニメ作り(鞭)がイヤになって疲れ果てたスタッフたちを逃がさないための飴であった。
     大阪府堺市にある岡田邸から、スタッフそれぞれが自宅に帰れる電車のリミットは午後10時前後。そのため、ビデオ上映会は毎晩9時ぐらいから行われた。ビデオデッキすら高価だった時代に、業務用三管式プロジェクターでの大画面上映、それも周囲全員が「基礎」のできているファンばかり!この上映会は本当に楽しく、また庵野や赤井による技術解説も現在の大学講義そこのけの面白さだった。
     この上映会でけっきょく徹夜での泊まり込みに引き込まれたスタッフは多かった。のちにこの方式はアニメ専門誌アニメックで「大阪の連中のタコ部屋」と呼ばれた。

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    ・日めくりカレンダーの名言
    「悪」は倒せても「おやじ」は倒せん!「悪」は許さんが「おやじ」は許す!
     これらの名言は、島本作品に出てきたり、島本の同人誌「名言集」などから引用されたもの。島本和彦も庵野秀明も、実は「名言コレクター」であり、年がら年中、自分を奮い立たせる「名言」を探し、それをなぜか日常生活で絶叫する。
     
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