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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の解決!ズバっと 2015/05/01
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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。

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「視点を変える力」
ロックさん/34歳/既婚会社員/無料メルマガ

 岡田さんをはじめ、「面白い」と思える人の共通点として、高い視点や独特の認知力があると思っています。
 こういう認知力や、視点を変える力を鍛えるためにはどのような方法が有効だと思いますか?

 個人的には、面白いと思った人の著書やブログなど、その人の制作物を古いものから新しい物までなるべく全部見ていくことで、その人の視点がちょっとはインストールされるような気がしています。
 最新刊の「はじめに」で、方法論を否定し、考え方の大事さを説いていたところ恐縮なのですが、より良い考え方を得るための方法論を教えて下さい。
 よろしくお願いします。

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(前号からの続き)

「どうやれば自分独自の視点を持つのか?」に答えます。
 自分が持ってる偏見の中で、特に「これは自分の中では動かない!」とか、「これは自分の中で固定されてるな」って思うものがあったら、あえて相対化して溶かさずに、合理化してみましょう。
 その合理化は”屁理屈”でもいいです。

 合理化のための屁理屈は、他人から見たら「なに言ってんだ?」とか「単なる屁理屈」なんでしょう。
 でも、その屁理屈を無理に組んでいくことが独自の視点になるんですね。

 もちろん、それは偏見にしか過ぎないし、ただ単に屁理屈で補強したものに過ぎないから、弱い理屈ですよ。
 でも、自分の長所とか独自の視点が強いものである必要はないんですよね。


■視点とは、偏見を合理化して人を動かす程度のもの

 例えば「誰がなんと言おうと、うちのお母さんが作った卵焼きが一番美味いんだよ!」っていう意見を主張しようとしたとして、このままでは理屈も何も全く通ってないんです。

「お前は世界中の卵焼きの食べ比べでもしたのか?」
「その意見には感情的なものが入ってるんじゃないか?」
 ――とか言われちゃう。

 でも、物事には合理的な考えだけでは絶対に説得できない”中心核”があるじゃないですか。


 その次にすべきことは、「なぜ俺の母親の卵焼きは美味いのか?」を無理にでも理論化すること。
 これが「自分の視点を作ること」になるんですね。

 自分の中の偏見とか差別をある程度のレベルで合理化・結晶化して、人の心を動かす程度のもの。
 僕はそれを”独自の視点”と呼んでるんですけど。


■フラットな知性から視点は生まれない

 独自の視点とは、徹底的な合理主義だったり、フラットで平面的な知性、いわゆる不偏不党のジャーナリズム的な視野からは生まれないと思います。

 なので僕は、独自の視点を持つには何年もの時間がかかると本当に思っているし、それは『スマートノート』のような著作の中で「こういうふうにするしかないよ」とも書いてるんですけど。

 それを踏まえた上でなお「手っ取り早く1つだけ方法論を上げてくれ」って言われたら。
 わりと危険かも知れないけど、「自分の中の偏見とか差別観みたいなものを一つ、無理矢理にでも合理化してみることが有効ではないかな?」って思います。


【まとめ】
 岡田斗司夫にとっての”独自の視点”とは、「偏見や差別を合理化して人の心を動かす程度のもの」です。
 その視点とは、皆さんが考えるような知性から生まれるものではありません。
 ちなみに、長い時間をかけた独自の視点の持ち方については、岡田斗司夫の『スマートノート』などの著書に詳しく書いたので、興味があれば読んでみてください。