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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。
「母が余命3ヶ月でも何も感じない」
まっつんさん/30歳/会社員/ブロマガ会員
普通であれば、悲しむべき出来事なのでしょうが、母の告白を聞いても特に何も感じませんでしたし、母に対して特別に何かしようとも思いません。
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(前号からの続き)
本当になんでもない日常の仕事の合間のところで、「あぁ……」という喪失感みたいなのが来たことはあったんですけど。
まっつんさんの友人は、「余命3ヶ月で何も感じない」ということについて悩んでいる。
それは、「余命3ヶ月なのに何も感じない自分ってどうなんだろう?」という悩みよりかは、どっちかっていうと「余命3ヶ月なのに、息子になにも感じてもらえない母親に対して、申し訳ない」みたいな同情の気持ちがあるんじゃないんですかね?
自分に対しては、まあ、そんなもんなんですよ。
もし自分が息子がいる母親の立場だったら、「余命3ヶ月であることを息子に知らせても、何もショックを受けていない」と知ったら、母親はイヤだろうな、辛いよな。そういえば俺親不孝だったな……と。
相手の気持ちを慮って、ちょっと回り道してから来る自己嫌悪や罪悪感みたいなものがあるんじゃないかと思います。
2,3年後にテレビの収録の楽屋で「あぁ……」っていう顔をしなくて済みますから。
それだけでもえらい違います。
そういう場合、沈痛な顔くらいはしたほうがいいと思います。
後になって後悔しなくて済みますから。