私はこれまで「自分が損するくらいが良い」と考え、多少無理をしても他人に親切にして生きてきました。
しかし騙されたり人が良過ぎると嘲笑されるうちに、自分ばかり損をしている事が馬鹿らしく思えてきたのです。
それからというもの、人に冷たくしたり不親切にするとスカッとして気持ちよくなってしまいます。
そんな自分は人としてどうなのかと考えたり、いずれ子供ができたらやはり人には親切にできる人間になって欲しいという矛盾したような気持ちもあります。
私は今後の人生をどう送れば良いのでしょうか?
───────────────────────────────────
<岡田>
松本家三女としてのバシッとした解答を!
<松本>
質問文でいうと、「無理をしても他人に親切にしてきた」とあります。
自分がやりたいワケじゃないのに、「いい人になれる」って事で無理していた反動が自分の中でマイナスにストックされちゃってる。
そのストックされたシャドウの部分が肥大化しちゃってると思うんですね。
そこで「不親切にするとスカッとする」という事に、ご自分で気づかれてる。
今は不親切にしてスカッとしてるので、真ん中ぐらいに戻ればいいのかな。
<岡田>
ニュートラルに戻ると。
以前は人に親切にしすぎて損して、自分も傷ついた。
次に人に不親切にしたりイジワルしたら、スカッとしちゃった。
じゃあ次は、ニュートラルに戻す。
<松本>
けっこう普通なことだと思うんですよね。
無理しちゃうと、すごい反動が来るので。
だから、その反動として普通のことだと思うので。
<岡田>
「相手によって変える」のは、どうなの?
例えば、お爺さんお婆さんのような弱い人には親切にする。
でも、オタクが嫌いなら、オタクには冷たくする。
タトゥーを入れてるヤツがイヤなら、そいつには冷たくするでもいい。
<松本>
それはいい事なんじゃない?
<岡田>
いい事なのか(笑)
<松本>
自分が思ってることをそのまま出していれば、人間は変にならないので。
<岡田>
変な意味だけど、「高みに行きたい」という思いは、かつてのオウムの信者たちと同じワケだよね。
そのために多少無理をしても、自分にとってプラスになると思ってやっていた。
でも、反対の事をしたらスカッとして気持ちがいい。
それに対して「無理をするな」でいいの?
<松本>
27年間も「いい人」をやってきちゃったじゃないですか。
すごく優しい人だと思うんです。
<岡田>
あぁ、そうかぁ。
<松本>
そうなんですよ。
普通じゃないと思うんです。
すごく過剰に人の空気を読み過ぎちゃう。
それで頑張ってきたと思うので、反動でちょっとイジワルしたくなってる。
「自分、頑張ってきたんだな」というところをまず認められると、バランスのいい人になるのかな と、思います。
<岡田>
なるほど!
修行よりバランスですね。
【まとめ】
あなたは27年間も「いい人」を演じてきました。
その反動で意地悪をしているので、親切も不親切もバランスよくやればよいと思います。