本書の冒頭から登場いただいた堀江貴文さんは「開放的」であり「個人の成長」が目的です。
堀江さんに近づく方法はサロンやメルマガなど多数準備され、その価格に見合った「付き合い方」ができるように整備されています。
あまりに開放的なので、逆にドライに感じるほどです。
サロンでは「やりたいこと」「個人の成功や成長」を中心に動きがあり、社会正義や変革などと言った「青い」言葉はほとんどありません。
なのでポジショニング・マップでは、ほとんど左上の端が堀江貴文さんの位置になります。
堀江さんと逆に右下にポジションするのは、文筆家で思想家の内田樹さんです。
内田さんの文章は、わかりやすく明晰です。
でも内田さんは合気道の師範であり、
「言葉ではなく身体化した思想」に核心があります。
なので内田さんの「本当の弟子」になるためには、無意識化するまで繰り返された肉体の鍛錬が不可避なのです。
同時に内田さんは「思索を練る」よりも「行動に移す」ことを重要視しています。
国会前でデモする若者に理解と言葉を与え、彼らを擁護しようとし続ける。
デモ運動を「効率が悪く意味が無い」と斬るホリエモンとは対照的です。
なので、内田樹さんは「閉鎖的」かつ「社会運動」が目的になります。
大阪市長の橋下徹さんは「開放的」かつ「社会運動」です。
彼の言葉はわかりやすく、同時に「一緒にいる仲間だから」の配慮がありません。
同じ維新の党の仲間であっても、思想が違えば簡単に別れるし、罵ります。
自分を応援してくれる有権者に成長も求めません。
あくまで「彼らに理解できる言葉」を探し、争点がレベルの低い感情的なやりとりに終始しても気にしません。
これはマップのほぼ同位置にいる安倍晋三さんや孫正義さんも同様です。
▼歴史上のカリスマはどうでしょう?
織田信長は「閉鎖的」かつ「社会運動」
豊臣秀吉は「開放的」かつ「個人の成長」
腹心にも理解できないような世界最先端の戦術と施策を動かし、下克上をなしとげた信長と、ヒトを近くに集め、喜怒哀楽をいつもあらわし、万民に平等な「天下の茶会」を開催した秀吉は、まさに対照的です。
武を重んじ、節約と支配を両立させた徳川家康はマップの中間、なかなかのバランス派ですね。
カリスマ論