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〔PHOTO〕gettyimages

9月8日、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が、東京に決まった。猪瀬直樹都知事も言っているように、「チームプレイ」が東京に招致成功をもたらしたのだろう。

石原慎太郎都知事のときにも、東京は開催地に名乗りをあげていた。だが、当時の鳩山政権は非協力的、というよりは招致反対であった。今回は、東京都と国が強力なタッグを組んだのだ。

日本のプレゼンテーションもたいへんすばらしかった。なかでも、佐藤真海さんのスピーチは多くの人の胸に響いたのではなかろうか。佐藤さんは宮城県気仙沼市の出身だ。彼女は、大学在学中に病に冒され、右足のひざから下を切断している。いま、彼女はスポーツ義足をつけ、走り幅跳びの選手として、パラリンピックに3大会連続で出場している。「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです」。佐藤さんの言葉に僕は心を打たれた。

五輪招致のプレゼンテーションで安倍晋三首相は、福島第一原発の汚染水問題を「コントロールされている」「完全にブロックされている」と説明した。汚染水の問題は、まだ楽観視はできないと僕は思っている。だが安倍内閣は、国として汚染水の問題に取り組むという方針を示していたことは評価する。

東京で初めてオリンピックが開かれたのは、1964年のことである。当時僕は、オリンピック開催に合わせて開局した東京12チャンネル(現、テレビ東京)のディレクターだった。ところが、生まれたばかりのわが局には、オリンピックを取材する能力がなかった。ノウハウがないというレベルではない。「能力」がないのだ。機材、人材……。何もなかった。結局、NHKが撮影した映像を買って放送したのだ。テレビマンだった僕にとって、「悔しいオリンピック」だった。