JRA通算1918勝の藤田伸二騎手(43=栗東・フリー)が6日、電撃引退を表明した。札幌競馬7Rの騎乗後、騎手免許取り消し願いをJRAに提出。7日以降に手続きが行われる見込みだが、突然の引退に札幌競馬場は混乱に包まれた。96年にフサイチコンコルドでダービーV。G1・17勝の個性派が夏の終わりとともにターフを去る。
96年、フサイチコンコルドで日本ダービーを制し声援に応える藤田騎手
あまりにも突然の引退だった。藤田は札幌7Rのイキオイ(10着)に騎乗後、検量室内でJRAの裁決委員に騎手免許取り消し願いを手渡した。事前に一部の関係者には伝えてあったが、JRA側には寝耳に水。事実関係の確認のため、マスコミ各社に報道の保留を要請するほど対応に追われた。本人も興奮状態で、コメントをしないまま競馬場を後にした。会見などは一切行われない。1000勝以上を挙げた騎手としては前代未聞の引退劇だ。
91年にデビューし、同年ラジオたんぱ杯3歳Sのノーザンコンダクトで重賞初制覇。最多勝利新人騎手賞を獲得した。96年には和製ラムタラと呼ばれたフサイチコンコルドで、競馬学校卒業生として初のダービー制覇。周囲とのあつれきも少なくなかったが、大舞台に強い騎手として関係者、ファンから絶大な信頼を集めた。勝利数だけでなく、昨年までにフェアプレー賞を通算19度受賞。10年には史上初となる2度目の特別模範騎手賞に輝いた。
一方、自叙伝やエッセーを出版するなど多彩な才能を発揮。一昨年に出した著書「騎手の一分」ではエージェント制の弊害などを訴え、歯に衣(きぬ)着せぬ言動でJRAを批判することもあった。競馬ファンからは絶大な人気を誇ったが、近年は成績が下降。今年は18勝にとどまり、騎乗機会の減少も目立っていた。この日の7Rが最後の馬場入り。札幌のファンからは「伸二、頼むぞ」の声が飛んだ。2000勝を目前にしての電撃引退。出身地であり、愛着のある北の大地で、藤田はムチを置いた。
◆藤田伸二(ふじた・しんじ)1972年(昭47)2月27日、北海道生まれ。158センチ、50キロ。O型。
91年に栗東・境直行厩舎からデビュー。初騎乗は同年3月2日中京1Rハイビスカスマミー(7着)。初勝利は同年3月9日中京1Rマキバスクリーン(6戦目)。1年目は重賞のラジオたんぱ杯3歳Sをはじめ39勝。JRA賞(最多勝利新人騎手)最多勝利新人騎手賞、関西放送記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞した。翌92年にはエリザベス女王杯(タケノベルベット)でG1初勝利を挙げた。
96年にはフサイチコンコルドでダービー初制覇。97年3月からはフリーとなり、同年有馬記念をシルクジャスティスで制した。JRA通算成績は1万5271戦1918勝。JRA重賞93勝でG1・17勝。デビューから11年まで21年連続JRA重賞を勝利した。地方、海外を含めた通算成績は1万5533戦1963勝。